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NBS日本舞台芸術振興会
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2025/08/20(水)Vol.524

新「起承転々」 漂流篇 vol.101 愛すべき女帝
2025/08/20(水)
2025年08月20日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.101 愛すべき女帝

愛すべき女帝

 暑い。暑さでぐったりしている。連日の"危険な暑さ"の中、2週間に及ぶ〈バレエ・スプリーム〉公演で肉体的な疲労をため込んでいたが、やっと乗り切ったと思ったらマリア・ディ・フレーダの訃報が飛び込んできて、精神的にも打ちのめされてしまった。彼女が闘病中ということは知っていたが、こんなに早く逝ってしまうとは思ってもいなかった。マリア・ディ・フレーダと言っても知る人は少ないだろう。ミラノ・スカラ座の元ジェネラル・ディレクターであり、生涯をスカラ座に捧げた"女帝"ともいえる存在だった。私は彼女とは1995年のスカラ座日本公演のときからの長い付き合いだ。まさに"戦友"と言っていいほどの関係だったが、彼女の訃報に接し一緒に過ごしたさまざまなシーンが脳裏を駆け巡った。彼女への深い哀悼の気持ちから、今回はこのコラムで彼女のことを取り上げさせていただくことにした。
 彼女は裏方でスポットライトを浴びる存在ではなかったが、イタリアのマスコミは彼女の訃報を一斉に報じている。「棺を蓋いて事定まる」というが、私が思っていた以上に彼女が正しく評価されていたことに慰められる思いがした。彼女の逝去にともないスカラ座は「マリア・ディ・フレーダは劇場の活動全般に並外れた貢献をし、数えきれないほどのプロジェクトに並外れたエネルギー、決断力、そして粘り強さで献身的に取り組み、数十年にわたり劇場の結束と継続性を確保しました。彼女の揺るぎない献身、毅然とした闘志、人間性、そしてスカラ座ファミリーへの愛情は、私たちの記憶に永遠に刻まれるでしょう」とコメントを出した。
 ディ・フレーダは1973年にスカラ座で働き始め、カルロ・フォンターナ、ステファン・リスナー、アレクサンダー・ペレイラ、ドミニク・マイヤーなど6人の総裁に仕えたが、総裁が入れ替わっても、2021年に引退するまで実質的にスカラ座を支え続けたのは彼女だった。「イル・ジョルナーレ」紙に、「彼女は激しい気性で、毎日癇癪を起こしていましたが、いつも私たち全員を守ってくれました。私たち職員とは家族のような絆で結ばれていました。時代遅れかもしれませんが、とても人間味あふれる絆でした」と、ある同僚の言葉を載せているが、私も同じような思いを彼女に対して抱いている。
 彼女は1991年に人事部長、1994年にフォンターナ総裁のアシスタント、1998年には広報・渉外責任者になり、2008年にはジェネラル・ディレクターに就任した。その間、スカラ座の大規模改修による仮本拠アルチンボルディ劇場への移転と改修後の本拠への復帰を統括したほか、スカラ座の財団化に関与、32カ国85回に及ぶ国際的なツアーを実現し、国営放送RAIとの協力関係を築き、スカラ座の活動を世界に発信するなど、50年近くの間に、制作、管財、渉外、ツアー、危機対応といった「現場知」で培った横串で束ねる総合力によって、彼女はさまざまな問題に立ち向かい実績を積み重ねてきた。
 私にとってもディ・フレーダは、激しさと優しさが共存したスカラ座の女帝だったが、わが身に引き寄せて考えてみても、卓越したリーダーだったと思う。時折ギャンギャンとわめき散らして我々を震え上がらせるのだが、根は優しい。スカラ座を訪れるたびに毎回昼食に招待してくれたし、東京バレエ団を愛してくれていて、2010年には東京バレエ団が第24次海外公演として4カ国11都市を回ったが、その途中、海外公演通算700回目にあたる記念公演をディ・フレーダが調整してくれてスカラ座で開催することができた。2020年には8回目のスカラ座の引っ越し公演の準備が進んでいたが、コロナ禍によって無念にも断念せざるを得なかった。そのときも、ディ・フレーダとさんざん遣り合ったが、彼女とはそれが実質的に最後の仕事になってしまった。彼女の死は、私の中では一つの時代の終わりのような喪失感を覚えている。
 ディ・フレーダのキャリアを思い返すとき、私はどうしても東京の今の劇場事情に思いが巡ってしまう。天下のスカラ座と貸館である東京文化会館では、運営が違いすぎて単純に比較できないにしても、スカラ座の大規模改修にまつわる苦労話など、もっと直接聞いておきたかった。時代とともに劇場を取り巻く環境は変わってきたが、オペラ引っ越し公演の黄金時代を経験してきたものにとって、これまでのスカラ座の日本公演を思い返すと、遠い日の花火のような懐かしい気持ちになる。次回のスカラ座の日本公演は東京文化会館の休館をはじめ首都圏の劇場不足によって、まったく目途が立っていない。劇場不足問題は、海外の劇場関係者やアーティストの間でも広く知られるところとなっていて、すでに中国や韓国公演にシフトする動きも出ているようだ。歯痒いのは我々民間ではなす術がないことだ。隼町の国立劇場や中野サンプラザの状況を見るにつれ、はたして東京文化会館が本当に3年後に再開できるか不安だが、国や東京都をはじめ公的機関の劇場文化に対する重要性の認識が進まなければ、今の状況が改善するとは思えないのだ。先の〈バレエ・スプリーム〉の公演会場でも、観客の間では9カ月後に迫っている東京文化会館の休館が現実味を帯びてきているようで、このような状況を出来させたのは、国や東京都の失政以外に何ものでもないと、私に話しかけてきた人もいた。これまで私なりに国や東京都に何度も切り口を変えて窮状を訴えてきたつもりだが、どの扉を叩いてもまったく開く気配さえなかった。縦割り行政の壁は厚く、どこに責任があるのかも曖昧なのだ。折衝相手がやっと理解を示してくれたと思っていると、人事異動で変わってしまったこともあった。この一連の経験を通じて私が悟ったのは、いかに自分自身が無力かということだった。
 すべては権力者のリーダーシップ次第なのだと思う。そもそも日本の文化政策にはグランド・デザインがないのではないか。政治や行政にグローバルな視点をもったリーダーが現われなければ、いつまでたっても何も変わらないだろう。現場の実態と机上の空論の文化政策や文化行政がまったく噛み合っていない。マリア・ディ・フレーダが頻繁にイタリアやミラノの政治や行政と折衝していたことを知っている。「現場知」から発する知恵と努力こそ、持続性と革新の本質的な源泉だと思う。マリア・ディ・フレーダの死去に際し、さまざまなことを考えさせられたが、彼女がたどったキャリアはそのことを私に気づかせてくれた。

髙橋 典夫 NBS専務理事