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NBS日本舞台芸術振興会
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NEW2026/11/04(水)Vol.553

ブリテン:『ヴェニスに死す』
2026/11/04(水)
2026年11月04日号
オペラはなにがおもしろい
特集

ブリテン:『ヴェニスに死す』

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

疫病が広まるヴェニスは死の町になろうとしている。この町で美と愛と死がひとつになる

ざっくり、こんな話

  • 何かに導かれるように、アッシェンバッハがヴェニスにやってきた。リド島のホテルで優雅な婦人に連れられた少年に目を奪われる。声もかけられないまま、アッシェンバッハは少年タジオから目が離せなくなる。その関心は仲間とスポーツをするタジオを見つめるうちに美の賛美と愛へと高まっていった。だがヴェニスには伝染病が広がっている。人々が町を離れていく中で、踏みとどまったアッシェンバッハは、話もできないまま、タジオへの愛を深めていく。最期の時がきた。去っていくタジオの一家を見つめ、海岸で少年の名をつぶやきながら、こときれる。美と愛と死がひとつに溶け合った。
  • ブリテン作曲 パイパー作詞 全2幕、英語/1973年、オールドバラ音楽祭、初演

聴いてびっくり

その時は静かに訪れる。ブリテン最後のオペラは、多分本人の心情を反映するかのように、雄弁ではない。とりわけ幕切れは静かだ。びっくりするのはその何気なさかもしれない。まるで死そのもののように、また作ったブリテン自身の求める死のように、美の化身としての愛する者の面影を目に焼きつけるように、アッシェンバッハは死を迎え、幕がおりる。さまざまな音楽的作為をオペラに凝らした音楽家は、最後に作為に凝らない音楽の静けさによって、終わりの時を迎えた。このオペラが初演された時病の床にあったベンジャミン・ブリテンは、3年後の1976年に亡くなった。『ヴェニスに死す』が全曲の幕をおろす時はいまも、舞台の上や客席は、決ってしんとしている。

見てびっくり

主人公アッシェンバッハが崇拝するのは美少年タジオだが、タジオは黙役で、歌わない。アポロのように美しいタジオでなく、アポロが歌う。圧巻は第1幕の終わりで、タジオと少年たちが古代ギリシアのような競技を行う場面だ。ヴェニス脱出をあきらめてホテルに戻ったアッシェンバッハがタジオを見て、ここにずっといようと決めた。そして天からアポロ神の自分を崇めよ、という声が響いてくる。少年の美が古代の神を結びついて、レスリングに競走に幅跳びに槍投げ、そして円盤投げと繰り広げられる競技からアポロ神の、肉体の美が現れてくる。アッシェンバッハがタジオを「愛している」とひとり口にするのはこのあとだ。カウンターテナーによるアポロの声は、特別な力を持っている。アポロはもう一度、アッシェンバッハの夢の中にも現われる。対立するもう1人の神、ディオニソスとの議論には、主人公というより作者自身の芸術に対する思索が反映している。ブリテンは最後の作品で、ギリシアの2人の美の神を夢見た。

この歌を聴け

アッシェンバッハとタジオは1度も二重唱を歌わない。少年は黙役なのだから当然だ。作家の恋は一方的なのだ。オペラの第1幕は最後の恋に落ちていく男の、切ないモノローグで占められている。まずリドのホテルのロビーで少年を見かけて始まり、海岸でその名前を知ることで進む。現在の美を求めながら、作家としての過去にとらわれて、一度は少年から離れ、ヴェニスを去ろうとする。だが逡巡の末実行できない。モノローグの連なりは、まるで少年が初恋をしているかのようだ。『ヴェニスに死す』で、最後の恋は最初の恋に似ている。

鍵言葉キーワード

ブリテンベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)は16のオペラを作った。第2作が『ピーター・グライムズ』で、16番目、最後のオペラとなったのが『ヴェニスに死す』だった。
マン原作はトーマス・マンの中篇小説〈ヴェニスに死す〉で1912年に発表されている。
ヴィスコンティルキノ・ヴィスコンティがマンの原作を映画化した「ヴェニスに死す」は1971年に公開されている。
アッシェンバッハ主人公アッシェンバッハはドイツに住む作家だが、ヴィスコンティの映画では音楽家になっている。原作の小説が執筆されている時にマーラーが亡くなり、影響されたのがきっかけになっているという。
ピアーズ初演でアッシェンバッハを歌ったテノールのピーター・ピアーズは、ブリテンの生涯のパートナーだった。ブリテンのオペラ制作にピアーズは深く関わっている。
映画とオペラブリテンがこのオペラを作曲中にヴィスコンティの映画が公開された。周囲は影響を受けないよう、映画を観ないように勧めたという。作品はともかく、現在の上演には映画の影響があるものが多い。
ヴェニス栄華を極めたヴェネツィア共和国はゆっくり没落したが、20世紀に入ってもヴェニスは美しい水の都だった。だが衰退し、既に疫病の蔓延する死の都でもある。
リド島ヴェニスの町と外海とを隔てる堤防のような細長い島には海水浴場があり、20世紀初頭も現在も保養地となっている。
ゴンドラミュンヘンから列車でヴェニスの駅に着いた主人公は、心ならずもゴンドラでまっすぐリド島に向かう。帰ろうと試みるが果たせない。
タジオ家族とリド島に滞在するポーランド人の美少年で、ギリシアのタデウス(=勇気)に由来する。原作にはモデルもいて、作者の死後公になった。
アポロンとディオニソス第2幕でアッシェンバッハの夢の中に現われるギリシアの神アポロン(=アポロ)とディオニソスは、ニーチェが「悲劇の誕生」で考察した2つの対立する概念で、理性対情念あるいは秩序対混沌のように対比される。
床屋と芸人主人公に化粧をほどこす床屋や俗っぽい芸を披露する芸人たちは、このオペラに独得の彩りを与えている。
視線アッシェンバッハとタジオは最後まで会話を交わさない。視線を交わす。
憧憬南への憧れからヴェニスへの憧れ、そして少年へ、美へ、死へと憧れは広がる。『ヴェニスに死す』は憧憬で満ちあふれている。

監修:堀内修