2022/01/19(水)Vol.438
2022/01/19(水) | |
2022年01月19日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
わあ、大変だ! 結婚式で青ざめた花嫁が絶望して結婚誓約書に署名する光景だけだってびっくりするのに、署名した直後、いきりたった花嫁の恋人が乗り込んで来るのだから、驚かないほうがおかしい。迎え討つ花嫁の一族が逆上して剣に手をかけ、乱入したエドガルドは敵だけでなく、裏切ったルチアにも怒りをぶつける。悲痛な声をあげるのはもちろんルチアだ。上を下への大騒ぎが繰り広げられるが、驚くべきはこの声の乱闘みたいな六重唱が、大混乱であると同時に整然としていることだ。6人の歌は争い合いながら調和する。もしかしたら乱闘騒ぎの結婚式に出喰わす機会があるかもしれないが、この上なく激しく、この上なく調和する歌の乱闘が味わえるのは『ルチア』の舞台をおいてない。
エドガルドが引き上げ、騒ぎがおさまったかと思ったのも束の間だった。とんでもない騒ぎは前座に過ぎなかったのだ。いよいよオペラ『ルチア』の大騒動の本番が始まる。「狂乱の場」だ。祝宴の客たちの前に、寝室でめでたく初夜を迎えているはずのルチアが姿を現わす。血まみれで、足許がふらついている。歌い出してすぐ、客はルチアが尋常でないのに気づく。絶望の果てに夫を刺し殺した女が尋常のはずはない。涙を誘うのは幸福だった時の思い出を歌うルチアだが、圧倒されるのはいうまでもなく狂乱そのものを歌うルチアだ。声の遊びのようなコロラトゥーラの技は、ここで悲しみの極みの狂気と結びつく。聴く者はルチアの運命に同情して涙をぬぐい、ソプラノの声の技に陶酔して大喜びする。
ルチアが狂乱して死んだ後もオペラは終らない。『ルチア』はエドガルドの絶望と死の歌でしめくくられる。といっても歌われるのは涙にくれる歌なんかじゃない。テノールの名アリアとして知られる「わが祖先の墓よ」に始まるエドガルドの歌が到達するのは「神のもとへと翼を広げた君よ」の晴れ晴れとした希望だ。聴けば誰だって、エドガルドが神のもとで愛するルチアと一緒になれるのを確信するだろう。もちろんテノールがどう歌うかによるのだけれど......。
泉の亡霊 | ルチアがエドガルドと会う泉の畔には、昔嫉妬した男に殺された女の亡霊が出るという。 |
レーヴェンスウッド城 | 舞台となるスコットランドのレーヴェンスウッド城は、いかにも亡霊が出そうな城だ。いまはルチアの亡霊が出るはず。 |
吐息 | 第1幕でルチアとエドガルドが歌う「吐息はそよ風に乗って」の二重唱は、このオペラの中で最も甘い。悲劇はこの甘い二重唱あってこそ苦くなる。 |
偽の手紙 | ルチアは恋人から届いたという偽の手紙にコロリと騙される。手紙は、そしてメールも気をつけて読まなければならない。 |
署名 | うっかり署名さえしなければ、ルチアはエドガルドに申し開きができて、悲劇は避けられただろう。サインの前にはよく考えてみること。『ルチア』は実用のオペラだ。 |
新夫 | アルトゥーロは結婚以外罪を犯していないし、歌だって少ない。それなのに惨殺される。本当の悲劇の主人公は、このように地味なのかもしれない。 |
初夜 | 「新婚初夜」が死語になったきっかけは、ひょっとしたら『ルチア』だったんだろうか? |
監修:堀内修