オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
「私は街のなんでも屋」を歌ってフィガロがさっそうと登場すると、誰もがこのオペラ一番の知恵者が出てきたと思う。ところがこの後ロジーナが出て来て「今の歌声は」を歌い始めるとびっくりする。意志の強さとあふれる知性に圧倒されてしまうからだ。フィガロをしのぐだけじゃない。ロジーナは意志と知性においてオペラの世界に君臨するとびきりのヒロインであるのを、この歌で証明する。いま聴いた恋の歌にかきたてられ、自分も恋心を歌い始めるだけだって、その感受性に感心させられるのだけれど、歌はどんどん進んで、変幻自在の魅力的な女性の全体像を明らかにしていく。もちろん歌の技だって、惚れ惚れするくらい高度だ。ロジーナは窓の下で歌った青年に恋し、客席にいる者はロジーナに恋する。
伯爵とロジーナの仲を取り持とうと、フィガロはロジーナに手紙を書くよう勧める。その時の返事にフィガロは驚くが、見ている者も驚く。もう手紙が書き上げられていたからだ。そういえば「いまの歌声は」を歌う時のロジーナは手紙を書いていた。恋の歌を聴き、歌い手に恋した若い娘は、すぐに恋文を書いていたわけだ。オペラを聴いている時は何気なく通り過ぎていく場面だけれど、よく考えると驚くべき場面ではないだろうか? ロジーナの恋はフィガロたちに導かれてではなく、ロジーナ自身の意志で成就する。
●初演のポスター
ローマのアルジェンティナ劇場で1816年に初演された時のポスターには『セビリャの理髪師』とは記されていない。タイトルは「アルマヴィーヴァ、または無益な用心」だったのだ。先輩パイジェルロのオペラがすでにあったので、ファンの反感を買うのを怖れて別の題名にしたのだが、それでも反対派によって初演は大なしにされた。題名変更は無益な用心だったのだ。
●ジェルトルーデ・リゲッティ
1816年の初演でロジーナを歌ったのはジェルトルーデ・リゲッティだった。ロッシーニの子どものころからの友達で、歌をよく理解し、ロッシーニに影響を与えたという。この知的なアルト歌手は、『チェネレントラ』の初演でも主役のアンジェリーナを歌った。昔の歌手で、活動期間も短かったのだけれど、彼女の魅力は2つの至難の役によっていまに伝えられている。
なんて破天荒で、なんて無意味なんだろう? ロジーナの音楽教師バジリオが歌う「かげ口はそよ風のように」を聴いて微笑む者はいない。哄笑する。医師バルトロに、アルマヴィーヴァ伯爵が出没しているから用心するように勧め、伯爵をロジーナに近づけないようにかげ口を提案する歌なのだけれど、まるごと「ロッシーニ・クレシェンド」なのだ。そよ風が次第に大きくなって、とんでもない嵐になるのが歌で描かれる。『セビリャの理髪師』が喜劇の中の喜劇であるのは、この歌を聴けばわかる。どう見てもバジリオは上品とはいえないこのオペラの脇役なのだけれど、好きにならずにはいられない。
玉の輿 | ロジーナは伯爵と結婚し、玉の輿に乗る。といっても狙っていたわけではなくて、第2幕の終わりまで、恋する相手を学生だと思っていた。たまたま玉の輿だったわけだ。 |
伯爵夫人 | 原作となったフランスの劇作家ボーマルシェの戯曲は3部作で、第1部の〈セビリャの理髪師〉の後、第2部の〈フィガロの結婚〉に続く。作られた順番は逆だが、モーツァルトがこの第2部をオペラ化している。〈フィガロの結婚〉の伯爵夫人はロジーナなのだ。こちらのロジーナは憂いに沈んでいる。どうやらロジーナと伯爵の結婚は大成功ではなかったようだ。 |
転がる声 | ドラマもころころ転がるけれど、このオペラでは声もまた実にころころと転がる。圧巻はロジーナの歌だが、伯爵も転がす。伯爵が歌うしめくくりの歌は、あまりにも難しいので初演後すぐにカットされ、150年ものあいだ歌われなかった。いまでは聴きどころになっている。 |
嵐とシャーベット | 『セビリャの理髪師』には一息入れてもいい場面が2つある。大団円の前の「嵐の音楽」と、地味な脇役であるバルトロの家の使用人ベルタが歌う「じいさんは妻を求め」のアリアだ。どちらも意味ないが面白い。ベルタの歌は「シャーベット・アリア」と呼ばれ、昔はここでシャーベットを食べ、口直しをしたのだそうな。 |
監修:堀内修