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NBS日本舞台芸術振興会
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2025/09/17(水)Vol.526

新「起承転々」 漂流篇 vol.102 マエストロは語る
2025/09/17(水)
2025年09月17日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.102 マエストロは語る

マエストロは語る

 リッカルド・ムーティ指揮の『シモン・ボッカネグラ』を聴いたばかりの、まだ身体の芯に高揚感が残っているまま、この拙稿を書き始めている。レヴェルが高いとても良い公演だった。指揮台に立つマエストロは、80歳を超えてなお若々しい。東京・春・音楽祭実行委員会(以下、東京春祭と記す)主催の「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」の一環として上演された演奏会形式のオペラだが、若い音楽家を育てる目的で6年前から続けられている。去る2025年9月10日、そのリハーサルの合間を縫って来年4月から5月にかけてムーティ指揮で上演する予定のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』(主催:NBS、東京春祭、日本経済新聞社)の記者会見を開催した。マエストロ・ムーティは「私とモーツァルトの関係は、私とヴェルディの関係と同じくらい深いものがある」と、モーツァルト、ダ・ポンテ、『ドン・ジョヴァンニ』について溢れ出すように熱く思いを語り、予定されていた時間をはるかにオーバーしてしまった。出席した記者たちは等しく感じたに違いないが、この話を聞けば誰もがマエストロの『ドン・ジョヴァンニ』を聴きたいと思うことだろう。マエストロは24時間音楽のことばかり考えているような人だ。たびたび「勉強」という言葉を口にするが、作品を読み解き理解するための探求心はとどまることを知らない。それが深みのある演奏に繋がっているのだろうと思う。この『ドン・ジョヴァンニ』プロジェクトは3年ほど前から、マエストロと東京春祭、それにNBSの3者の間で話が持ち上がっていたが、東京文化会館休館前のタイミングでなんとか実現したかった。この秋のウィーン国立歌劇場日本公演の後、東京文化会館の休館によるオペラ公演の空白期間を少しでも縮めなければならないという思いもあった。東京春祭とNBSという異なる公演実績をもつ主催者が協力して一つのプロジェクトに取り組むというのは、これまで例がないのではないか。いずれにしても東京文化会館が休館中は、NBSの生き残りをかけてさまざまな可能性を探っていかなければならないが、もがいているうちに道が開けてくることを祈るばかりだ。
 マエストロが記者会見で語った中身に関しては、レポートが別に掲載されているのでご一読いただきたいが、記者からの質問に対してマエストロが劇場不足の問題についても答えているので、ここで紹介させていただく。あるジャーナリストが「伝統芸能を上演してきた国立劇場(隼町)にしても、東京文化会館にしても、数年にわたって文化的な役割を果たすべき劇場がなくなってしまいます。イタリア・オペラ、イタリアの文化を大切に守り、継承者の育成に努めてこられたマエストロから見て、日本のこの状況をどう思われますか」と質問した。それに対しマエストロは、私は日本にゲストとして来ているから、どういうことが起こるか、申し上げる立場ではないと断ったうえで、「劇場を閉めるということは、閉めることによって、より良くするという理由がありますが、重要なことは一つの劇場が閉まって使えないのなら、その劇場の代わりとなる場所があるべきではないか、と思います。使える場所がないというのなら、3年も閉まってしまうというのは、15歳だった人が18歳になってしまうくらいの長い年月ですので、劇場が与えられる喜びが3年間なくなってしまうということです。それは非常に問題だと思います。横浜の劇場(神奈川県民ホール)も閉まっていると聞きました。私はそれがいいとか悪いとか言うつもりはありませんが、どうして同じ時期に、あっちもこっちも閉めるのか理解できないということは申し上げたいと思います」と答えた。慎重に言葉を選んでの発言のように思えた。そしてマエストロは「日本人の精確さが影響して、みんな揃ってしまったということなのでしょうか」と付け加え、記者たちの笑いを誘った。とても賢明な対応だと感心した。劇場を閉めるのなら代替を用意するのは当たり前であり、劇場を一斉に閉めることにならないように調整する必要があることは、誰だって思うことだろう。それがなぜできなかったのか、その理由が一番の問題なのだ。
 ウィーン国立歌劇場日本公演を目前に控え、東京文化会館休館までのカウントダウンが始まっている。まだ改修工事の入札が始まったという話は聞かないが、建設の世界に詳しい人たちからは、工事は3年間で終わらないのではないかという空恐ろしい話が出ている。建設資材や人件費の高騰、人手不足などで、簡単に入札が成立しないのではないかということなのだ。隼町の国立劇場や中野サンプラザをはじめ、昨今、そうした事例が頻発しているらしい。3年間の休館でも死活問題なのに、それ以上延びたらいったいどうすればいいのか。我々には打つ手がないが、国や東京都は直面している劇場不足の深刻さをどこまで理解しているのだろうか。マス・メディアが劇場不足問題を報じても、その影響力が弱くなっているのを実感する。ネット上で無責任な情報が跳梁跋扈し、その勢いに押されて本質が見えなくなってしまっているのではないか。そもそも劇場文化の重要性が世の中にしっかり認識されていないとしか私には思えないのだ。舞台芸術は単なる娯楽ではなく、教育・経済・外交に資する社会的な基盤であることがどこまで理解されているのだろう。感性と創造性を育み、人材育成にも繋がっている。劇場は人と人とが集い、時間を共有し、目に見えない感動を交換し合う場である。デジタル技術が進化し、映像配信やAIが私たちの生活を変えていくなかにあっても、この根源的な体験は代替されることはないと思っている。
 東京文化会館が再開する日、私たちは休館前にも増して劇場を大切に思うだろう。その日まで、劇場という「場」の価値を忘れず、劇場文化が衰退しないように努力することが、我々オペラやバレエに携わる者に課せられた努めだと思っている。マエストロが言及したように「劇場を閉めることによって、より良く」なるなら、改修後にはこれまで以上に劇場が活況を呈すること期待して、長い休館期間を耐え忍ぶしかない。
 さて、東京文化会館が再開するときには、何を上演しようか...。

髙橋 典夫 NBS専務理事