2024/08/07(水)Vol.499
2024/08/07(水) | |
2024年08月07日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
絶望の淵から喜びの世界へと、クレオパトラの運命は一転する。第3幕でトロメオとの戦いに敗れて捕われ、鎖につながれたクレオパトラは、「非情な運命を嘆き続けよう」と歌い始める。ヘンデルの十八番というべき絶望の歌だ。もう希望はない。いつまでも運命を嘆き続けるほかないのだ。苦悩はくり返されるうちにどんどん深まっていく。歌は途中で一度、激しいというより、狂暴な発作のような世界に入るが、再び暗い絶望の底へと沈む。名歌とされる「もう涙しかない」(オペラ『リナルド』ほか)と並ぶ嘆きの歌が、聴く者を悲しみの世界へと導く。 クレオパトラの絶望はローマの軍団を引き連れたチェーザレの登場で一転する。「非情な運命を」と対になったかのような喜びの歌が、「嵐に会った船が」と歌い出される。明確なリズムと明るい色調の歌は、クレオパトラ本人じゃなくたって有頂天になって踊り出したくなるくらい。このオペラの成功は、300年前に登場した時から、この絶望から歓喜への劇的な変化にあったのではないだろうか。
シーザーとクレオパトラの出会いの場面は、ずいぶん長いこと..... ざっと2000年も..... 人を魅了してきた。演劇がシェイクスピアならオペラはヘンデルだ。クレオパトラが初めてシーザーの前に現れる場面は第1幕にある。侍女として姿を見せたクレオパトラに魅了されたチェーザレが「野に咲くどんな花より」と歌う。成功に酔ったクレオパトラは「きれいな女ならなんでもできる」と誇る。でもこの2人の歌が輝きを増し、愛が本格化するのは第2幕だ。遠くから聞こえるクレオパトラの歌声に反応したチェーザレは「花咲く美しい野で」と、陶然として歌い出す。ヴァイオリンが鳥の声を奏で、まるで魔法の楽園が出現したかのようだ。次の場で、庭園にいるクレオパトラがこの歌に応える「ヴィーナスはご存じ」と、自分の魅力の勝利を高々と歌い上げる。歴史上の大スター、シーザーとクレオパトラの愛の歌を、オペラ史上の大スター、ヘンデルはこのように見事に描き出した。
第1幕をしめくくるのはチェーザレでもクレオパトラでもないし、アリアでもない。コルネリアとセストの嘆きの二重唱だ。殺されたチェーザレの政敵ポンペオの母と息子は、このオペラで重要な役割を果たす。不幸な運命を嘆き、夫の、父の、仇を討とうとするドラマは時に華やかな美女と英雄のドラマをしのいでしまいそうになる。実際この母と子の嘆きの歌は、嘆きの歌の名手ヘンデルの面目躍如というべき歌だ。つらい母子の嘆きが、このにぎやかなオペラの最初の幕を閉じる。復讐を求める2人の願いは最後にかなえられる。全曲の幕切れの喜びは、クレオパトラとチェーザレだけでなく、コルネリアとセストのものでもある。
ヘンデル | ベートーヴェンの時代まで、史上最高のオペラ作家はヘンデルという見方が強かった。いまだって、オペラ史上有数の音楽家と考えられている。 |
300年 | 数あるヘンデルのオペラのうち最も多く上演されているのが『ジュリオ・チェーザレ』(『エジプトのジュリオ・チェーザレ』、『ジュリアス・シーザー』と英語名で呼ばれることもある)で、1724年、いまから300年前にロンドンのヘイマーケット国王劇場で初演されている。 |
配役と声 | ジュリオ・チェーザレ=カストラート、クレオパトラ=ソプラノ、コルネリア=アルト、セスト=メゾ・ソプラノ、トロメオ=カストラート、ほか。 |
カストラート | 当時はカストラートが大人気だった。成人前に去勢した男性の歌手だ。いまチェーザレやトロメオなどカストラートの役はカウンターテナーあるいはメゾ・ソプラノ等の女声によって歌われている。 |
2人の スーパー・スター |
主役はクレオパトラとチェーザレ(シーザー)で、いわずとしれた歴史上のスーパー・スターだ。 |
エジプト | 舞台となるのは王国時代末期の古代エジプトだ。プトレマイオス王朝最後の女王がクレオパトラで、トロメオというのはプトレマイオス13世のことだ。 |
ダ・カーポ ・アリア |
このオペラの多くの歌がダ・カーポ・アリアと呼ばれる。同じ部分が何度かくり返される。 |
もてる女 | 主役はクレオパトラで、絶世の美女の代名詞なのだが、オペラの中では夫ポンペオを失ったばかりのコルネリアのほうがもてる。チェーザレの副官クリオも、王トロメオの副官アキッレも、トロメオ自身も、コルネリアに熱を上げ、口説く。 |
成長する女 | 美貌によってチェーザレを落としたクレオパトラだが、やがて本当に愛するようになる。歌を重ねる毎に変わっていくクレオパトラの、このオペラは成長物語でもある。 |
喜怒哀楽 | 明確な登場人物の喜怒哀楽が特徴のヘンデルのオペラの中でも、このオペラはとりわけ人々の感情がはっきりしている。クレオパトラもコルネリアも、歌の苦悩は深く、喜びは大きい。 |
毀誉褒貶 | 19世紀から20世紀の半ば過ぎまですたれていたヘンデルとバロック・オペラだが、1980年代以降人気を取り戻し、いまや上演されるオペラの重要な一角を占めている。 |
現代の上演 | 19世紀の写実性とは無縁なので、ヘンデルのオペラは上演の自由度が高い。『ジュリオ・チェーザレ』も、初演当時の時代背景と現代とを重ね合わせたり、喜劇性を強めたり、さまざまな上演が試みられている。 |
監修:堀内修