NEW2026/05/06(水)Vol.541
| 2026/05/06(水) | |
| 2026年05月06日号 | |
| オペラはなにがおもしろい 特集 |
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| オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
今年は1876年にドイツのバイロイト祝祭劇場で《ニーベルングの指環》4部作が世界で初めて全曲初演されてから、ちょうど150周年にあたります。4夜を連続でご紹介していきます。
禁断の愛と空飛ぶワルキューレたちの世界から《ニーベルングの指環》のヒロインが現れる
聴いてびっくり剣を失い、敵に追われたジークムントが逃げ込んだのは敵であるフンディングの家だ。そこにいたフンディングの妻こそ子どものころに別れた妹ジークリンデだった。兄妹は恋におちる。『ワルキューレ』第1幕は2人の恋の場面で占められている。情熱的な恋は、広間の中央に立つ大きなトネリコの木に刺さった剣を抜くことで頂点に達する。兄妹の父であるヴォータンが突き立てた剣、ノートゥングだ。月の光が射し込んでからの音楽はあまりに甘美で陶酔的で、誰もを禁断の愛の魅力に誘わずにおかない。ワーグナーが成し遂げたのは、すべての美徳、すべての道徳に勝る至上の愛の場の実現だった。第1幕が佳境に入り、愛する二人に負けないくらい聴く者が興奮する時、《ニーベルングの指環》を貫く道徳にも富にも世界秩序にも勝る「愛」の全容が響きわたる。ジークムントが剣をノートゥングと名付けて大木から抜き放つのを、ジークリンデの熱狂が迎える時、ワーグナーきっての、というより舞台芸術きっての美しい愛の幕が終わる。
見てびっくり第2幕は長い。しかも心をゆさぶる第1幕と第3幕のあいだにあって、実に冷静だ。前後の幕が感情に訴えかけているとするなら、この幕は頭脳に働きかける。だがこの幕でこそ《ニーベルングの指環》物語の中核となる主題が明らかにされている。それはブリュンヒルデがジークムントに死を告知する場面だ。戦いで、ジークムントに勝利を与えよと父に命じられたブリュンヒルデが、勇んで戦いの場に出かけようとした矢先、ヴォータンは命令を逆転させる。妻である結婚の女神フリッカの抗議に屈したからだ。槍に刻まれた契約によって世界を統治する主神ヴォータンが道義に反するわけにはいかない。父の命令通り、ブリュンヒルデはジークムントに死とワルハラ行きを告げる。やりとりの末ジークムントはジークリンデと一緒でなければと、ワルハラ行きを拒む。めざましい二重唱ではない。だが対話はついにブリュンヒルデの転向をもたらす。愛のほうが大切だ。ブリュンヒルデは主神ヴォータンの命令に反し、ジークムントを勝たせると決める。秩序と道義から愛へとブリュンヒルデが身を翻した。この時《ニーベルングの指環》のヒロインが現れた。何が「愛」なのかは第1幕で示されている。愛の戦士がヒロインとして登場して、愛が道徳や富と対決する祝祭劇が動き始めた。「ワルハラにジークリンデは行けますか?」。問答が進んでついにヒロインが転向を宣言する時、手に汗握る《指環》のドラマが始まる。
この歌を聴け『ワルキューレ』第3幕は息つく暇もない。岩山にワルキューレたちが集まる「ワルキューレの騎行」で始まり、ブリュンヒルデが死を求めるジークリンデに「英雄を身籠もっている」と告げて逃し、追ってきたヴォータンと向かい合う。ここまでだけだって聴き応え十分なのに、これから胸がいっぱいになるのをこらえきれない別れの場面になる。愛情に身を委ねる自由のないヴォータンが愛する娘に下したのは神格の剥奪と眠りだった。英雄だけが近づけるよう周囲に火を放ってくれというブリュンヒルデ最後の願いが歌われるとヴォータンの別れが深まっていく。願いを受け、「さらば勇気ある娘よ」と歌い出すヴォータンの想いがあふれる美しい音楽となって、聴く者の気持ちを昂らせる。燃え上がる炎の中を去っていくヴォータンと共に『ワルキューレ』が幕を閉じても、その熱さは消えない。
| 第1夜 | 『ラインの黄金』は序夜だったから、『ワルキューレ』は4作で1つになる作品の第1夜になる。 |
| ワルキューレ | 昔は「戦さ乙女」と訳されていた。ヴォータンと大地と智の女神エルダの子の女性たちで、戦場で死んだ勇者をワルハラへ運ぶ仕事をする。題名は単数なのでブリュンヒルデのこと。 |
| 姉妹9人 | 『ワルキューレ』に出てくるワルキューレたちはブリュンヒルデのほかゲルヒルデ、オルトリンデ、ヴァルトラウテ、シュヴェルトライデ、ヘルムヴィーゲ、ジークルーネ、グリムゲルデ、ロスヴァイセがいる。 |
| 指環 | 全曲の題名は《ニーベルングの指環》だが、『ワルキューレ』には指環は出てこない。大蛇に変身したファフナーが洞窟で守っているはずだ。 |
| フンディング の館 |
ジークリンデは無理矢理妻とされ、フンディングの家に住んでいる。 |
| トネリコの 木 |
ジークムントが逃げ込んだ家の広間のまん中にトネリコの大木が生えている。 |
| ノートゥング | ヴォータンがトネリコの木に突き立てた剣は誰にも抜かれず、刺さったまま。ジークムントが引き抜く時、この剣をノートゥングと名付けた。 |
| 双生児 | ジークムントとジークリンデは双生児で、よく似ている。 |
| 結婚の女神 | ジークムントとジークリンデの運命を変えるのはヴォータンの正妻フリッカで、結婚の女神だから不倫に厳しい。 |
| 不自由な 神 |
ヴォータンは神々の長だが自由ではない。槍に刻まれた契約に縛られている。道徳に反することは不可だ。 |
| ローゲ | 火の神ローゲの名は呼ばれるが、『ワルキューレ』でローゲは歌わない。燃えるだけ。 |
| ジーク フリート |
ジークリンデがヴォータンから逃れて生むことになるのがジークフリートで、まだ登場しないがブリュンヒルデが名付けるところでその音楽が聴こえる。 |
| 槍 | ヴォータンだけでなく、ワルキューレたちも槍を持っている。 |
| 羽根の 生えたかぶと |
ブリュンヒルデもワルキューレたちも独特の鎧を着て羽根の生えたかぶとを被っていた。最近の上演ではあまりお目にかからない。 |
| グラーネ | ブリュンヒルデの愛馬がグラーネだ。主人とともに眠り、『神々の黄昏』で行動を共にすることになる。 |
| 強力な テノール |
ジークムントを歌うのは強力なテノールでワーグナー・テノールあるいはヘルデン・テノールと呼ばれる。次の作品に登場するジークフリートはさらに強力な声が求められる。 |
| 強力な ソプラノ |
ジークリンデを歌うソプラノは強力な、ドラマティックな声が求められる。もっとドラマティックな声が求められるのはブリュンヒルデだ。 |
| 単独でも | まとめて上演されるのを作者は望んだが、4作の中でも人気の高い『ワルキューレ』は単独で上演されることも多い。 |
監修:堀内修