2023/08/02(水)Vol.475
2023/08/02(水) | |
2023年08月02日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
祖母の死で恋人の本心を知ってしまったリーザが、どうしてもあきらめきれずゲルマンに会う。サンクトペテルブルクの運河の畔で、リーザは悩み、乱れる気持ちを歌う。『エフゲニー・オネーギン』で、タチアーナが歌う「手紙の歌」にも勝るチャイコフスキーのすばらしい歌だが、この歌はゲルマンの登場でそのまま二重唱につながっている。リーザの苦悩が束の間の愛の喜びに変わり、次には喜びから絶望への急な落下が起こる。あまりにも激しい起伏で、聴いているほうもどうしていいかわからなくなるくらい。このオペラの劇的な視点は、ほとんど息を止めて聴く歌の連続だ。いくらなんでもゲルマンの突然の変化は唐突過ぎやしないだろうかとも思えるが、このように突然襲ってくるのが狂気というものかと納得させられる。抒情的な歌や華やかな舞踏会の場面に彩られた『スペードの女王』は、ここから一気に暗い悲劇の結末に向かう。
背筋で聴くことになる。兵舎の中でゲルマンは悄気る。高嶺の花だった女性を射止めたはいいが愛想をつかされ、カードの秘密を手に入れられなかったのだから当然だ。それに実をいえばこの時ゲルマンは殺人犯になっていて、破滅はそこまで迫っている。そこに自分が殺した相手が亡霊として現れるのだから、ゲルマンの身にならなくたって背中が寒くなる。伯爵夫人の亡霊出現は、オペラきっての恐ろしい場面というべきだろう。しかも自分を殺害した相手のところに現れた亡霊なら、呪ったりうらみ言を言ったりしそうなのに、優しくカードの必勝法を教えてくれるのだから、聴いている者は余計に寒くなる。『スペードの女王』は夏に聴くべきオペラだ。
ヒロインがいけない恋に身を委ねる瞬間を聴くのは、ロマン派オペラの醍醐味というものだろう。チャイコフスキーなら描ける。第1幕の終りでリーザは悩んでいる。リーザは婚約したばかり。相手のエレツキー公爵は家柄や資産ばかりでなく、人柄も立派な人物だ(次の幕で公爵が歌うアリアでは、理想的な人格が余すところなく歌われる)。申し分のない相手なのだ。それなのにリーザは身分も資産もなく、暗い眼つきで自分を見つめる男が気になっている。そこに当の男が姿を現す。忍び込んできたのだから問題があるに決まっているが、危険性もリーザには魅力だったのだ。物音を聞いた伯爵夫人が部屋に来るので、リーザはあわててゲルマンを隠す。伯爵夫人が出ていった後の短い二重唱が聴きものだ。いけない恋の危険と官能が響きわたる。
予言 | かつて伯爵夫人は「恋に狂ってカードの秘密を知ろうとする男に命を奪われる」と予言されていた。予言は実現する。 |
舞踏会 | 第2幕第1場でサンクトペテルブルクの大貴族の館での舞踏会が繰り広げられる。牧歌劇なども行われて豪勢だ。 |
女帝 | 舞踏会の場の最後に、当時のロシアの女帝エカテリーナが、壮麗な音楽を伴って登場する。 |
カードの秘密 | 伯爵夫人は若いころヴェルサイユで賭けに負けて全財産を失ったが、サン・ジェルマン伯爵から3枚のカードの秘密を聞いて、取り戻した。 |
ギャンブル | ゲルマンは女性とギャンブルが好きな男だ。でも平凡というわけではない。 |
プーシキン | 『スペードの女王』はプーシキンの小説のオペラ化だが、内容はかなり変えられている。 |
ゲルマンとエレツキー | 原作でただの野心家だったゲルマンは愛も求め、原作にほとんど登場しないエレツキーはゲルマンのライバルになっている。リーザも原作では生き残る。 |
リーザとポリーナ | 第1幕第2場でリーザが友人ポリーナと歌う民謡調の歌が、「やっぱりチャイコフスキー!」だ。女声の二重唱の甘美な響きが味わえる。 |
監修:堀内修