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2022/12/21(水)Vol.460

恋が始まり、恋が終る
〜プッチーニ『ボエーム』
2022/12/21(水)
2022年12月21日号
オペラはなにがおもしろい
特集

恋が始まり、恋が終る
〜プッチーニ『ボエーム』

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

ざっくり、こんな作品

  • パリの屋根裏部屋に住むミミとロドルフォが恋に落ちた。ミミは貧しいお針娘でロドルフォは貧しい詩人だったが、恋は豪奢だった。友人の画家マルチェッロやほかの2人の友も歓迎し、5人はクリスマス・イヴの街に繰り出した。そこでマルチェッロは元恋人のムゼッタとよりを戻す。だが2組の恋人たちの幸福は長く続かなかった。ある雪の日、愛し合っていながら、ミミはロドルフォと別れる。マルチェッロとムゼッタも別れを決めた。時がたち、屋根裏部屋でロドルフォとマルチェッロが幸せだったころをなつかしんでいる時、ムゼッタが病気のミミを連れてきた。死ぬ前に愛するロドルフォに会いたかったのだ。仲間が集まり、看病したが、残された時間はわずかだった。ミミは息を引きとる。
  • プッチーニ作曲、イッリカとジャコーザ作詞 全 4 幕、イタリア語/1896年、トリノ王立歌劇場初演

聴いてびっくり


第1幕にオペラ史上一、二を争う、恋に落ちる歌がある。まずロドルフォが「冷たい手を」を歌い、ミミが「私の名はミミ」で応える。そして「愛らしい乙女よ」で恋の成就が宣言される。二つのアリアと二重唱だが、合わせても15分とかからない。ひとまとまりの歌と考えてもいいくらいだ。だがこの一連の歌で聴く者の誰もが恋の成立を実感する。オペラなら珍しくないように思えるが、実は恋の成立を真正面から描く例は多くない。プッチーニはここで稀に見る力業をやってのけた。ロドルフォが偶然のようにミミの手を取るときから、歌は不思議な上昇を始め、驚くべき高みに達する。応えるミミの歌も、何気なくゆれ動きながら、春の日を浴びるところで青空に飛ぶ。次の二重唱に入る前に、恋は成立してしまう。原作はどうあれ、プッチーニはこのオペラを2人の恋の物語にしてしまったのだが、それが空前の成功につながった。二重唱で第1幕は終るのだが、優れたソプラノとテノールが歌う限り、必ず恋を実感できる。それはオペラでも特別な瞬間だ。

見てびっくり


『ボエーム』の第3幕は別れの幕だ。ミミとロドルフォ、ムゼッタとマルチェッロがそれぞれ相手と別れる。この幕をしめくくるのが「さようなら甘い目覚めよ」の四重唱で、すばらしく甘美で感傷的な四重唱なのだが、ここに至るまで歌は途切れなく続いていて、第3幕全体が別れの歌で成り立っているようなもの。だが2組の別れの歌がこの四重唱で一つになって、別離がまるで交響楽のように響くのを聴くのは格別な体験だ。2組の別れの理由は当然ながら異なっている。ミミは病気なのに貧しいロドルフォは面倒を見ることができない。ミミはロドルフォの心配を申し訳なく思っている。一方ムゼッタとマルチェッロは互いに元気が良過ぎ、たびたび衝突している。手を取り合って別れる2人と言い争って別れる2人が四重唱に流れ込む。それぞれの事情はいつのまにか別れそのものに昇華していく。

クリスマス・イヴのカルチェ・ラタンはにぎわっている。カフェ・モミュスもいっぱいだ。そこでざっそうとムゼッタが歌い始める。
恋に落ちた屋根裏部屋で、ミミは息を引き取る。ロドルフォや仲間たちに囲まれて。
(ミラノ・スカラ座 1988年日本公演より) Photos: Ryu Yoshizawa

この人を聴け


クリスマス・イヴのパリ、カフェ・モミュスでは滅多に見られない場面が見られる。いや、滅多に聴けない歌が聴ける。ロマン派オペラの定番というべき、艶っぽい女性による誘惑の歌なのだが、この歌は並じゃない。ロドルフォたちと一緒のテーブルに座るマルチェッロの近くに、パトロンらしき金持ちの男を連れてムゼッタが現れる。2人は恋人だったがこの時はもう別れている。でもどうやら本心では互いに恋心を捨ててはいないようだ。そしてムゼッタが歌い始める。「私が街を歩くと」。歌は艶を帯び、マルチェッロにまとわりつく。最初は知らん顔をしているが、次第にがまんできなくなる。その気になるのがマルチェッロだけとは限らない。客席にいる人も誘惑に抵抗できなくなっていく。そしてとうとう......。この歌、技術的な困難があるわけではないが、誘惑効果を十分に発揮するのは難しい。一流のプラノだって、上手に歌ったところにとどまったりする。でも成功したときの力は絶大だ。混雑したカフェの中で歌われ、会場は手に汗を握って聴く。効き目がないのはムゼッタの連れの男だけ。

鍵言葉キーワード

クリスマス・イヴ ロドルフォたちは人々でにぎわうクリスマス・イヴのパリに繰り出す。『ボエーム』 はクリスマスの恋のオペラだ。
カフェ・モミュス 皆が腰を落ちつけるカフェ・モミュスは、多分カルチェ・ラタンにある。値段は安くなさそう。
灯り ミミは消えてしまったローソクの火を借りようとロドルフォの部屋にやってくる。自分で灯りを消すという上演もあった。
ミミは鍵を落とし、ロドルフォがその鍵を一緒に探す。鍵が恋の鍵だった。
冷たい手 ロドルフォはミミの冷たい手に驚いて歌い出す。暖めたいと思うからだが、手の冷たさは現在よりもっと、女性の魅力とされていた。
病気 ミミは病弱で、長生きできない。手の冷たさも、肌の青白さも、当時の魅力になっていたらしい。
帽子にマフ ミミは寒い。ロドルフォは帽子を贈り、ムゼッタは死の床のミミにマフを渡す。

監修:堀内修