暑くて熱い"バレエの夏"が、いま真っ盛りだ。7月3日から12日までの英国ロイヤル・バレエ団の後、東京バレエ団の「はじめてのバレエ『白鳥の湖』」を携えて、7月22日の福岡を皮切りに、高松、津、高槻、東大阪と回った。8月3日からはめぐろパーシモンホールで14年続いている〈めぐろバレエ祭り〉があった。その後には、8月19日から昭和女子大学 人見記念講堂でパリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちによる〈エスプリ・ドゥ・ラ・ダンス〉が5公演、8月26日から新国立劇場 オペラパレスで東京バレエ団の『海賊』が5公演。その10日後の9月9日からは同じく新国立劇場で『白鳥の湖』が6公演控えている。戦(いくさ)に次ぐ戦で、まさに"NBSバレエ夏の陣"だ。
終わったばかりの〈めぐろバレエ祭り〉を振り返ると、「はじめてのバレエ『白鳥の湖』」5公演のほか、さまざまなバレエ・イベントを開催したが、東京バレエ学校の〈スクール・パフォーマンス〉もあった。東京バレエ学校の運営もNBSの事業だから、私も職務上、毎回観ているのだが、3歳から19歳までの子どもや青少年たちが一所懸命に踊るのを観るのは微笑ましいかぎりだ。緊張で身体が硬直している子もいれば、少し振りを間違える子もいる。音楽に遅れまいと、必死に身体を動かしている子もいる。人間の肉体的な成長の過程が、年齢により訓練により具体的にわかる。特に小さな子どもたちの動きは、身体を使って何かを成し遂げようとする、極めて人間の原始的で本質的な姿のように私には思えた。
〈スクール・パフォーマンス〉で懸命に踊っている子どもたちの様子から、つい彼らが大人になってバリバリ働くころには日本はどうなっているだろうと思いを巡らせてしまった。メディアがAI関連のニュースを報じない日はないくらいだが、進化するAIと人間との関係、今後の世界がどう変わっていくのかは、一抹の怖れとともに関心を寄せずにはいられない。私は典型的なアナクロ人間だが、AIに関しては2~3周の周回遅れを自認しているだけに、トボトボと蹌踉とした足どりであっても何とかついていかなければという強迫観念に苛まれている。そんなことから、ChatGPTで一躍名を馳せたOpenAIのCEOサム・アルトマンに興味がわき、彼の評伝『サム・アルトマン「生成AI」で世界を手にした起業家の野望』(NewsPicks パブリッシング社刊/キーチ・ヘイギー著、櫻井祐子訳)を読んでみた。アルトマンを一言で表せば、「AIという人類史上最大級の技術を、どういう組織形態で、誰のために発展させるのか」という問題に、経営者として取り組んできた人物ということになるだろう。アルトマンはまだ41歳の若さだ。彼は権力を手に入れるのがうまく、「歴史上の偉人」になることをめざし、功名争いをしているように私には思える。アルトマンは彼のエッセイにこう記しているようだ。「これは歴史全体における最も重大な事実になるかもしれない。人類は数千日以内(!)に超知能を手に入れる可能性がある。もっと時間がかかるかもしれないが、必ずそこに到達できると確信している」。超知能とは、ほぼあらゆる知的分野で、人間を大幅に上回るAIのことだが、人間がAIをコントロールできるのか、AIが勝手に暴走しないために、今後、AIにどのような価値観や目的をもたせるのかということが重要な課題になるようだ。
最近、私の目に留まった新聞記事から刺激的な言葉を拾ってみた。7月29日付け朝日新聞朝刊の元欧州議会議員・テック政策研究者マリエッチェ・スハーケ女史によれば、「有権者に選ばれたわけでもない企業が、監視や抑制もないまま、正当なプロセスを経ずに国家権力を奪取してしまっている。これはまさにクーデターです」と主張しているし、8月1日付け同紙朝刊には米国AI研究者・機械知能研究所(MIRI)のネイト・ソアレス所長が「リスクが認識されていながら、止まる気配のないAI(人口知能)の開発競争。このまま人間を上回る「超知能」が実現すれば、人類は絶滅しかねない」と警鐘を鳴らしていると記されていた。私の想像を超える物騒な話ばかりだが、どうやら、こうした状況が現在着実に進行しているということだ。
また8月10日付け同紙朝刊の「AI活用 子どもの未来を見て模索を」の見出しのついた記事には、経済協力開発機構(OECD)のアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長の言葉として、「子どもたちは、好奇心と主体性を自分で育ててください。これが本当に重要です。学びは誰かに与えられるものではなく、自分で選びつかみとるものです。かつては働くために学んでいましたが、今は生涯にわたって学ぶことが仕事です」とあった。
AIが発達すればするほど、人間は「自分でやってみる」という経験を失う危険性がある。自分でやってみなければ失敗することもない。失敗しなければ悔しさもない。悔しさがなければ、それを乗り越えたときの喜びもない。つまり、失敗を過剰に避けようとすることは、成長の機会まで潰してしまうことになりかねないということだ。「できない時間」を経験することは成長のうえで大きな意味があるのだ。
突き詰めれば、AIが人間より賢くなったとき、人間には何が残るのかということではないか。すでに昨年5月には国際労働機関(ILO)が「世界の労働の4分の1はが生成AIに代わる可能性がある」と指摘しているという。AIが進化すればするほど、バーチャルの世界が普段の生活の中に入り込むに違いないが、そうなれば人間が人間であることを証明しなければならなくなる時代が来るのではないか。今後はAIを使う力と同時に、AIには代替できない人間力を育てなければならないということだろう。「身体で覚えること」や「心で感じること」の価値がより高く見直されるのではないかと私は思っている。我々の世界に引き寄せて言えば、芸術文化の価値を考えるとき、すぐに答えが出るものではないにしても、「目に見えない教育効果」をもっと社会全体で評価していいのではないかと思うのだ。
東京バレエ学校の〈スクール・パフォーマンス〉の舞台に立っていた子どもたちはこれからどんな人生を歩むことになるのだろう。AI時代の彼らの未来がどんなものになるのかは、周回遅れの私にはまったく想像がつかない。ただ、身体で触れる文化芸術は人間が人間らしく成長するための基礎になるものではないか。これからのAI時代には、人間にしかできない「感じる、共感する、身体で経験する、他者との関係を築く」という能力が重要になると私は信じている。これからの日本の教育や文化政策を考えるうえで、この視点は重要だと思うのだが、どうだろう。
私がおこがましくも本コラムでたびたび取り上げてきた劇場文化を理解してもらうことも、舞台芸術を支援することも、子どもたちが文化芸術に触れる機会を増やすことも、単に文化芸術を守るということだけではない。将来の日本社会を支える人間を育てることに繋がるのではないかと思ってのことだ。身体を鍛えながら考えるということが、ますます重要になるのではないか。〈スクール・パフォーマンス〉を観ていて、彼らはこれからのAI時代を生き抜くために必要なものを、すでに年齢相応に身体で学び始めているかもしれないと感じた。
髙橋 典夫 NBS専務理事