連日「命に関わる危険な暑さ」が続いている。熱中症による死者が相次いでいるとメディアが報じているが、近年の夏の暑さは"災害級"とも言われる。「バレエ・ファンの熱い夏がやってくる」というキャッチコピーは、〈世界バレエフェスティバル〉の創始者・佐々木忠次が考えたものだが、30度を超える暑い日があまりなかった時代の話だ。ふり返れば日本の夏のバレエ・シーンもずいぶん変わったものだと思うが、暑い夏にバレエで盛り上がるのは、いまではバレエ・ファンの間で定着した感がある。世界の主要なバレエ団が夏のバカンスに入ると、そこに所属しているダンサーたちや海外で活躍している日本人ダンサーたちが日本に集結し、各地で公演が繰り広げられる「バレエ夏の陣」が始まる。NBSは昨年〈第17回世界バレエフェスティバル〉を開催したが、今年は〈バレエ・スプリーム〉だ。スプリームとは至高の意。同公演は2017年にはじめて開催したが、今回は8年ぶりの開催となる。世界のバレエ界の頂点に君臨するパリ・オペラ座バレエ団、英国ロイヤル・バレエ団の二大バレエ団の精鋭ダンサーを集めて、危険な暑さを吹き飛ばす至高の舞台を繰り広げる。オペラ座チーム、ロイヤル・チーム各々の公演に加え、両チームの合同公演もあるが、NBSのこれまでの実績があってはじめて実現できる公演と自負している。会場の東京文化会館は来年5月に工事休館に入るが、それまでに10カ月を切り、すでにカウントダウンが始まっている。この〈バレエ・スプリーム〉は休館に先立つ最後の夏に贈るバレエフェスティバルという位置づけで企画したものだから、バレエ・ファンにはしっかり暑さ対策をとって、こぞって参加してほしいと願っている。
私は日本中のバレエ・オペラ上演にふさわしい劇場の大半は知っているつもりだが、総合的に見て64年前にできた東京文化会館以上に素晴らしい劇場は数少ないと思っている。JR上野駅の目の前の上野恩賜公園の中にあるというロケーションも絶好だ。私自身、駆け出しのころから通い続けているから愛着が強いが、若いころにはあまり関心がなかった前川國男建築の素晴らしさが、年齢とともにわかるようになった気がしている。その東京文化会館が3年間も閉まってしまうのだ。
ここに至ってようやくバレエやオペラ・ファンも首都圏の劇場不足が、深刻な事態だということに実感をもちはじめたように思う。東京文化会館の改修工事は公共工事だから入札という手続きをとることになるのだが、その要綱はまだ発表されていないようだ。心配になるのは三宅坂の国立劇場の例があるからだ。2回の入札が不調で、すでに2年近く劇場を閉めたままだ。国も3回目の入札が成立するよう、追加で国費を注ぎ込むようだが、国が国立劇場の面倒を見るのは当然と言えば当然の話だと私などは思ってしまう。東京文化会館は東京都の持ち物だが、人件費や建設資材の高騰などによって、入札が不調にならないことを祈るばかりだ。東京文化会館は開館以来64年が経ち老朽化が進んでおり、改修工事はやむを得ないとはいえ、3年間の休館が4年、5年と延びたら、これまで東京文化会館を本拠に活動してきたNBSは持ちこたえられないかもしれない。つくづく感じるのは一般の人々には、東京文化会館が休館するなら、他の劇場で公演すればいいとしか思われていないことだ。大規模な舞台装置を要する公演は、東京では東京文化会館以外だと新国立劇場、NHKホール、Bunkamuraオーチャードホールくらいしかないのが実情だ。むろん、劇場の舞台条件に合わせて上演できる演目はあるが、全幕バレエなど大規模な舞台が少なくなるのは目に見えている。それぞれの劇場によって事情は異なるものの、大型の舞台装置を飾れる舞台スペースや機構がなかったり、1団体が連続で使用できる日数に制限があったり、客席数が少なくて興行的に成立しないなど、オペラやバレエ公演に適した劇場が首都圏には致命的に不足しているのが現状なのだ。客席数が少ない劇場で公演すれば、その分どうしても入場料金を高くすることで補填せざるを得ないから、観客の皆さまの負担が増えることにもなる。大阪や名古屋、福岡や札幌のような大都市でやればいいのでは、と思われる方もいらっしゃるかと思う。それらの都市にも素晴らしい設備をもつ劇場があるが、集客という観点では1公演かせいぜいで2公演しかできないのが実態で、それでは経済的に成立させるのは難しい。大阪や名古屋などの大都市でさえ、立派な劇場がありながら、経費がかかる全幕バレエの公演が少なくなっていると聞く。
バレエやオペラの愛好家にとっても影響は計り知れない。海外からの招聘公演や国内の団体の大掛かりな舞台装置をともなう公演が観られなくなるだろう。劇場不足によって一番懸念していることは、観客の皆さまの鑑賞機会が失われることと、わが国のバレエ・オペラ活動そのものが衰退することだ。すでに海外のバレエやオペラ団体の関係者やアーティストたちも、東京文化会館が休館することや首都圏の劇場不足が問題になっていることは知っていて、日本に代えて中国や韓国ツアーを計画する動きが出始めている。とはいえ、我々にはこの如何ともしがたい事実を受け入れざるを得ず、この3年間をいかに乗り切るかという難題に、死にもの狂いで取り組むほかない。観客の皆さまには不本意ながらご不便をおかけしたり、さまざまな制約から物足りなさを感じさせてしまうなど、これまで通りに行かないことが多くなるに違いない。とても心苦しく思うが、その一方で我々自身が首都圏の劇場不足によって苦境に立たされていることを、ぜひともご理解いただきたい。
追々発表させていただくが、NBSは東京文化会館が来年5月に工事休館に入るまでにいくつもの主催公演を予定している。3年間の休館はあまりにも長いと感じるが、ここであらためて東京文化会館を愛し、これまで公演に足を運んでくださったお客さまへの感謝と、同会館への惜別の念を込め、NBSとして「3年後にまた会いましょう!東京文化会館」と銘打ったキャンペーンを展開したいと思っている。休館に入る最後の日まで、皆さまとともに1公演ごとにカウントダウンしながら、東京文化会館に想いを馳せたい。そして2029年の春まで皆さまと心を一つにして、東京文化会館がリノベーションを終えて再開場する日を待ちたいと思う。リニューアル・オープンを果たした暁には東京文化会館の新しい門出を祝い、再びNBSの公演活動の拠点として皆さまと一緒に祝杯を上げられることを願っている。
髙橋 典夫 NBS専務理事