オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
さあ、こしらえた詩を歌ってごらんなさい! と言われ、スザンナの伴奏でケルビーノが伯爵夫人に歌いかける。「恋とはどんなものなのでしょうか?」可愛らしい歌だがそれだけじゃない。聴いている客席の人たちがその気になる。歌いかけられた伯爵夫人はもっとその気になる。すぐにスザンナを衣裳部屋に追いやって、ケルビーノと二人きりになろうとする。モーツァルトのオペラの歌の本領が発揮される歌なのだ。ある時は喜び、ある時は苦しみ、ため息をついて胸がうち震える......人たちで客席がいっぱいになる。もちろんケルビーノを歌うソプラノあるいはメゾ・ソプラノ次第なのだけれど。(第2幕)
借りた金が返せない時は結婚します。フィガロが書いた証文のおかげで裁判が始まる。これからスザンナと結婚しようとしているのに、女中頭マルチェリーナから横やりが入ったのだ。さあどうなる? 判決を下すのはスザンナに気がある伯爵で、マルチェリーナを応援するのはフィガロにうらみがある医師バルトロなのだから、フィガロとスザンナは分が悪い。ところがフィガロが捨て子だともらしたことで事態は一転する。作曲したモーツァルト自身が大好きだったという六重唱で、危機は愉快な出来事に一変する。なんと訴えていたマルチェリーナがフィガロの実の母親で、医師バルトロが実の父親だと判明してしまう。抱腹絶倒の六重唱は、喜劇『フィガロの結婚』の頂点を築く。(第3幕)
伯爵夫人の寝室で、小姓ケルビーノは自作の愛の歌を伯爵夫人に聴かせる。小間使いスザンナがギターで伴奏している。寝室なので当然ベッドがある。ケルビーノは少年だが女性が歌う。あぶない場面、そしてあぶない『フィガロの結婚』を、英国ロイヤル・オペラは1992年に東京で上演している。
[1992年英国ロイヤル・オペラ日本公演『フィガロの結婚』より]
Photo: Kiyonori Hasegawa
第4幕の冒頭で少女バルバリーナが歌う「失くしてしまったの」はとても短く、2分とかからない。ところがなぜか印象的なのだ。少女が失くしたのは手紙にさしてあったピンで、たいしたものじゃない。でも、聴けば少女が何を失ったのか明らかだ。おかげでこれぞ「喪失の歌」の極致だという見方もされる。またこの「喪失」はもう一つの喪失の歌である第2幕冒頭の、伯爵夫人のアリアと通じている。こちらは夫の愛が失われたのを嘆くアリアだ。どちらも真剣な愛の歌なのだけれど、伯爵夫人は小姓に関心を持ち、バルバリーナは小姓とも伯爵ともあやしい。「真実の愛」が重視される時代が迫ってきてはいるけれど、『フィガロの結婚』は18世紀の「たわむれの恋」の時代に属している。バルバリーナは失くしてしまって悲しんでいるのだが、一方で嬉しい気持ちや誇らしい気持ちも混じっていそう。21世紀にはそんな歌い方も増えている。
謝罪 | 伯爵が伯爵夫人にひざまずいて赦しを乞い、『フィガロの結婚』は締めくくられる。この浮気をした男の謝罪がシュトラウスⅡ世『こうもり』、R.シュトラウス『アラベラ』へと引き継がれるウィーンのオペラの伝統になる。 |
大革命 | たわむれの恋と無縁な登場人物がひとりだけいる。フィガロだ。歴史を引っくり返すフランス大革命の担い手は市民代表のフィガロで、この時もうスザンナを真面目に恋していた。 |
ズボン | ケルビーノは女声の役で、ズボン役と呼ばれる。男なのだが途中で女装する女性というややこしい設定だ。このころズボンは男のはくものだったけれど、今では男女を問わない。性の交替はもう時代遅れなのか、それとも『フィガロの結婚』が時代の先端をいっていた証しなのだろうか。 |
セビリャ | 『フィガロの結婚』はセビリャのアルマヴィーヴァ伯爵の館で繰り広げられる。このオペラがロッシーニ『セビリャの理髪師』の続編ー作曲されるのは『フィガロ』より後だがーであるのが、登場人物からも舞台となる場所からもわかる。 |
監修:堀内修