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NBS日本舞台芸術振興会
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2025/08/06(水)Vol.523

その時がきてしまった。元帥夫人は若い恋人たちを残して優美に去っていく。
R.シュトラウス『ばらの騎士』
2025/08/06(水)
2025年08月06日号
オペラはなにがおもしろい
特集

その時がきてしまった。元帥夫人は若い恋人たちを残して優美に去っていく。
R.シュトラウス『ばらの騎士』

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

ざっくり、こんな作品

  • 元帥夫人マリー・テレーズは夫の留守に愛人の若い伯爵オクタヴィアンと朝を迎えたが、愛の一夜の余韻に浸る間もなく、客たちが押しかけてきた。物売りや歌手らの後、親戚のオックス男爵が頼みごとにやってきた。粗野な男爵は、逃げ損ねたオクタヴィアンが扮した小間使いに色目を使いつつ、ばらの騎士の人選を依頼する。婚約のしるしとして銀のばらを相手の家に届ける騎士のことだ。元帥夫人が選んだばらの騎士はオクタヴィアンだった。ところがオクタヴィアンはばらの騎士として訪れた金持ちの市民ファーニナルの館で、男爵の相手だったはずのゾフィーと恋におちてしまう。争って男爵を傷つけてしまったオクタヴィアンたちは、野卑なふるまいの男爵をこらしめる計画を実行する。郊外の居酒屋で男爵はこらしめられるが、抵抗する男爵を諭して退散させたのは、現われた元帥夫人だった。若い恋人たちは結ばれ、元帥夫人は去っていく。
  • R.シュトラウス作曲、ホフマンスタール作詞 全3幕、ドイツ語/1911年、ドレスデン宮廷歌劇場初演

聴いてびっくり


騒ぎは終わった。残されたのは恋する2人、オクタヴィアンとゾフィー、元帥夫人の3人だ。若い恋人たちが愛を確認し、元帥夫人はそれを認める。オクタヴィアンが元帥夫人に「マリー・テレーズ!」と呼びかけて、このオペラの、そしてドイツ・オペラの白眉ともいうべき三重唱が始まる。ゾフィーを愛するようになったオクタヴィアンだが元帥夫人の気持ちを察してもいる。幸福な気分のゾフィーだって元帥夫人の気持ちを思いやる。そして元帥夫人はいつかくると思っていた別れの時がきたと知り、あきらめとつらさが入り混じった複雑な心境になっている。3人の気持ちが交錯して、えもいわれぬ重唱がくり広げられる。オクタヴィアンは男性だが、女性の役なので、女声による三重唱だ。からみ合う女声の響きが特別な歌の美の世界を作っている。元帥夫人が去ると、ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱になるが、この幸福な愛の二重唱も、歌われる詞の通り、夢のように美しい。

見てびっくり


第2幕の幕が開いてファーニナル家とこの日の主役であるこの家の娘ゾフィーの、期待いっぱいの昂った気分が描かれる。そこにばらの騎士が登場する。銀のばらを手にした姿にゾフィーは胸をときめかせるが、胸をときめかすのはゾフィーだけじゃない。周囲で見守る人たちも、客席で見つめる人たちも、気持ちをこれでもかとばかり高める。ウィーンの大金持ちの館という設定だから、豪華な舞台の上演が多いのだが、ここで人々の気持ちを高めるのは響きわたる音楽だ。管弦楽法の名人だったシュトラウスが交響詩で磨いた技をつぎ込んで作り上げた音楽は、聴く者をきらびやかな美の世界に連れていく。そして銀のばらの贈呈の場面になる。ゾフィーが歌うように、この世のものとは思えない天上のばらが、二重唱の中に出現する。

Photo: Wiener Staatsoper / Michael Poehn

待ちかまえるゾフィーやレルヒェナウ家の人々の前に、銀のばらを手にした「ばらの騎士」オクタヴィアンが現われる

『ばらの騎士』
(ウィーン国立歌劇場公演より)

