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2025/06/18(水)Vol.520

新「起承転々」 漂流篇 vol.99 スーパースター
2025/06/18(水)
2025年06月18日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.99 スーパースター

スーパースター

 「ミスター」こと長嶋茂雄氏の訃報に接し、「昭和は遠くなりにけり」と感慨にふけってしまった。私の世代は野球少年が多かった。「巨人、大鵬、卵焼き」といわれ巨人のV9時代だったが、とりわけON(王、長嶋)は光輝いていた。長嶋茂雄は1936年生まれ、37年生まれの美空ひばり、34年生まれの石原裕次郎とともに、昭和の大スターだった。スターは時代がつくるものだ。長嶋の存在は、高度経済成長期と重なり、日本が希望に向かって成長していく「昭和」という時代を象徴していたように思う。長嶋は太陽のような存在だったと、多くの人が口を揃える。長嶋の天真爛漫で愛嬌のある言動が人々を惹きつけ、長嶋信者を増やしていったのだろう。私もその一人だ。まだ私が20代のころ『キミは長島を見たか』(岩川隆著・立風書房1981年刊)を読んで、あらためて長嶋の人柄に魅了されてしまった。その本をパリからの帰国便の機内で読んだのだが、とても面白くて、機内食を食べるのもそこそこに読み続けていたことを思い出した。成田空港に着陸した際に、CAさんから「ずっと本を読んでいらっしゃいましたね」と声をかけられたのだ。ときに私がニンマリしながら読み続けていたので、いったいどんな本を読んでいたのだろうと気になったに違いない。「キミは長島を見たか」と私に問われれば、「ハイ」だ。一度、間近で見たことがある。偶然、田園調布のサウナで遭遇したのだ。当時、自由が丘の近くに住んでいた私は、週末ごとに田園調布のサウナに通っていた。そこに突然、裸の長嶋さんが現れたから、腰を抜かさんばかりに驚いた。おそらく長嶋さんが50代半ばだったろうと思うが、目を見張るような立派な体躯で、まるで後光が差しているようだった。
 時代がスターを生むが、一方でスターが時代をつくっている面もあると思う。スターが世の中に与える影響力や経済効果は計り知れないのだ。現代のスターの筆頭はメジャーリーグで活躍する大谷翔平選手だが、長嶋が活躍した時代と大きく変わっているのを感じる。メジャーリーグで活躍する日本人選手も多くなっているが、他のスポーツの世界でも日本人の活躍が目立つ。同様にバレエダンサーも海外のバレエ団で主役を踊っている日本人も珍しくない。たとえば、5月末に来日したオーストラリア・バレエ団は『ドン・キホーテ』4回の公演中、主役のキトリを近藤亜香さんが2回、山田悠未さんが急なキャスト変更により1回、そして日系人のジル・オオガイさんが1回踊った。今月下旬に開幕する英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の公演でも、栗原ゆうさんが『眠れる森の美女』のオーロラ姫を1回、平田桃子さんが『シンデレラ』のタイトルロールを2回踊ることになっている。パリ・オペラ座バレエ団や英国ロイヤル・バレエ団といった有名バレエ団でも日本人をはじめ東洋人のダンサーの活躍が目立つ。近年、東洋人のほうがバレエに向いているのではないかという声さえある。野球やサッカーといったスポーツと同列ではないにしても、日本人のバレエダンサーの活躍がもっと話題になってもいいのではないかと思うことしきりだ。
 今回のオーストラリア・バレエ団の来日公演の際に、同バレエ団のエグゼクティブ・ディレクターと話をする機会があった。同バレエ団が本拠にしているメルボルン・アーツ・センターが3年間の予定で工事休館していて、いまは代替の劇場で公演しているが、客席数が少なく舞台も狭く舞台機構も十分でないので、とても苦労をしているという。狭い舞台の劇場では上演できる演目も限られてしまい、人気のあるレパートリーを上演できない。しかも、すでに主要なレパートリーをほとんど上演してしまったので、これからプログラムを組むのに頭を抱えているという。本拠の劇場が使えなくなったことによる入場料収入の減収や定期会員が離れるなどによって、2,000万オーストラリア・ドル(日本円で18億7千万円)の損失だという。同バレエ団は年間約200回公演しているというから、我々とは簡単に比較できないにしても、本拠地の改修工事にともなう損失に対しオーストラリア政府が約25パーセントを補填しているようだ。そのうえ同バレエ団は支援組織がしっかりしているので、この損失に対する寄付も増えているという。この話を聞いて、来年5月からNBSが本拠にしている東京文化会館が3年間の工事休館に入ってしまうから、明日は我が身だとますます危機感が募った。首都圏の劇場を転々として公演活動を続けるにしても、東京文化会館の客席数より、どの劇場も500~800席くらい少ないから、入場料収入も大きく落ち込むだろう。オーストラリア・バレエ団同様、劇場によって上演できるレパートリーも制限されてしまう。NBSが運営する東京バレエ団の公演もそうだが、海外からの招聘公演はほぼ不可能だ。先ごろのオーストラリア・バレエ団の『ドン・キホーテ』も、英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の『眠れる森の美女』や『シンデレラ』も、東京文化会館が休館に入ると他の東京都内のホールでは舞台機構的に上演するのが難しくなる。バレエ・ファンはそのときになって、はじめて首都圏の劇場不足が深刻な問題であることを実感されるに違いない。
 今般、政府の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2025)が6月13日に閣議決定され、その中に、「首都圏の劇場不足に対応した全国各地の劇場・音楽堂等の活用・連携を含む舞台芸術や日本映画の振興、アート市場の活性化を進める」という文言が入った。政治の仕組みに詳しいわけではないが、この骨太の方針に入るかどうかによって、来年度の予算に大きな影響があるらしい。地方には東京にある劇場以上に立派な劇場が点在しているのだから、これでしっかりと予算がつけば、そこを拠点化して公演ができるかもしれない。ただし、地方の劇場で公演するとなると交通費や宿泊費などが余計にかかるし、集客のことを考えると公演は1回か、大都市でせいぜい2回だから助成金がないと公演を実施するのは難しい。それでも、いま直面している首都圏の劇場不足を我々が乗り切るためには、それが唯一の解決策だと私は思っている。私が一番懸念しているのは、この首都圏の劇場不足により日本のバレエやオペラが衰退することだ。
 昭和の時代はメディアも新聞や雑誌、テレビなどに限られていたが、現在はメディアが多様化して、大スターが生まれにくくなっている。その一方で大谷選手のように圧倒的な実力があってメディアに愛されると、世界的なスターにもなり得る。ダンサーはアーティストでありアスリートでもあると思うが、もっと一般の人々にとって身近な存在になる必要があるのだろうと思う。そのためにはあらゆるメディアの力が重要になる。野球を国民的なスポーツにしたのは、つねに注目を浴びていた長嶋さんの発信力が大きかったのではないだろうか。首都圏の劇場不足問題が人々の口の端に上らないのは、バレエやオペラの鑑賞は一部の好事家の趣味でしかなく、敷居の高さを感じる存在だと思われているからだろう。スポーツと同様に生のバレエやオペラを観ることが、興奮や感動を体感させてくれるものだということを、もっと多くの人々に当たり前のように知ってもらいたい。
 昭和のスーパースター、長嶋さんの逝去の報をきっかけに、時代の移り変わりを感じるとともに、あらためてバレエやオペラの行く末を考えさせられた。

髙橋 典夫 NBS専務理事