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NBS日本舞台芸術振興会
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Photo: Mizuho Hasegawa

2021/03/03(水)Vol.417

オペラとバレエの衣裳(1)
2021/03/03(水)
2021年03月03日号
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佐々木忠次コレクション
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Photo: Mizuho Hasegawa

オペラとバレエの衣裳(1)

マリシア・ハイデのジュリエットのドレス

公益財団法人日本舞台芸術振興会は本年創立40周年を迎えます。これを記念してNBSNEWS WEBマガジンでは、財団創立者である佐々木忠次が、オペラやバレエの招聘・制作事業を通して関係者より贈られた衣裳等のコレクションをご紹介しながら、それにまつわる公演やアーティストの活躍を振り返っていきたいと思います。

随所にパールとスパンコールが施されたシルクシフォンのドレスは、胸下に切り替えのある独特のスタイル。控えめな色合いながら、その素材の良さと優れた職人の繊細な技は、思わずため息が出るほど──。シュツットガルト・バレエ団を代表する作品の一つ、ジョン・クランコ振付『ロミオとジュリエット』で、クランコのミューズ、マリシア・ハイデが着用していた衣裳だ。

 
Photos: Mizuho Hasegawa

デザインは、数多のオペラ・バレエの美術・衣裳を手がけ、天才とたたえられるユルゲン・ローゼ。彼が世界的名声を得るきっかけとなったのは、そのキャリアの初期にクランコと組んで次々と生み出した数々の傑作であり、その最初の作品が『ロミオとジュリエット』(1962)だった。シュツットガルトの芸術監督に着任した直後の若きクランコは、ブラジル出身の黒髪で小柄なダンサー、ハイデを見出し、彼女のためにジュリエット役を振付けた。

ハイデが日本で『ロミオとジュリエット』全幕で主役を演じたのは、1984年4月の日本公演初日の一度きり。ロミオ役はタマシュ・デートリッヒだった。当時のハイデはシュツットガルトの名花として絶大な人気を誇り、カンパニーの芸術監督としての重責も担いながら、ジュリエット役のほか『じゃじゃ馬馴らし』全幕にも主演。さらにミックス・プロでは客演のジョルジュ・ドンとともにベジャールの『ガルボの幻想』にも出演し、客席を沸かせた。

彼女の初来日は、シュツットガルト・バレエ団初の日本公演(1973年)。佐々木忠次は自著『闘うバレエ 素顔のスターとカンパニーの物語』(2001年、新書館)で、「ぼくは観客以上に興奮した。すごいと思った」と綴り、「じゃじゃ馬そのもののような演技」と、彼女の溌剌としたコメディエンヌぶりに目を見張った。

そんなハイデがジュリエットを踊る──。日本の観客は、一般的にダンサーとしてのキャリアの終盤の年齢を迎えていた彼女が、初恋に身を焦がし、悲劇へと突き進むいたいけな少女を体現するさまに瞠目し、涙した。ハイデは世界バレエフェスティバルにも度々登場、『ロミオとジュリエット』の第2幕(寝室)のパ・ド・ドゥや『オネーギン』のパ・ド・ドゥをはじめとするクランコ作品、またノイマイヤーやベジャールなどの作品を踊り、その魅力を日本の観客に強く印象付けた。

1990年には自身の振付・演出による『眠れる森の美女』を携えての日本公演が実現。2002年の日本公演では『ロミオとジュリエット』のキャピュレット夫人役で登場、真に迫る演技で悲劇を一層際立たせた。

シュツットガルト・バレエ団の芸術監督は、ハイデの後任をリード・アンダーソンが務め、現在は、あの日本公演でハイデとともに『ロミオとジュリエット』に主演したタマシュ・デートリッヒに引き継がれた。ジュリエットの衣裳は既に代替わりし、デザインも刷新されているが、この作品は幾世代ものダンサーたちによって大切に踊り継がれ、クランコの伝統を現代に、また未来へと伝え続けている。

加藤智子 フリーライター