NEW2024/10/02(水)Vol.503
2024/10/02(水) | |
2024年10月02日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
警察に連れていかれようとする義母コステルニチカにイェヌーファが声をかける。この時オペラ『イェヌーファ』の主題が姿を見せる。『イェヌーファ』は赦しのオペラだ。コステルニチカは大罪を犯した。殺したのはイェヌーファの子だ。イェヌーファは赤ん坊の死を告げられた時、深く悲しんだ。だがイェヌーファはコステルニチカを赦す。ごく単純なフレーズがくり返されながら力を強め、これにもうひとつの印象的なフレーズが加わって高揚していくヤナーチェクの音楽が、「赦し」の全容を出現させていく。村人たちが去り、2人だけになったイェヌーファは、ラツァに、いなくなってもいいと、穏やかに勧める。頬を切ったことなど、自分はとっくの昔に赦している。気にせずに出ていってもいい。もちろんラツァは出ていかない。イェヌーファはさらに、これから裁かれるのは自分で、村人から断罪され続けるのだと教える。ラツァは出ていかない。物語の最初からイェヌーファを愛し続けた男だった。2人は一緒になる。実はこの場面、とても短い。これ以上短くできないくらいに簡潔だ。それなのに効果は絶大で、赦しのオペラは聴く者の心をうごかさずにはおかない。
感動的な歌よりも、こわい歌で『イェヌーファ』は異彩を放っているかもしれない。第2幕で、コステルニチカがいま犯した子殺しを隠して、イェヌーファに赤ん坊の死を告げる二重唱も、こわい。病気で数日寝ていたイェヌーファは、治ってやっと産んだ赤ん坊の顔が見られると思っている。ところが告げられるのはその死だ。驚き、とまどい、悲しむイェヌーファと、そのイェヌーファのために赤ん坊を殺害した義母の対話が、こわくないわけがない。聴く者は、誰だってこんな場面に立ち会いたくないと思っているのに、立ち会う破目になる。しかも対話の音楽ときたら、遠慮のないヤナーチェクだ。ほかでは聴けないこわい場面を聴いてしまうのも、このオペラの魅力というものだ。
娘に告げる前に、コステルニチカは殺害を実行している。本当におそろしいのは殺害、というより殺害を決意するに至るコステルニチカの歌だ。凄いというほかない歌が聴ける。あるいは聴いてしまう。コステルニチカは殺人鬼なんかじゃない。優しく、愛情深い義母だ。娘を愛している。だがここは片田舎の、因習的な村だ。イェヌーファが父親のいない子を産んで育てていくのは実に大変だ。この赤ん坊さえいなければ.....。現在では考えられない悩みではあるけれど、コステルニチカは悩む。悪意でなく、義理の娘への愛情のために。いっそこの子が死んでしまえば.....。ためらいはどんどん危険な方向に向かっていく。その過程が克明に歌われる。聴きながらつい止めたくなってしまうくらい。歌うソプラノあるいはメゾ・ソプラノの力量によっては、凄味に圧倒されるほどだ。凄いオペラ『イェヌーファ』がこの歌でむき出しになる。
ヤナーチェク | 20世紀有数のオペラ作曲家ヤナーチェクは『利口な女狐の物語』や『マクロプロス事件』など今日も上演されるオペラをいくつも書いているが、代表作が第3作目に当たる『イェヌーファ』だ。 |
モラヴィア | ヤナーチェクはチェコの人だが、ボヘミアでなくモラヴィアの人で、このオペラもモラヴィアの中心都市ブルノで初演されている。 |
原作 | ガブリエラ・プライソヴァーの戯曲「彼女の養女」をヤナーチェクは9年がかりでオペラ化した。 |
原題 | オペラの原題も戯曲のままだが、チェコ以外では『イェヌーファ』とされる。 |
主役 | 「彼女の」ではなく「養女」が主役となったのは、オペラがイェヌーファ中心になっているせいでもある。 |
人気 | 暗い事件を扱っているせいか、ポピュラーな人気はもうひとつだが、専門家の人気は抜群で、昔から『イェヌーファ』はよく上演され、すぐれた上演が多いオペラとなっている。 |
村 | 事件はモラヴィアの小さな村で起きる。因習的な村と村人が重要な要素になっているが、内容は今も色褪せない。 |
世間体 | 村人たちも、コステルニチカも世間体を気にかける。世間体は作曲家ヤナーチェクの敵だった。 |
嬰児殺し | このオペラが暗いイメージを持たれるのは、第2幕のコステルニチカによる嬰児殺しと、第3幕の犯罪露見のおかげだ。 |
チェコ語 | 現在は原語、つまりチェコ語による各国語字幕付きの上演が多いが、昔は翻訳上演されるのがほとんどだった。当時モラヴィアはオーストリアの帝国に属していたが、首都ウィーンの歌劇場でも、監督マーラーがモラヴィアの村の出身だったものの、ドイツ語訳で上演していた。 |
監修:堀内修