NEW2026/07/01(水)Vol.545
| 2026/07/01(水) | |
| 2026年07月01日号 | |
| オペラはなにがおもしろい 特集 |
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| オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
今年は1876年にドイツのバイロイト祝祭劇場で《ニーベルングの指環》4部作が世界で初めて全曲初演されてから、ちょうど150周年にあたります。4夜を連続でご紹介していきます。
いよいよ悲劇の終りを迎える。ブリュンヒルデは裏切られ、ジークフリートは槍で殺された。ブリュンヒルデの放った火は世界を焼き尽くすだろう。
聴いてびっくり「ラインの川岸に薪を積み上げよ!」の声でいよいよ《ニーベルングの指環》のフィナーレを飾る「ブリュンヒルデの自己犠牲」が始まる。大管弦楽は響き渡るが、助ける声のアンサンブルはなく、合唱団もいない。舞台にいるのは無言の愛馬グラーネだけ。たったひとりのソプラノが歌う。オペラの、というよりあらゆる舞台芸術の最も大規模な場面を支えるのはブリュンヒルデひとりなのだ。
「燃え上がれ!」と放たれた火が広がるあいだ、ブリュンヒルデが歌う。まずは愛するジークフリートの賛美だ。アイスキュロスの「オレステイア3部作」の終わりで、復讐の女神が慈愛の女神に変わるように、ブリュンヒルデはもう『神々の黄昏』第2幕の、激しい復讐心にかられた女ではなくなっている。聴こえるのは『ワルキューレ』の第3幕で予告されて以来の英雄の凛々しい姿だ。
燃え上がっていく火とともに、歌はヴォータンへの呼びかけに変わる。父への愛情ではなく、契約の社会を司った神々の世界の長の告発だ。いまや神々の世界が終わろうとしている。指環とこの世の宝を引き継ぐのは自分だと宣言し、ブリュンヒルデは燃え尽きた世界に残った黄金がラインの乙女のもとに戻るがいいと告げる。
4夜にわたる祝祭劇で生まれ、響いてきた音楽によって、過去の物語の本当の意味が明らかになっていく。『神々の黄昏』が単独で上演される機会が少ないのは、存分に味わうために4夜にわたる作品を聴き続ける必要があるからだ。
ワルハラに火が移ったのを見届けたブリュンヒルデは、愛馬グラーネを呼び、これから愛するジークフリートと一つになるのだと告げると、劫火の中に飛び込んでいく。
長いオーケストラの演奏が最後に「愛による救済」を響かせて全曲が終わる。
見てびっくり ギービヒ家のグンターと、いま忘れ薬を飲まされたばかりのジークフリートが義兄弟の契りを交わす。陰謀の立役者ハーゲンは加わらずに見ている。血を入れた杯を飲むだけでも気持ち悪いのだが、愛する者をケロッと忘れたジークフリートが嬉々としているのもどうかと思う。それをアルベリヒが指環を呪った音楽があおるのだから、人を陰気な気分にさせずにはおかない。その暗い気分こそが第1幕の空気を決めている。覚悟を決めて暗い気分に引き込まれるのも『神々の黄昏』の味わい方というものだ。
暗い気分をさらに深めるのが、ジークフリートによる指環強奪だ。かくれ頭巾でグンターに扮したジークフリートは、過去をすっかり忘れているから、罪悪感なく愛する妻を襲う。ブリュンヒルデは何が何だかわからないまま被害にあう。やりきれなさに浸るほかない。
第2幕の始まりもゾッとする。ハーゲンの夢に父親アルベリヒが現れて、悪事をそそのかす対話だ。悪役2人の不気味な対話が聴ける。
ハーゲンがギービヒの郎党を集めるところでようやく《指環》に合唱が登場する。浮かれる気分ではないのにホッとするのは、力強い合唱のせいだ。「ホイホー!」。
復讐の女神と化したブリュンヒルデがジークフリートと対決する「槍の誓い」の場は、第2幕の最もわき立つ場面だろう。暗い色調に貫かれているとしても、緊迫する。
運命の悲劇の暗さが支配する第2幕は、恐ろしい3人の歌でしめくくられる。グンターとハーゲンとブリュンヒルデの反ジークフクリート同盟が結成された。暗い、劇的なクライマックスが築かれる。
