2023/05/17(水)Vol.470
2023/05/17(水) | |
2023年05月17日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
さあギロチンにかけられるぞ! というシェニエとマッダレーナの二重唱で『アンドレア・シェニエ』の全曲がしめくくられる。ここで忠告しておく必要がある。心中を計画しているカップルは、決して聴いてはならない。幕がおりるや否や実行に走りかねないからだ。情熱的な男女の激烈な歌の高揚感はすさまじい。ソプラノとテノールは互いに難しい高音をくり出し、どちらが熱烈に愛し、どちらが強く死を求めているか競い合う死闘がくり広げられる。歌の主題はもちろん愛と死の賛美だ。興奮が果てしなく高まり、心中の計画などまったくない者でさえ、2人で断頭台に行けたらどんなに幸せだろうと信じるようになったところで、刑吏によって名が呼ばれる。1人はアンドレア・シェニエで、もう1人はマッダレーナが替わった女性の名だ。オーケストラが2人の愛と死をあおり立て、異様な興奮のうちにオペラが終わる。ほっと一息つくのは幕がおりてしばらくたってからになる。
みるみる変わる。それまで「たわむれの恋」を賛美していた伯爵家の令嬢マッダレーナは、軽い気持ちで詩人アンドレア・シェニエに即興の詩を所望する。応えて歌われる「ある日青空を眺めて」がマッダレーナを変えた。『アンドレア・シェニエ』はテノールが活躍するオペラで、シェニエはいくつものアリアを歌うが、第1幕で歌われるこのアリアが、オペラの特質を端的に示すことになる。身分制度の告発も大切なテーマなのだが、シェニエの歌の共感する心の気高さに打たれたマッダレーナが、詩と詩人に愛と共感を感じて変わる。断頭台へまっすぐ進んでいくことになるこの変化が、『アンドレア・シェニエ』は、歌がドラマを動かす正統派のオペラなのだと高らかに宣言する。難しい高音や声の力強さと輝かしさを必要とする大変なアリアなのだが、それがまたオペラの価値を高める。もしもこの歌で、マッダレーナだけでなく自分も変わったな、と感じられたら、まちがいなくすぐれた上演のしるしだ。
シェニエは幾つもアリアを歌うのに、マッダレーナはたった1つしか歌わない。ソプラノは少々冷遇されている。でも第3幕でマッダレーナが歌う「亡くなった母を」の歌は、すぐれたソプラノが歌えば絶大な力を発揮する。つらい出来事を語って始まるアリアは、自分に呼びかける声を聞いたというところで急速に高みへと登り始める。「生きなさい」「わたしはいのち」。歌は奇跡を起こす。マッダレーナが歌う相手はシェニエを捕らえたジェラールなのだが、ジェラールはこの歌で心を動かされ、恋敵のシェニエを救おうと決める。時すでに遅く、シェニエには死罪が言いわたされるのだけれど、歌の威力は示された。心を動かされるのは舞台の上のジェラールだけじゃない。客席にいる者もきっと動かされる。そして『アンドレア・シェニエ』が人々に愛されるオペラになる。
大革命 | 騒乱が始まった1789年の冬に幕を開け、過激派の天下が終わる直前に幕をおろす。これはフランス大革命のオペラだ。 |
詩人 | 主人公は実在した「革命詩人」アンドレ・シェニエで、その詩がオペラにも取り入れられている。 |
3日前 | 実在した詩人アンドレ・シェニエが処刑されたのは、ロベスピエールらジャコバン派が処刑されて恐怖政治が終わる3日前だった。 |
ジャコバン | 実在したジャコバンの指導者たちが裁判の場で顔を揃える。被告人をやたらに断頭台に送った判事フーキエ・タンヴィルもいる。 |
断頭台=ギロチン | オペラは2人がサン・ラザール監獄から処刑場に出発するところで終わる。断頭台を舞台に出す上演も、いまはある。 |
三角関係 | ジェラールはマッダレーナを求め、マッダレーナはシェニエを求める。歴史よりも三角関係が重いのがオペラらしい。 |
ジェラール | 伯爵家の従僕から革命政府の大物になるジェラールはマッダレーナを追いつめるが、その訴えに心を動かされる。最も陰翳のある登場人物はやはりバリトンが歌う。 |
春 | 断頭台に向かう前、シェニエは最後のアリア「5月の晴れた日のように」を歌う。実在したアンドレ・シェニエがギロチンにかけられたのは7月25日だった。 |
台本 | 台本を書いたルイージ・イッリカはプッチーニの『ラ・ボエーム』『トスカ』などの台本作家でもある。ドラマの作りには当然共通性がある。 |
監修:堀内修