NBS News Web Magazine
NBS日本舞台芸術振興会
毎月第1水曜日と第3水曜日更新

NEW2026/04/15(水)Vol.540

新「起承転々」 風雲篇 vol.109 ソフトパワー
2026/04/15(水)
2026年04月15日号
起承転々
連載

新「起承転々」 風雲篇 vol.109 ソフトパワー

ソフトパワー

 私がこのコラムを書き出したのが、2017年の4月だから、今号でちょうど9年目になる。NBS/東京バレエ団の創立者の佐々木忠次が1989年から19年間「起承転々」と題して毎月NBSニュースに連載していたのだが、私が書き継ぐにあたって、佐々木が続けてきた「起承転々」というタイトルはそのままに、先が読めない心もとなさもあって、「漂流篇」と付け加えることにしたのだった。この5月から当方が活動の本拠にしてきた東京文化会館が3年間の工事休館に入ることは、我々にとって生死を分けるくらいの大きな節目だ。これからは「漂流」どころではなく地獄の蓋が開くようなものだから「地獄篇」にしようと思ったのだが、さすがに周囲から反対された。それならばと、この3年間はいつ「風雲急を告げる」事態に陥っても不思議ではないからと思い、今号から「風雲篇」に改めることにした。東京文化会館が無事再開したときに、まだこのコラムが続いているならば、「風雲篇」から他の名称に変えたいと思っている。いずれにしても当面、本コラムを引き続きご愛読いただけると嬉しい。
 去る4月9日、東京バレエ団海外公演の記者会見を開いた。東京バレエ団はこれまで36次にわたり、33カ国158都市で799回公演しているが、今年の12月にはイタリアで海外公演通算800回を達成すること、来年5月にはパリ・オペラ座(ガルニエ宮)で金森穣振付の『かぐや姫』を上演することを発表させていただいたのだ。
 パリ・オペラ座はフランスの文化の象徴的存在で、劇場の外観も内観の豪華さも広く知れ渡っているからご存じの方が多いだろうが、あの劇場で『かぐや姫』を5回上演するのである。パリ・オペラ座といえば世界のバレエ界における最高峰であることは言うまでもない。その劇場からシーズン・プログラムの一つとして正式に招待されたのである。自己宣伝との誹りを受けるかもしれないが、長年にわたり積み上げてきた東京バレエ団の活動実績が、国際的に評価され、一つの到達点に達したことを意味する出来事だと自負している。これまで東京バレエ団は過去3度パリ・オペラ座に出演しているし、フランスの22都市で108回公演しているから、フランス国内での評価は定まっている。初めてガルニエ宮に出演したのは1986年のベジャール振付の『ザ・カブキ』を携えて。2度目は1993年のベジャール振付の三島由紀夫をモチーフにした『M』。そして3度目は、2012年のベジャール振付の『ザ・カブキ』の再演だった。すべてフランス人のベジャール作品である。創立者の佐々木から海外公演をやっていると、どうして日本人の振付家の作品をもってこないのかと問われることが多いとたびたび聞かされていた。日本人の振付家の作品をもって海外公演を行うことは、私に託された佐々木の夢でもあったのだ。
 金森穣振付の『かぐや姫』は、日本最古の物語に、スタッフ、キャストともにオール・ジャパンで挑んだ"純国産"のオリジナル全幕作品だ。世界最高峰のバレエの殿堂、パリ・オペラ座から招待されて、「メイド・イン・ジャパン」のバレエが上演されることは、手前味噌かもしれないが、日本のバレエ界にとって一つの金字塔といって過言ではないと思っている。最近、Netflixが配信しているアニメ映画「超かぐや姫!」が若者を中心に話題になっているようだが、日本古来の物語を題材とし、日本人の感性によって再構築された作品が、バレエという西洋発祥の芸術形式を通して世界に提示されることになる。これまでの日本が単に受容者であった段階を超え、今回、創造者として独自の文化的発信を行うことは画期的な出来事だろう。
 このところ、本コラムで舞台芸術を取り巻く環境がいっそう厳しくなっていることを取り上げてきた。首都圏の劇場不足問題や国立の博物館・美術館に対する収益目標の設定、神戸市室内管弦楽団への補助金打ち切りも含めた抜本的な見直し、そして新潟のNoism Company Niigataのケースもそうかもしれないが、すべて文化行政にからむ問題なのではないかと思っている。私には芸術文化軽視の流れが進んでいるように思えるのだが、一方では東京バレエ団の海外公演のように国からの助成金なくしては実現できない事業もある。今年12月のイタリア・ツアーなど「クリエイター等育成・文化施設高付加価値化支援事業」の助成を日本芸術文化振興会から受けているが、国からの助成による成果であることを、もっと一般にアピールする必要もあるだろう。
 日々のニュースを見渡せば、スポーツの話題は実に豊富である。野球、サッカー、バスケットボール、オリンピック競技に至るまで、日本人選手の活躍は大きく報じられ、勝敗の一つひとつに国民が一喜一憂している。その一方で、舞台芸術、とりわけバレエやオペラ、演劇といった分野は、国内でどれほど優れた公演が行われようとも、それが一般ニュースとして扱われる機会は限られている。これは単にメディアの問題ではない。社会全体の価値観が、目に見える成果や分かりやすい競争の構図を優先し、時間をかけて醸成される地味な芸術の価値をなおざりにしているように思える。近年その傾向がますます強まっているように私には感じられる。その意味で、来年5月に予定されている『かぐや姫』のパリ・オペラ座での上演は、きわめて象徴的な出来事であり、日本の舞台芸術史的にも特筆すべきことだと思うので、このニュースが人々の関心を舞台芸術に向けさせる機会になればと願っている。
 アメリカの国際政治学者ジョセフ・ナイは軍事力や経済力などの「ハードパワー」ではなく、価値観や文化などを通じて他の国や国民を引きつける「ソフトパワー」の重要性を提唱したが、この『かぐや姫』のパリ・オペラ座公演こそ、文化交流、芸術の質、そして文化外交などといった点でわが国のブランディングに貢献できるのではないだろうか。スポーツなどよりも芸術文化の方がソフトパワーとして有効かもしれない。
 メディアにはこの機会を積極的に捉えて、日本の文化行政にプラスになるよう報道してほしい。単なる公演情報としてではなく、その背景にある舞台芸術の歴史や意義、日本のバレエが歩んできた道のりを多くの人々に伝えることで、新たな視点を提供できるはずだと思うのだ。スポーツのように勝敗や記録の更新だけではなく、目に見えにくいが確かに存在する文化的達成に目を向けることが、AI時代のこれからの日本にとって、少なからぬ意味をもつと私は信じる。文化芸術を軽んじる社会に、豊かな未来はない。この『かぐや姫』のパリ・オペラ座公演が、多くのメディアに大きく取り上げられることによって、舞台芸術に携わる日本人アーティストに光があたり、国内のみならず世界から注目されるきっかけになれば望外の喜びだ。

髙橋 典夫 NBS専務理事