この歌を聴け 『ジークフリート』の第3幕で到達したブリュンヒルデとジークフリートの愛の幸福はそのまま『神々の黄昏』の序幕に引き継がれ、2人の愛の極地が描かれる。「おお神聖な神々よ」で始まる2人の歌で聴ける愛の幸福感は例えようがない。ジークフリートはブリュンヒルデに指環を贈り、ブリュンヒルデはジークフリートにグラーネを贈って、いよいよジークフリートは冒険の旅に出発する。「ジークフリートのラインへの旅」が高らかに演奏され、高揚した気分のまま、2人は別れる。たとえ待ち受けているのがこれ以上ないと思える過酷な運命だとしても、いや、だからこそ、この幸福感が忘れられない。
ハーゲンに渡された酒杯を口にしたジークフリートが、忘れた過去を歌い始める。そしてカラスの声を聞こうと振り向いたジークフリートの背中に、ハーゲンが槍を突き立てる。悲劇がまっすぐ終末へと向かう。最後の息で、ジークフリートはブリュンヒルデに呼びかける、「聖なる花嫁よ!」。この時ジークフリートは本来のジークフリートに戻っている。短い歌だが、そこに込められた愛の強さはまっすぐに聴く者に届く。悲痛な英雄の死は、そのまま「葬送行進曲」へとつながっていく。くり返される死の響きの上に築かれる音楽が英雄の行動の全体像を浮かび上がらせるうちに、ジークフリートの遺骸はブリュンヒルデのもとへと運ばれていく。この時聴く者はきっと《指環》の重さが肩にかかるのが感じられるはずだ。
| 3人の ノルン |
大地と智の神エルダの子である3人の女神がノルンで、運命の綱を編んでいる。 |
| 指環 | 『神々の黄昏』で、指環はジークフリートからブリュンヒルデ、またジークフリートというように渡り、最後はブリュンヒルデからラインの乙女たちへと還る。 |
| グラーネ | ブリュンヒルデの愛馬グラーネはジークフリートに委ねられるが、最後はブリュンヒルデを乗せて火中に入る。 |
| 忘れ薬 | 効き目が早い。飲まされたジークフリートはあっという間に過去を忘れる。 |
| ラインの 乙女 |
《ニーベルングの指環》の冒頭に登場した3人のライン川の精は最終場面にも登場する。 |
| 渡されなかった 指環 |
第3幕でラインの乙女と遭遇したジークフリートは、乙女たちに指環をあげようとするが、結局渡さない。 |
| 姉と妹 | ワルキューレ姉妹の妹であるワルトラウテが、姉ブリュンヒルデに指環を返すように頼みにくるが、断られる。 |
| 動物たち | 竜以外にも動物たちが出てきて活躍する。第1幕でジークフリートが連れて歩くのは熊で、第2幕では小鳥がジークフリートにいろいろ教える。第3幕でブリュンヒルデと一緒に目覚めるのは愛馬グラーネだ。熊とグラーネは歌わない。 |
| 悪の父子 | アルベリヒが指環奪還の野望を託すのが、悪の主役というべきハーゲンだ。愛を断念したはずのアルベリヒが人間の女性に生ませた男だ。 |
| 槍 | 槍を持っているのはヴォータンだけではない。ハーゲンもギービヒ家の連中も槍を持っていることが多い。 |
| トネリコ | ライン川の畔に積み上げられる薪は「世界のトネリコ」の木を切ったもの。 |
| ノートゥング | ジークフリートの剣として大活躍したノートゥングは、序幕でブリュンヒルデとジークフリートのあいだに立てられてるという不名誉な役を担い、その後表舞台から消える。 |
| 神々 | ノルンとワルトラウテは出てくるがヴォータン以下の神々は登場しない。最後に炎上するワルハラにいるのがうかがえるだけ。 |
| 長い | 大体《ニーベルングの指環》が長い作品なのだが、『神々の黄昏』は特に長い。序幕と第1幕だけでも『サロメ』全曲より上演に時間がかかる。 |
| 合唱 | 『ラインの黄金』から『ジークフリート』まで出てこなかった合唱が、『神々の黄昏』ではギービヒ家の者たちとして出てくる。抜群の効果を発揮する。 |
| ヘルデン・ テノール |
ジークフリートを歌うテノールはヘルデン(英雄)テノールに分類される。ドラマティック・テノールの中でも特に強力な声だが、別に賛辞ではない。 |
| ホッホ・ ドラマティッシェン |
ブリュンヒルデを歌うソプラノも特に強力な声を必要とする。 |
| 愛による 救済 |
全曲の最後に響くのは「愛による救済」と名付けられた音楽だ。これは『ワルキューレ』の第3幕で、ジークリンデがブリュンヒルデから英雄を身籠っていると聞かされた時、最初に出てくる。 |
監修:堀内修