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NBS日本舞台芸術振興会
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2025/07/02(水)Vol.521

メリザンドとペレアスのひそやかな不倫の恋は劇的に終わる
ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』
2025/07/02(水)
2025年07月02日号
オペラはなにがおもしろい
特集

メリザンドとペレアスのひそやかな不倫の恋は劇的に終わる
ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

ざっくり、こんな作品

  • 泉のほとりで出会った謎めいた女性メリザンドを、ゴローは祖父アルケル王が治める王国に自分の妻として連れ帰る。でもメリザンドの謎めいたところは変わらない。やがてメリザンドは夫ゴローの異父弟であるペレアスと親しくなっていく。塔のある城や庭園の泉や海辺の洞窟で、ペレアスとメリザンドは関係を深めていった。ゴローが2人の仲を疑うようになった。旅に出るというペレアスがメリザンドと会っている時、とうとう惨劇が起ってしまった。ゴローがペレアスを殺す。
    生き残ったメリザンドは子どもを生んで間もなく、老王アルケルやゴローたちの見守るなかで、静かに息を引き取った。静かな王国の日々が続く。
  • ドビュッシー作曲、メーテルランクの戯曲をトビュッシーが台本化 全5幕、フランス語/1902年、パリ・オペラ・コミック初演

聴いてびっくり


このオペラの最も、というか唯一の荒々しい出来事は第4幕で起る。泉のほとりで密会したペレアスとメリザンドが互いに愛を告白し、抱き合ったところにゴローが現われてペレアスを殺害する。というとありふれた三角関係露見の修羅場みたいだが、違う。まず恋人たちは、音楽によって恋心を燃え上がらせたりしない。むしろ異様な静けさのうちに愛が高まっていく。しかも惨劇は突然起るわけではなく、2人はゴローの接近を知っている。さあ早くキスを!と歌い、愛と死の頂点を示すように「ああ、星がみんな落ちてくる!」と歌ったところで、ゴローが剣を振るう。メリザンドとペレアスは事件が起るのを予期していた、というより待ち望んでいた。この愛と死の場面に匹敵するのはワーグナー『トリスタンとイゾルデ』第2幕なのだが、『ペレアスとメリザンド』は、まるでその陶酔をひっくり返したかのように、緊迫した静かさを実現している。凄い。ドビュッシーはかつてない愛の悲劇を作り上げた。

見てびっくり


まるで童話のような、若い恋人たちの愛の場面が、第3幕の冒頭から繰り広げられる。塔の窓辺で、メリザンドが髪をくしけずりながら「私の長い髪は塔の下まで垂れて」と歌うちょっと古雅な歌からして、ロマンティックな気分にあふれている。その気分は通りかかったペレアスが塔の下からメリザンドの髪に触れるところで、一層高まる。ドビュッシーはここでフランスのロマン派オペラのどの逢引き場面にも勝る、甘美な愛の音楽を作り上げた。塔の上から長く垂れたメリザンドの髪を愛撫しながら歌うペレアスの声と、応えるメリザンドの声が音楽の長い髪のようにからみ合う。ペレアスがもっと垂らしてくれと頼み、メリザンドがもう無理と歌って、官能性は頂点に近づいていく。愛の場面は通りかかったゴローに見つけられて、絶ち切られるまで続く。

この歌を聴け


オペラの名作の多くが冒頭に工夫を凝らしている。『ドン・ジョヴァンニ』も『椿姫』も『ばらの騎士』も。『ペレアスとメリザンド』の幕開けも実に独創的だ。印象的であるだけでなく、このオペラを貫く謎めいた雰囲気と直結している。狩をしていて道に迷ったゴローが、森のなかの泉のほとりで泣いているメリザンドに出会う場面だ。ゴローはなぜ泣いているのか? なぜこんなところにひとりでいるのか?と尋ねる。この問いに対する答えはよくわからない。どこからか逃げてきて迷ったらしいのはわかるが、それだけ。どこの生まれでどう育ったのかなどはからきしわからない。実はこの後ずっと、死に至ってもメリザンドが何者なのかはわからないまま。それがメリザンドで、この物語で、このオペラということになる。『ペレアスとメリアンド』は幕が開いてすぐ、日常的事実とはかけ離れた世界であると明らかにする。メリザンドの答えは、「さわらないで!」なのだが、これがまた忘れられない印象を残す。

鍵言葉キーワード

「さわら
ないで」
メリザンドの最初の言葉、Ne me touchez pas は初演後ちょとした流行語になった。
メアリー・
ガーデン
初演でメリザンドを歌ったスコットランド生まれのソプラノ、メアリー・ガーデンはドビュッシーはじめ何人もの関係者が夢中になった人気歌手で、メリザンドの歌も演技も絶賛された。
メーテル
ランク
「青い鳥」で知られる象徴派の詩人モーリス・メーテルランクの戯曲は1892年に出版され、翌年パリで初演されている。ドビュッシーはそのすぐ後に作曲を決めた。『ペレアス』にはドビュッシーのオペラのほか、フォーレの付随音楽、シベリウスの付随音楽、シェーンベルクの交響詩がある。
作者の
仲違い
最初はうまくいっていたメーテルランクとドビュッシーだが、詩人が初演のメリザンド役に自分の愛人を当てようとしたことで2人は仲違いした。
唯一の
完成作
ドビュッシーは『アッシャー家の崩壊』や『ロドリーグとシメーヌ』などのオペラ化を手がけたが、完成させたのは『ペレアスとメリザンド』だけだった。
フランス・
オペラの傑作
人気では『カルメン』に及ばなくても、このオペラにはフランス・オペラの最高傑作という評価がある。少なくとも20世紀オペラの傑作であるのはまちがいない。
もう一つの
『トリスタン』
最初からこのオペラはワーグナー『トリスタンとイゾルデ』との関係が指摘されてきた。ドビュッシーは熱烈なワーグナー崇拝者だったが、のちに批判するようになっている。『ペレアス』には、『トリスタン』の影響下にあるという見方も、これを克服した、という見方もある。いずれにせよ関係がある。

監修:堀内修