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NEW2026/03/18(水)Vol.538

新「起承転々」 漂流篇 vol.108 文化で稼げ
2026/03/18(水)
2026年03月18日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.108 文化で稼げ

文化で稼げ

 今年の球春はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で華々しく幕を開けた。私も先日、日本・韓国戦を観に東京ドームに行ってきた。ホームランが次から次へと飛び出し、点の取り合いの手に汗握るスリリングな試合だった。状況が変わるたびに一喜一憂する観客の一体感や熱量は、生でなければ味わえない醍醐味だ。スポーツの魅力はわかりやすい。勝つか負けるかの緊張感。そこにドラマが生まれヒーローが生まれるから、人々は熱狂する。今回のWBCは地上波での中継がなく、Netflixが有料で独占配信をしていて、私のような無料でのテレビ観戦が当たり前の世代にとっては複雑な気持ちになった。いずれにしても映像ではスタジアムの空気を伝えることはできない。あらためて、日韓戦の観客席にいて、ここでの感動は劇場で感じるものと似ていると思った。古代ギリシャの円形劇場でも、江戸時代の芝居小屋でも、人間がやってきたことは同じだ。人々が集まり、同じ物語を目撃し、同じ感情を共有する。人間は群れて感動したいのだ。大袈裟な物言いかもしれないが、人が人であることを確認する場所といえるのではないか。東京ドームで観客の熱狂を目の当たりにして、このエネルギーが劇場にも欲しいと思った。スポーツと舞台芸術、どちらもライブであり、人間の身体が生み出す奇跡を見せてくれる。
 冬季オリンピックが終わり、野球のWBCがあり、6~7月にはサッカーのワールドカップが控えている。前々回のコラムに書いたが、スポーツはますます盛り上がり、一方、バレエやオペラはメディアの関心が薄いせいか、注目を集める機会が少ない。
 最近、文化関連で少し気になるニュースが続いた。Yahoo!ニュースが3月7日配信したTHE Hollywood REPORTERによれば、俳優のティモシー・シャラメが「ぼくはバレエやオペラの世界で働きたくない。『もう誰も気にしていないけれど、とにかく存続させようとする感じの世界だから』」と語った部分がSNSで拡散され、オペラ界やバレエ界から反発の声が相次いだという。英国ロイヤル・バレエ&オペラは「バレエとオペラは孤立した芸術ではありません。演劇、映画、現代音楽、ファッションなど、さまざまな分野に影響を与え続けてきました。何世紀にもわたり文化の形成に関わり、現在も世界中で何百万人もの観客が楽しんでいます」と反論した。また、カナダのオペラ歌手、ディーパ・ジョニーも「生の舞台、バレエ、オペラのもつ魔法のような体験に勝るものはない。こうした芸術を支え、分野を超えて高め合うべきだ」と訴えた。アイルランドのオペラ歌手ショーン・テスターもSNSで、「人気の有無と文化的価値を混同した見方だ」と批判。「オペラやバレエは時代遅れではなく、常に再解釈され進化し続ける芸術だ」と強調した。私もまったくロイヤル・バレエ&オペラや歌手たちの反論に同感だが、気になるのはシャラメの言葉が妙に人々の共感を呼んだように思えることだ。ただ、人気スターの発言が物議を醸しているものの、実際に舞台に関わっている人からの反論によって、バレエやオペラが正しく理解されるきっかけになるならば悪いことではないのではないか。むしろ、発信力のある人たちによって議論が広がるのは歓迎すべきことだと私は思っている。
 そんなバレエやオペラの価値をめぐって世界的に注目されているときに、国内ではいくつものメディアが、文化庁が来年度から5年間の次期中期目標として収支均衡を目指した数値を定めたことを報じたことから波紋が広がっている。展示事業に収入目標が設定され、自己収入比率を最終年度(2030年度)までに65パーセント以上にすることが求められているのだ。未達成の館に対しては再編を検討、さらには訪日客らの入館料を割高にする「二重価格」導入といった、踏み込んだ目標が示されている。現在は平均して50パーセント程度が入館料や売上などの自己収入だが、目標ではこれを65パーセント以上に引き上げるという。来館者数についても、それぞれ昨年度実績の1.5~3倍を目指すことになるようだ。「稼ぐ努力」を強いるものだ。
 「文化で稼げ」は我々の舞台芸術の世界にも国から(どうやら財務省や経産省らしいが)圧力をかけられている方針だが、博物館や美術館など稼げない公共施設のリストラを図る狙いがあるのではないだろうか。税金を使って運営している以上、ある程度の自立性を求めるという理屈はわからなくはない。行政が考えそうなことだ。この博物館や美術館に対する行政の発想は、我々にとって対岸の火事とは思えない。文化で稼げる分野とそうでない分野がある。アニメやゲーム、漫画や映画などは稼げるかもしれないが、そもそもバレエやオペラは入場料収入だけではまかなえず、国や自治体などからの助成がなければ成立しない分野だ。我々は稼ぐ努力を続けているものの、海外のオペラハウスの例で明らかなように、バレエやオペラは稼ぐどころか公的資金によってどうにか支えられている。加えて言えば、いま我々が直面している首都圏の劇場不足といった環境の変化は我々の努力だけではいかんともしがたい。劇場不足が実際に与える影響について、いったい行政はどれくらい理解してくれているのか疑わしい。稼ぐどころか、存続のために行政から守ってもらわなくてはならない状況なのだ。
 言うまでもなく、文化は短期的な利益を目的として存在するものではない。長い時間をかけて社会の精神を形づくるものであり、その価値は数字に換算しにくいものだ。もし収益性だけで文化を測るなら、舞台芸術の世界に引き寄せて言えば、多くのオペラハウスはとっくの昔に消えていたはずではないか。ヨーロッパの主要都市では、オペラハウスや劇場は都市の誇りとして大切に守られている。政府や自治体が多額の公的支援を行うのも、文化が社会の基盤だという共通認識があるからだ。
 霞が関にある文部科学省の建物正面にある銘板には、真ん中が文部科学省、その銘板をはさんで二回りほど小さいサイズで右側に文化庁、左側にスポーツ庁の銘板がかかっている。スポーツは活況を呈している一方、私には文化がなおざりになっているように思えて仕方ない。文科省として今の状況なら「プロ・スポーツで稼げ、その稼ぎを文化に回せ」と言って欲しいくらいだ。文化の分野でも置かれている状況はそれぞれで違うのだから、努力目標を一律に押し付けるのではなく、もっときめ細かく対応してもらいたいものだ。現場からの声を吸い上げれば、もっと実態に合った解決策が見出せるのではないかと思うからだ。
 ちなみに、WBCの日本代表は3月15日の準々決勝でヒリヒリしたシーソーゲームの末、ベネズエラに5対8で敗れてしまった。残念だが勝負は時の運。心を掻き乱されるから、試合に熱中する。一期一会のバレエやオペラの舞台だって同じだ。何ものにも代えがたい時間と空間が約束されているのだから。

髙橋 典夫 NBS専務理事