オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
どの人ももの足りないのよね、ちょっとその気にならないわ。第1幕の後半でアラベラは迷う。うるさい、つまらないことをぐずぐず言うんなら1人でやってくれ! モノローグなのだから1人で歌っているのだけれど、つい怒鳴りつけたくなる人もいるのではないだろうか。アラベラの長い迷いの歌は、愛か死か?みたいなオペラの歌とはかけ離れている。どうしてこんな歌をがまんしなくてはならないのか? ところが聴き進むにつれて変わってくる。とりとめのないアラベラの迷いに入り込み、迷いに酔ってくる。恐るべきホフマンスタールとシュトラウスの魔法が効き始めた。さっき窓から見かけたあの男の人が気になる、なんて歌うアラベラの微かなときめきに鼓動が共振していく。世紀末のウィーンの美女が憂鬱な気分を振り払い、遠くから聴こえてきたようにオーケストラがワルツを奏でると幕がおりる。アラベラのとりとめのない迷いに付き合ってきた者はきっと、おりる幕の向こうに、「結婚」の上に築かれた失われた帝国が優雅に踊り始める姿を垣間見るだろう。帝国を治めるハプスブルク家のモットーのひとつが「愚かなる者よ戦え、汝幸福なるオーストリアよ、結婚せよ」だった。
手に水の入ったグラスを持って、アラベラが階段を降りてくる。彼女は部屋に行ってもう戻ってこないかもしれない、と危惧していたマンドリカの気持ちになっていた聴き手は、ここでオペラ『アラベラ』が幸福な終わりに向かって歩み始めたと感じる。もしアラベラが姿を見せなかったらどうしよう? 早朝のホテルのロビーで、相手を傷つけたと知ったマンドリカが立っている。2人の絆を深めるための一杯の水を持って、アラベラが現れた。幸福な愛の歌がオペラを締めくくる。
婚約者たちの抱擁を導いたのはもう一つの抱擁だった。アラベラとズデンカの、姉妹の抱擁だ。姉の窮地を救うため、ズデンカは自分が女であるのを皆に告げ、恋する相手との一夜を告白した。アラベラは妹の行動に心を打たれる。結婚する男女のオペラである『アラベラ』は姉妹の絆のオペラでもある。
オペラはアラベラの「ありのままを受け入れて」という詞で終わる。ディズニーの「アナと雪の女王」はきっとこのオペラからインスピレーションを得ている。『アラベラ』は古めかしい過去の遺物ではなさそうだ。
1つ目のアラベラとマンドリカの二重唱は第2幕で歌われる。舞踏会場で父親にマンドリカを紹介されたアラベラは、さっき窓から見かけ、気になった人だと知った。マンドリカのほうは絵姿を見て気に入り、ウィーンまでやってきた相手だった。2人になってすぐ愛と結婚の歌が始まる。どういう暮らしをしよう、一緒に墓に入ろうと、現代の感覚からいえばかけ離れている。だがこれこそ1860年の帝国の首都ウィーンの愛の歌だと、受け入れたくなるくらい確固とした美で満たされている。秩序のある社会の秩序ある愛と結婚の、なんと晴れ晴れしていることだろう。当時とはまるっきり違う社会になった現代のドイツでも、結婚式で歌われることが多いというのもうなずける。
1860年/1933年 | 設定されているのは1860年のウィーンで、まだハプスブルクの帝国は元気だった。『アラベラ』が世に出たのは1933年で、もう帝国はなくなっていた。 |
もう1度『ばらの騎士』を | 大成功した『ばらの騎士』のいわば続編のように『アラベラ』は作られた。『ばらの騎士』の時、帝国はかろうじて残っていた。『アラベラ』で帝国時代のウィーンは「思い出され」ている。 |
謝肉祭 | 『アラベラ』は謝肉祭のころのオペラだ。大体2月だから大変寒い。 |
舞踏会 | 謝肉祭はウィーンの舞踏会の季節で、たくさんの舞踏会が開かれる。アラベラたちが行くフィアカーバル=馭者の舞踏会はいまもある。 |
フィアカーミリ | 第2幕に登場するフィアカーミリは実在の人物で、当時舞踏会で人気を博した。 |
水 | 最後の場面で、マンドリカはアラベラの持ってきた水を飲み、グラスを割って、「このグラスからはもう誰も飲めない」と言う。 |
家父長制 | 結婚重視の家父長制万歳みたいなオペラとして『アラベラ』は問題視され、『ばらの騎士』ほどの人気はない。 |
再婚 | マンドリカは一度妻を失っていて、アラベラとの結婚は二度目になる。 |
見合い | 確かに『アラベラ』は見合いのオペラだ。一時すたれていた「見合い」だが、いまはマッチングアプリというかたちで"復活"しているのかもしれない。『アラベラ』人気が盛り上がる日は近い? |
監修:堀内修