2025/06/04(水)Vol.519
2025/06/04(水) | |
2025年06月04日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
|
オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
オペラ・アリアという枠を越えて広く親しまれている「私のお父さん」は、このオペラの前半で歌われる。ただ歌われるだけじゃなく、ドラマを動かす重要な歌として機能するのが、プッチーニのオペラというもの。「私のお父さん」と歌いかけるのはジャンニ・スキッキの娘ラウレッタだ。呼ばれてやってきたのに、成り上がり者のジャンニ・スキッキを嫌うブオーゾの親族たちは、そろって協力を嫌がる。誰がこんな奴らのために一肌脱いだりするものか!と帰りかけた父親に、ラウレッタがこのアリアを歌って頼み込む。決して長い大アリアなどではないが、美しく優しい歌は効果を発揮する。ソプラノのアンコール・ピースとしても知られるアリアを聴いた人はきっと納得できる。娘にこの歌を歌われて抵抗できる父親はいない。ジャンニ・スキッキは突拍子もない手を実行し、愉快な喜劇がその全貌を露わにしていく。
愉快な喜劇として『ジャンニ・スキッキ』が本領を発揮するのは、なんといっても遺言口述の場面だ。奇妙な提案が決まってからの進行は素早い。死者が運び出され、ジャンニ・スキッキが瀕死の病人になりすまし、公証人がやってくる。最初のうち口述される遺言は葬式は質素に、といった穏やかなもので、周囲も納得している。だが遺されるのがロバや農場、そして邸になっていくと大変だ。何もかも友人のジャンニ・スキッキに渡す、と聞いた親族たちだが、驚いても抵抗できない。というのも死者になりすまして遺言状を作るのは違法で、露見したら捕まってしまうからだ。ジャンニ・スキッキは事前に、もしばれたら皆フィレンツェから追放され、二度とこの街にもどれなくなるぞ!とおどしていた。「さらばフィレンツェ」の旋律が歌われるたびに、してやられたと腹が立っても、耐えしのぶしかなくなる。かくて遺産の大半はジャンニ・スキッキの懐に転がり込むことになった。当然ラウレッタはリヌッチョと結婚できる。
短いオペラなのに、「私のお父さん」だけでなく、もうひとつドラマを動かす歌が歌われるのが、名作『ジャンニ・スキッキ』の名作たるところ。ジャンニ・スキッキに力を借りるなんてもってのほかだ、という親族たちを、リヌッチョが説得する「フィレンツェは花咲く木のように」だ。他所からやってきた成り上がり者はいかん!と主張する一同に、リヌッチョは、フィレンツェはそういう他所からの人たちのおかげで繁栄しているのだと歌う。実に、現在の問題を歌っていると驚くほかないのだが、このアリアは古びるどころかますます時代に即した歌になっている。ちなみにこのオペラは、難民も留学生も入れないぞ!といきまく大統領の国で、100年以上前に初演されている。
実話 | 1299年のフィレンツェで実際にあった事件がもとになっている。 |
フィレンツェ | ジャンニ・スキッキやラウレッタやリヌッチョ以上に、このオペラの主役になっているのがフィレンツェという街だ。テーマソングというべきはもちろん「フィレンツェは花咲く木のように」だ。 |
ジャンニ・ スキッキ |
ジャンニ・スキッキは実在の人物で、ダンテ「神曲」の地獄篇第30歌にチラッと出てくる。つまり地獄に落とされた。 |
3部作 | このオペラは『外套』『修道女アンジェリカ』に続く《3部作》の第3部として作られた。プッチーニは3つをまとめて上演するのを望んだが、今日では独立して上演されることも多い。 |
人気作 | 最初から3作のうち『ジャンニ・スキッキ』だけが人気を博した。現在でも上演は際立って多い。 |
ニューヨーク 初演 |
《3部作》は第1次世界大戦直後の、ヨーロッパがまだ復興する前に、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで初演された。 |
完成された 最後のオペラ |
プッチーニはこの後『トゥーランドット』を作ったが、このオペラは未完のまま。つまり『ジャンニ・スキッキ』がプッチーニ最後の完成されたオペラということになる。 |
喜劇 | ヴェルディ最後の作品は喜劇『ファルスタッフ』だった。プッチーニも最後の完成された作品は喜劇だ。ちなみにワーグナーは喜劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の後、『パルジファル』を完成させた。 |
ルネサンス | 舞台は1299年のフィレンツェだから、ルネサンスが始まろうとしているころになる。 |
後味の良い オペラ |
幕切れはジャンニ・スキッキの、「私は地獄に落とされましたが、お楽しみいただけましたでしょうか」という口上で終る。数あるオペラの中でも有数の、後味の良いオペラが『ジャンニ・スキッキ』だ。 |
監修:堀内修