NEW2025/05/07(水)Vol.517
2025/05/07(水) | |
2025年05月07日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
第1幕の第2場、マクベス夫人が夫マクベスの、魔女の予言を伝える手紙を読んでから幕切れまでは息つく暇もないくらい、ドラマの進行が速い。マクベスの手紙は即座にマクベス夫人の野心に火をつける。「さあ、急いで」と歌い出す歌は、知っている聴き手だって準備する間もないくらい、いきなりで激しい。後半の「地獄の使者よ、目覚めて」になると火は手がつけられないほど燃え盛っている。マクベスが帰城すると、休む間もなく国王暗殺事件に突入する。マクベスのモノローグも怖ろしいが、夫妻の二重唱になると、事件の中心人物がマクベス夫人のほうなのが明らかになっている。最初の場面に出てきた魔女たちなんて穏やかな老婆に過ぎなかったと思えるほど。犯した罪におびえ、隠蔽工作もろくにできない夫を、夫人は叱咤激励するだけでなく、しっかり自分自身で血まみれの剣を置きに行くのだが、その行動は歌によって完全に表現されている。聴く者はヴェルディの、というより19世紀のオペラが生んだ最も熾烈な女性のひとりに支配されるほかない。
マクベス夫人の興隆と没落、としてこのオペラを見ると、それこそがヴェルディが最も力を入れたところだと思えてくる。興隆が第1幕の夫人による王殺害の決意と実行なら、没落は第4幕の「夢遊の場」だ。心を病んだマクベス夫人が夢遊状態で城内をさまよう。侍女と医師が見守る中、眠ったままの夫人が恐ろしい事実や心の中を語る。最も有名なのは手についた血をとろうとして何度も洗い流そうとする仕草で、シェイクスピアの戯曲でも恐ろしい場面として知られている。この場面にヴェルディが考案した音楽は、独創的というか、凄い。語りが主の、一種のレチタティーヴォなのだが、旋律はとても明快で、半音階の進行がゾッとするような効果を生む。マクベス夫人が口にするのは聴いている者がとっくに知っている事実なのに、まるで目撃者になったかのように、驚き、怖れてしまう。これがマクベス夫人最後の場面で、あとはその死が伝えられるだけなのだが、誰だって、これがドラマの区切りであるのを感じるはず。
国王となったマクベス夫妻が臨む第2幕の宴会は、このオペラ一番の、音楽と舞台のスペクタクルだ。華やいだ気分と亡霊登場の恐ろしさ、そして人々のとまどいが交錯して、他に類のない宴の場となっている。
第2幕でマクベス夫人が歌う「日の光が薄らいで」のアリアは、改訂版で作り直された歌で、ここで夫人の錯乱が始まる。
マクベスは第4幕で絶望的な状況になった時になって、人生のかなしみを歌う。
魔女は第1幕と第3幕に登場する。魔女たちの歌と様子は、このオペラのたのしみの一つだ。
シェイクスピア ・オペラ1 |
ヴェルディはシェイクスピアの愛読者だった。どうしても作りたくて、このオペラを作ったのは30代前半で、早かった。 |
シェイクスピア ・オペラ2 |
意欲作で自信作だった『マクベス』を、ヴェルディは18年後に改訂し、パリで上演した。今日ではこの改訂版が上演されている。 |
シェイクスピア ・オペラ3 |
ヴェルディが大好きなシェイクスピアに作曲するのはずっと後になってから。最後の『オテロ』と『ファルスタッフ』が『マクベス』に続いた。 |
魔女と亡霊 | 現実的なイタリアのオペラにはほとんど出てこない魔女や亡霊が、このオペラには登場する。 |
初演 | 初演したフィレンツェのペルゴラ劇場は現存する。小さい劇場で、このオペラはさぞ怖かっただろう。 |
革新オペラ | 仕事で書いたのでなく、書きたくて書いた『マクベス』は、「夢遊の場」など斬新なところがいくつもある革新的オペラだった。 |
こわいソプラノ | 最も革新的なのはマクベス夫人という役かもしれない。美しい声や美しい歌唱もいけない、とヴェルディが言ったのは広く知られている。凄味のあるソプラノが、いまもこの役に挑む。 |
カラス | かつてマリア・カラスが登場した時、指揮者トスカニーニはついにマクベス夫人を歌えるソプラノが出てきた、と言った。 |
現在 | 長いこと不遇だった『マクベス』だが、20世紀後半になって再評価が進み、いまではヴェルディの人気オペラの一つに数えられている。 |
監修:堀内修