オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
●「愛してます」「私も」。もし最初にダニロとハンナがこう言っていたら、『メリー・ウィドウ』はそこで終る。でも2人は言わない。ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の2人だって言わないのだが、第1幕の終りでクスリを飲んで抱き合う。ダニロとハンナはすれすれまでいくが、酒は飲んでもクスリは飲まず、言わない。第2幕でも言わない。第3幕でも言わない。聴く者が待ちかねているのに言わない。業を煮やしたヴァイオリンがうながすまで。「唇は黙っていても」は、第3幕の終りまで待たされ続けた末に歌われる。チラリチラリと聴かされた「メリー・ウィドウ・ワルツ」がついにその全容を現わす。待ちに待った歌の、なんと甘いことだろう。
●もう1組のカップルが待ちきれずに第2幕で歌う「ばらのつぼみが」の歌だって、甘さでは引けを取らない。ヴァランシェンヌとカミーユは結局結ばれない恋人たちなので余計に甘い。
●華やかさにおいて、ハンナの登場に勝るヒロインの登場はない。燕尾服の男たちに出迎えられる美女の登場は、その後の映画やミュージカルの規範になった。「紳士は金髪がお好き」のマリリン・モンローだって、まちがいなくハンナの後を追っていた。マズルカに乗って「まだパリに慣れていないのかしら」なんて歌いながら現われるハンナに、劇場中が目も耳も釘付けになる。歌うソプラノ次第ではあるけれど、我こそハンナ!と自信がある花形が歌うに決まっているのだから、安心して待ちかまえることができるというもの。
●ハンナ登場には負けるけれど、続いて現われるダニロだって魅力的だ。「おお祖国よ」なんて歌いながら登場するダニロの歌には、このオペレッタの第2主題というべき「マキシムへ行こう!」が加わっている。華やかさと微かな悲哀が、このオペレッタを特徴づけることになる。
男たちに迎えられてハンナが登場する! 跪く男だっていないはずがない。
『メリー・ウィドウ』(ウィーン・フォルクスオーパー2016年日本公演)
Photo: Kiyonori Hasegawa
●ダニロの「マキシムへ行こう!」に表われる悲哀のハンナ版というべきが、第2幕の冒頭で歌われる「ヴィリアの歌」だ。森の妖精ヴィリアの物語は、架空の国ポンテヴェドロの民謡風で、哀愁を帯びている。身分の違いで好きな相手と結ばれなかったハンナの悲しみがにじみ出る。ヨハン・シュトラウスの時代に底抜けの明るさで人気を博したウィーンのオペレッタは、この『メリー・ウィドウ』から、そして「ヴィリアの歌」から悲哀の色調を帯びていく。もちろんそれも魅力的というもの。
「メリー・ウィドウ」 | 原題はドイツ語でDie Lustige Witwe=ディー・ルスティゲ・ヴィトヴェで、邦題は「陽気な未亡人」なのだが、いまは世界中でメリー・ウィドウと呼ばれている。 |
映画 | メリー・ウィドウ=Merry Widow の題名が定着したのは映画のおかげ。何回も映画化され、世界中で人気になったのだが、アメリカMGMによる1934年のエルンスト・ルビッチ監督の作品が名作として知られている。 |
舞曲 | 『メリー・ウィドウ』は踊るオペレッタだ。ワルツだけでなく、ポルカにギャロップにマズルカと、踊る曲だらけ。舞台で踊られるのもいろいろで、カンカンまで出てくる。 |
悲哀 | オペレッタは愉快なもの.....ではあるけれど、『メリー・ウィドウ』には微妙な悲哀も入り込んでいる。 |
遺産 | 富豪の遺産はハンナに渡った。さてハンナの財産は誰の手に渡るか? 『メリー・ウィドウ』は遺産をめぐる物語でもある。 |
ポンテヴェドロ | ハンナもダニロもポンテヴェドロの人だが、それはどこにある国なのか? 架空の国なのだけれど、バルカン半島にあるモンテネグロが、ウチの国じゃないかと苦情を申し立てたりしている。 |
白銀の時代 | この作品でウィンナ・オペレッタは「白銀の時代」に入った。ヨハン・シュトラウスの時代は「黄金時代」ということになった。 |
ヒット作 | 『メリー・ウィドウ』は空前の大当たりをした。ドイツ語圏だけでなく、世界中で上演され、何度も映画化されて、のちのミュージカルや映画に絶大な影響を与えた。作曲したフランツ・レハールも富と名声を得た。 |
古き良き時代 | 帝国の首都ウィーンで、『メリー・ウィドウ』は1905年に世に出た。初演から10年もたたないうち、帝国を滅亡させる第1次世界大戦が始まる。「古き良き時代」はもうひとつ、オペラ『ばらの騎士』を大ヒットさせた後、終る。 |
ウィンナ・オペレッタ | 21世紀になっても、ウィンナ・オペレッタの代表作『こうもり』と『メリー・ウィドウ』は人気を失わず、世界中で上演されている。もちろん日本でも。 |
監修:堀内修