オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
シャルロットと再会したウェルテルが、うながされるまま、自分が翻訳している詩を詠み始める。はじめは静かに、やがて高まる感情に身を委ねるように。「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか?」 テノールの歌う最も抒情的なアリアのひとつは、理想的なオペラ・アリアの性格を備えている。歌い手の高揚は、それを聴くシャルロットの心を高揚させ、ドラマを動かす。このアリアにふさわしいテノール〜昔ならクラウス、今ならフローレスのような〜が歌えば、シャルロットだけでなく、客席のすべての人が心を高揚させてしまうだろう。
アリアが輝かしい高音に到達して終わると、ウェルテルは遂に愛を告白する。シャルロットは超人的な力でこれを拒絶するのだが、ウェルテルを愛してしまったのは歴然としている。ここでオペラ『ウェルテル』は原作であるゲーテの《若きウェルテルの悩み》とは別の道に入っていく。このアリアが変えてしまったのだ。ウェルテルは失恋する。だがオペラ『ウェルテル』において、二人は愛し合っている。
ハープと弦楽器が月の光を降らせる中、ウェルテルとシャルロットが舞踏会から帰ってくる。憂いを帯びた響きが夏の夜の官能を高めて、マスネの魔法が二人の気持ちをかき立てる。第1幕だからシャルロットは独身で、ウェルテルに遠慮はいらない。興奮を抑えられなくたってかまやしない。マスネ得意のかき立てる音楽が、二人を思い切り接近させていく。目をつぶったって月の光に照らされた恋する二人の情景がまざまざと見えるだろう。シャルロットの婚約者アルベールの到着が告げられるまで、『ウェルテル』の夏の夜の魅惑が続く。
大失恋オペラ『ウェルテル』で失恋するのはウェルテルだけじゃない。シャルロットの妹ソフィーはウェルテルに恋し、失恋する。というより相手にされない。第3幕でソフィーが花束を持って歌う幸福賛美の歌は、実に可愛らしい。そして屈託がない。素直なソプラノの歌に好感を抱かないなんて男はひとりしかいない。もちろんウェルテルだ。欠点は多分2つだけ。1つは陰のあるメゾ・ソプラノじゃなく、明るいソプラノで歌うことで、もう1つは夫も婚約者もいないから付き合っても問題がないことだ。どちらもウェルテルのお気に召さなかったというわけだ。せめて客席で『ウェルテル』を聴く者は、かわいそうなもう一人の失恋者の味方になろう。
クリスマス | 『ウェルテル』は子どもたちの歌うクリスマスの歌で始まり、子どもたちの歌うクリスマスの歌で終る。始まりは夏で終わりは本当のクリスマスなのだが、『ウェルテル』はクリスマスのオペラだ。 |
四季 | 第1幕は夏、第2幕は秋、第4幕は冬の出来事だ。第3幕で「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」が歌われるので、この4幕のオペラは四季のオペラでもある。 |
青い上着と黄色いベスト | ゲーテの原作に書かれていて、当時大流行したので、オペラの舞台でもウェルテルが着ることがある。ただしどんなテノールでも似合うわけではない。 |
ピストル | ウェルテルが自殺するのはアルベールから借りたピストルを使ってだった。ただし犯罪の可能性はない。 |
愛し合う二人 | 原作とは違って、オペラではウェルテルとシャルロットは愛し合っている。死にゆくウェルテルにそう告げる。「春風よ」のアリアがそうさせてしまったのだろう。 |
監修:堀内修
NBSの〈旬の名歌手シリーズII〉では、『ウェルテル』のアリア "春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか"(オシアンの歌)がプログラムされています。フローレスは、すでにチューリヒやロンドンで同オペラの舞台で成功をおさめています。
Youtubeでは、チューリヒ歌劇場公演のリハーサルの模様とウェルテル役についてのフローレスのインタビューが紹介されています。
チューリヒ歌劇場『ウェルテル』リハーサルとフローレス・インタビュー
https://youtu.be/EqxhylzHzuc