この歌を聴け


これは美しい!と思える音楽や場面が各幕にある『ばらの騎士』だが、一番の聴きどころというべきは、第1幕の終わりの、実にめざましくない場面にある。元帥夫人は物思いにふけり、鏡を見ながら、くりごとを歌う。それもいつ果てるともないほど長く。鏡の中の、女盛りを過ぎてきたかもしれない自分を見つめながら、修道院から出て結婚するよう言われた娘は一体どこに行ったのだろう?とウィーンの美女は少女のころを思い出す。年をとっていくことの恐れは、しかしそこにとどまらない。モノローグに続いて、オクタヴィアンに、そして自分自身に言い聞かせるように、元帥夫人は過ぎゆく時について思いをめぐらせていく。たゆたうような元帥夫人の言葉は、繊細無比な管弦楽とからみ合って、聴く者を時のかなしみの世界へと誘う。
オックス男爵はただ粗野なだけの男ではない。「わたしと一緒なら退屈な夜はないぞ」と歌うオックスは、確かに傲慢な嫌われ者だけれど、このオックスのテーマ・ソングというべき歌は、ウィンナ・ワルツの粋みたいなワルツに彩られている。いわゆる「『ばらの騎士』のワルツ」だ。第1幕でオクタヴィアン扮する小間使いにちょっかいを出す時に現われるが、全開になるのは第2幕の、偽の手紙でいい気になっていく幕切れ場面だ。男爵は粗野で魅力的な人物ではないだろうか。

鍵言葉キーワード

詩人と音楽家 ウィーン出身の詩人フーゴー・フォン・ホフマンスタールとミュンヘン出身の音楽家リヒャルト・シュトラウスが協力して『ばらの騎士』を作り上げた。
2人の最高傑作 合わせて6つのオペラを作った詩人と音楽家の、これは第2作目にして最高傑作と認められている。
成功作 ドレスデンでの初演は空前の大成功を収める。ウィーンやベルリンからこのオペラを聴きに行く「ばらの騎士」列車が仕立てられたほどだった。
ウィーンのオペラ 作曲者はミュンヘン出身で初演されたのはドレスデンだったが、『ばらの騎士』は最初からウィーンのオペラと見なされていた。
18世紀ウィーン 舞台は18世紀、マリア・テレジア女帝時代のウィーンに設定されている。
モーツァルト 18世紀ウィーンの音楽家といえばモーツァルトで、詩人と音楽家は前作『エレクトラ』の後、今度はモーツァルトのようなオペラを作ろうと考えた。
ワルツ ウィンナ・ワルツは19世紀の流行だが、シュトラウスはかまわずこのオペラに導入した。
『フィガロの結婚』 作者がモデルにしたのはモーツァルト『フィガロの結婚』だった。元帥夫人は伯爵夫人、オクタヴィアンはケルビーノ、ゾフィーはスザンナだという。そしてこのオペラは一種のオペラ・ブッファとも考えられる。
喜劇 当初の計画では、オックス男爵を主役とする喜劇になるはずだった。
主役 計画された時、主役はオックス男爵だったが、題名は『ばらの騎士』となり、タイトル・ロールはオクタヴィアンになる。そして初演後、本当の主役は元帥夫人だと考えられるようになった。
実在したモデル ホフマンスタールは18世紀の貴族名鑑を調べて登場人物を作り上げた。2〜3人を混ぜたりしているが、それぞれの役にモデルはいる。
元帥夫人 元帥夫人=マルシャリンも、ただ地位の呼び名というだけでなく、元帥夫人といえばこの人、というモデルがいた。カンカンというあだ名の貴族も実在した。
銀のばら 婚約のしるしとして男性が婚約した女性のもとに銀のばらを届ける、というしきたりがウィーンにあった......わけではない。これは作者ホフマンスタールが作った話だ。
三重唱 1949年にR.シュトラウスが亡くなった時、葬儀で演奏されたのは『ばらの騎士』第3幕の三重唱だった。

監修:堀内修