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2021/07/21(水)Vol.426

愛か贅沢な暮らしか?
『マノン・レスコー』を聴いて方針を決めよう
2021/07/21(水)
2021年07月21日号
オペラはなにがおもしろい
特集

愛か贅沢な暮らしか?
『マノン・レスコー』を聴いて方針を決めよう

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

ざっくり、こんな作品

  • 修道院に送られそうになっているマノンは「見たこともない美人」だった。2人の男がさらおうとする。若い騎士と金持ちの老人だ。この時、愛か贅沢かの選択が始まった。マノンは若い騎士デ・グリューと逃げた。愛を選んだのだ。すぐに考え直して金持ちの老人のもとに走り、贅沢な暮らしをしていたが、愛する男がなつかしくなった。だが今度の鞍替えはうまくいかない。罪を着せられ、流刑地アメリカに送られることになったマノンを、デ・グリューは見捨てなかった。愛を選んだマノンが死を迎えたのはアメリカの砂漠だった。愛する相手の腕の中で、マノンは息絶える。
  • プッチーニ作曲、レオンカヴァッロ、プラーガほか作詞、全3幕/イタリア語/1893年、トリノ王立歌劇場初演

聴いてびっくり


人はこんなに情熱的に歌うものだろうか? 激しいなんてものじゃない。常規を逸しているといってもいいくらいだ。第3幕の終わりで、流刑地に向かう船にマノンが囚人として乗せられた時、デ・グリューが歌う。力のあるテノールが歌ったら、歌われた者はなんでも聞き入れるだろうと信じてしまう。実際船長はデ・グリューの願いを聞き届けて、デ・グリューはアメリカ行きの船に乗り込む。プッチーニは人の気持ちを動かす歌を作れる音楽家なのだと、この歌が証明した。作られて120年以上経ったいまでも、人を驚かせる歌だ。

見てびっくり


さっさと逃げればいいのに! と客席で苛立っても空しい。恋人と一緒に逃げようと決めたのに、マノンは宝石やら何やらに執着する。第2幕で、マノンは金持ちの豪邸を去ろうとしているが、追っ手が迫っていた。さっさと逃げればいいのだが、もう間に合わない。大変だ、どうしよう! とあおりたてるような音楽が鳴り響く中で、愛を選びながら贅沢好きでもあるマノンの本性が露わになる。

写真1)
写真2)

写真1) マノンはいい暮らしがしたい、という愛すべき望みを持っていた。第2幕ではその望みをかなえている。

写真2) 捕らえられたマノンをデ・グリューは救い出せない。できるのはなんとか流刑地について行くことだけ。デ・グリューは本当について行く。

[ローマ歌劇場2018年日本公演『マノン・レスコー』より]
Photos: Kiyonori Hasegawa

この人を聴け


デ・グリューの恐ろしいほど情熱的な歌があっても、このオペラの主役はマノン・レスコーだ。原作であるフランスの小説で描かれるマノンは男を惑わす魔性の女だが、プッチーニのオペラのマノンは違う。第2幕で歌われる「柔らかなレースに包まれても」で。この贅沢好きな女性が、本当は愛を求める女なのだと高らかに告げられる。そして第3幕の「ただひとり、迷い、捨てられて」の歌だ。

第3幕のデ・グリューの歌をしのぐほど悲痛で、常規を逸している。水を求めてデ・グリューが離れ、砂漠でひとりきりになったマノンが、この絶望のアリアを歌う。砂漠で水がなく、苦しんでもうすぐ死んでしまう、という気の毒なマノンが歌うのに、歌われた後、客席に歓喜渦巻くのは珍しくない。

鍵言葉キーワード

美少女 乗合馬車の発着所に現れたマノンは美女、というより美少女だった。オペラ『マノン』は美貌の若い女をめぐって繰り広げられる。美貌が意味を持つ時代だった。
18世紀 マノンのエピソードが含まれるアベ・プレヴォーの〈ある貴族の回想〉が出版されたのは1731年だった。大貴族や金持ちが力を持ち、女性は美貌が大事で、社会的に差別される18世紀だったのが、オペラからもよくわかる。
柔らかいレース マノンが第2幕で歌う「柔らかなレースに包まれても」のレースは、下着や帽子ではなくてカーテンだ。レースのカーテンは豪奢な暮らしのシンボルということになる。18世紀の話だ。
流刑地 罪を犯した娼婦としてマノンが送られる流刑地はアメリカだ。マノンが命を落としたのはフランス領野、ニューオーリンズに近い砂漠だった。当時のパリで「アメリカ送りにしてやるぞ」と言われた人は震え上がったに違いない。

監修:堀内修