ウィーン国立歌劇場日本公演を目前に控えた9月14日、朝日新聞朝刊のコラム「日曜に想う」に、ある日本のオーケストラが「衰退業界にようこそ!」とキャッチコピーをつけて求人をしていることが取り上げられていた。業界内で話題になっているという。「長い」「難しい」「堅苦しい」という三重苦のクラシック業界......。さっそく同オーケストラのホームページで確認してみると、その後に小さな文字で「マーケットは縮小中だけど、だからこそ自由な発想で何でもできる。チャレンジ好き集まれ!」と続いている。オーケストラやオペラ団、バレエ団などの運営に携わる者は、このキャッチコピーの裏にある疲労感や危機感を、少なからず共有しているのではないだろうか。逆説的に音楽業界に人材を勧誘しようとする意図は分からないではないが、いまのところ賛否両論の中でもどうやら否定的な意見が多いようだ。私も「衰退」という言葉に反応してしまった一人だ。「衰退業界」とは自虐的に表現しているだけだと思うものの、この業界で生計を立てている者として、仮に心の中で思っていたにしても、決して表に出すべきではないと私は思ってしまうのだ。この業界に携わる者全員にとって、「衰退」させてはならないというのが共通のミッションなのではないか。
ウィーン国立歌劇場日本公演の最初の演目『フィガロの結婚』を終えたばかりだが、この後『ばらの騎士』を控えていて、日々の現場対応に追われている。今回の日本公演は東京文化会館が来年5月に3年間の休館に入ることが決まっていることもあって、最後の「滑り込み需要」ではないが、連日、満員のお客さんで溢れている。オペラの引っ越し公演は"盛大なお祭り"であって、劇場は祝祭空間だから人間にはなくてはならないものだとあらためて感じている。私はNBSが海外からの芸術団体を招聘するたびに、つとめて各団体の代表者と意見交換しているのだが、今回はボクダン・ロシチッチ総裁と話をする機会をもった。ロシチッチ総裁は「ウィーンでは黙っていても観客が沸いて出てくると思われているかもしれないが、決してそんなことはない、さまざまな取り組みをして、毎公演100パーセント近い観客動員を実現している」という。日本でもオペラの観客の高齢化が進んでいるが、ウィーンでも同様で、さまざまな施策をやって、これまで平均年齢65歳だった観客層を59歳まで下げたと誇らしげに語っていた。今回上演した『フィガロの結婚』の演出も、伝統的な宮廷のような舞台装置と、現代のファッショナブルな衣裳を組み合わせていて、古い世代と新しい世代の観客、両方を取り込もうとする意図があるように私には思えた。ウィーン楽友協会の近くに新しく建てた250席の劇場NEST(ネスト)の話を持ち出し、国立歌劇場はフルに稼働しているから、「新しいレパートリーに取り組むための場所がない。若いアーティストや次世代の観客を育てるためにNESTをつくった」という。劇場文化を継続するためには、先々を見据えた新しい取り組みに挑戦し続けなければならないのだ。ウィーンと言えば音楽産業が活発だから、国外からも多くの人々が歌劇場を訪れるのかと思っていると、国外からは3分1、地元から3分2だという。それを年間350回程度の公演を行っている。「衰退」など決してあってはならないのだ。ロシチッチ総裁はレコード音楽業界出身のビジネスマンだが、昨年NBSが招聘した英国ロイヤル・オペラハウスのアレックス・ベアード総裁もビジネスマンで、劇場経営にもビジネス・センスを求められる時代になっているのは間違いない。
気がつけば私も長いことオペラやバレエの世界に生息し、さまざまなことを体験してきたつもりだが、つねに満席の観客動員を求められているロシッチ総裁の苦労は十分理解できる。その一方、ロシッチ総裁のほうは、オペラの引っ越し公演を実現する我々の苦労も共感をもって理解してくれている。同歌劇場の日本公演は当初2021年に予定していたが、コロナ禍によって実現できなかった。コロナ禍が終息した後も、オーケストラの楽員の間では、円安や航空運賃、宿泊ホテルの高騰などで、日本公演は実現できないのではないかと噂されていたようだ。同歌劇場の顔なじみの人々からは、「次はいつ日本に呼んでくれるのか?」と尋ねられる。私は決まって「東京文化会館が来年5月から3年間の予定で休館するので、いまは何も考えられない状態だ」と答えるのだが、東京文化会館が閉まる話はすでに世界中のアーティストたちの間で知れ渡っていて、その間NBSはどうするのかと、聞かれることが多いのだ。
私もオペラ引っ越し公演の黄金時代を体験している一人だが、引っ越し公演実現の困難さが増しているのは、日本の国自体が「衰退」していくのと軌を一にしているように思える。首都圏の劇場不足により、さらにオペラやバレエなどの舞台芸術が衰退していくのではないかと危機感を募らせているが、それでも何とかしなければならないというプレッシャーを私はつねに感じている。衰退させないことが、劇場文化に携わっている我々の使命だという自覚はあるから、衰退の兆候に対しては何としても抵抗し続けなければならないと思っている。本来、海外の文化国家なら、この分野は国や自治体などが支援してでも「衰退業界」にしないように守るはずだ。むろん、我々当事者のさらなる努力も必要だが、民間でできることには限度があるから、公的支援や企業、個人からのサポートがどうしても必要になる。劇場文化を繋いでいかなければ、やがては廃れてしまうだろう。「衰退業界」などと弱音を吐いてはいられないのだ。その時々で、できることに全力で取り組めば、きっと道は開けるはずだ。NBSの創設者・佐々木忠次はよく言っていた。「不可能なことを可能にするのが仕事であって、可能なことを可能にするのは仕事ではない」と。芸術はつねに逆境の中から新しい表現を生み出してきたが、人々の心が渇けば渇くほど、舞台芸術の必要性は高まると私は信じている。
『フィガロの結婚』の終演後、次々にホワイエに出てくる観客の高揚した表情を目にしていると、ここ数日、私の頭の片隅を占めていた「衰退業界」という文字が、徐々に薄れていくのを感じた。
髙橋 典夫 NBS専務理事