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2022/03/02(水)Vol.441

ロシアのウクライナ侵攻とクラシック音楽界
2022/03/02(水)
2022年03月02日号
世界の劇場を知ろう
特集

ロシアのウクライナ侵攻とクラシック音楽界

世界中が注目し、緊張が高まるロシアのウクライナへの軍事侵攻。政治や経済といった面での各国の対応については大きく報じられていますが、実はクラシック音楽界にもさまざまな動きがあります。歌劇場やオーケストラの対応、個々のアーティストの意思表明などのいくつかをご紹介します。

世界中の多くの歌劇場が、侵攻が始まった直後から、ウクライナとの連帯を表明。バイエルン国立歌劇場、ローマ歌劇場をはじめとしたいくつもの劇場が、オペラハウスの建物のファサードをウクライナの国旗の色で照らし、平和への賛同と戦争への反対を表明しました。
英国ロイヤルオペラは、夏に予定されていたボリショイ・バレエのロンドンでの公演キャンセルを発表。イギリスではこの他にも、ウルヴァーハンプトンとノーサンプトンシャーの劇場もロシアのバレエ団のツアー中止を発表しています。
また、スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念モスクワ音楽劇場バレエの芸術監督を務めるフランス人ローラン・イレールは2月27日に辞職を表明、翌日には出国するとメディアに告げました。

ローマ歌劇場Facebookに掲載されたウクライナの国旗の色で建物のファサードが照らされた劇場建物

プログラムの変更により平和の回復とウクライナへの連帯を表明したのはベルリン放送交響楽団と首席指揮者ウラディーミル・ユロフスキ。当初プログラムされていたチャイコフスキーの「スラヴ行進曲」をウクライナ国歌と、その作曲者であるミハイル・ヴェルビツキーの交響曲に変更しました。ちなみに、ウクライナ国歌のタイトルは「ウクライナは滅びず」。短命に終わったウクライナ人民共和国の国歌として1917年採用されましたが、併合により旧ソ連のもとでは歌うことを禁止されたというもの。1991年にウクライナは独立を果たし、翌1992年に国歌として復活しました。ユロフスキは、自身はモスクワ生まれで祖父がウクライナ人。「今回の行動(侵攻)に非常に憤慨すると同時に、家族の歴史を考えるととても悲しい」と語っています。

ユロフスキと同様に自身がロシアのオムスク生まれであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者キリル・ペトレンコは、軍事攻撃は世界の平和に対して後ろからナイフを刺すようなもの、すでに知られている通り、あらゆる国境を超えて人々をつなぐ芸術への攻撃であるとし、「私はすべてのウクライナ人の同僚と深く連帯しており、すべての芸術家が自由、主権、そして侵略に反対するために一緒に立ち上がることを願っている」と声明を発表しました。なおベルリン・フィルは2月末のグスターヴォ・ドゥダメル指揮によるマーラーの交響曲第2番を、ウクライナの犠牲者に捧げると表明。

ロシアのウクライナ侵攻に関するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とその首席指揮者キリル・ペトレンコの声明
https://www.berliner-philharmoniker.de/news/detail/stellungnahme-invasion-ukraine/

また、ハンブルクのエルブフィルハーモニーやリンツのブルックナー・ハウスなど、ウクライナを支持して、ロシアのパトロンと距離を置くコンサートホールも多いそうです。

いま、最も苦しい立場にあるのはロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフでしょう。2月25日からのウィーン・フィルのカーネギーホール公演が急遽降板となったことは新聞各紙でも報道されました。降板の理由は明らかにはされなかったものの、記事にはゲルギエフがプーチン大統領と長年親交があったことも掲載されました。この事実はさらに大きな問題にも進展しています。ゲルギエフは2月23日にミラノ・スカラ座で『スペードの女王』の初日を指揮。この後3月も振ることになっていますが、ミラノ市長が「侵攻に対して平和的解決を求める見解を明らかにしない場合、指揮は認めない」という書簡を送付したということです。さらに、カーネギーホールは5月に予定されているゲルギエフ率いるマリインスキー管弦楽団の公演もすべてキャンセルすると発表。このほかロッテルダム・フィルや首席指揮者を務めるミュンヘン・フィルも期限つきでの態度表明を求めています。2月末現在、ゲルギエフは沈黙を保っています。

もう一人、世界で活躍するスターだけに、苦しい立場に置かれたといえるのがソプラノのアンナ・ネトレプコでしょう。"プーチン寄りのアーティスト"とする批判や抗議により、2月25日のデンマークでのコンサートのキャンセルを余儀なくされました。そして27日、「まず第一に、私はこの戦争に反対しています。 私はロシア人で、自分の国が大好きですが、ウクライナにはたくさんの友達がいて、今、私の胸は苦痛で張り裂けそうです。この戦争を終わらせ、人々が平和に暮らせるようにしたいと思います。 これが私が願い、祈っていることです。 ただし、芸術家や公人に公の場で政治的意見を表明し、故郷を非難することを強制することは正しくありません。 これは自由な選択です。 私は政治家ではありません。 私は政治の専門家ではありません。 私は芸術家であり、私の目的は政治的分裂を越えて団結することです。」とFacebookに投稿しました。

国際社会で「ロシア軍の侵攻」への非難が高まるからと言って、それがすべてのロシア人に向けられるべきではないことも心に留めておかなければならないでしょう。実は、ロシアの文化省は、「軍事行動に反対して発言することは反逆行為と見なされる」と述べた法令を公布したとのことで、ロシアのアーティストたちは誰もが厳しい状況にあります。アレッサンドラ・フェリは、アーティストだけでなく、こうした苦境に置かれたロシアの人々への思いを「私はウクライナの人々、女性、子供、男性、同僚、友人の味方です。また、ロシアで戦争に反対し、声を上げようとしながらも、沈黙を強いられている多くの人々に心を寄せています」と、自身のInstagramで発しています。

多くの国際的なアーティストたちも、FacebookやInstagramなどで、ウクライナへの連帯と平和への祈りを表明しています。一つひとつを紹介することはできませんが、振付家のアレクセイ・ラトマンスキーのFacebookでは、ヤーナ・サレンコ、ナターリヤ・オシポワ、イザベル・ゲラン、マニュエル・ルグリ、ニーナ・アナニアシヴィリ、ウラジーミル・マラーホフなどなど、多くのダンサーたちの言葉が紹介されています。
アレクセイ・ラトマンスキーのFacebook
https://www.facebook.com/alexei.ratmansky

刻々と変化する情勢とともに、クラシック音楽界への影響も次々に報じられていますが、2月28日に、ボリショイ劇場のウラジーミル・ウリン総裁や著名な指揮者・ヴァイオリニストであるウラジーミル・スピヴァコフをはじめとするロシアの多くの文化的指導者たちが、プーチン大統領に戦争を止めるよう求める嘆願書に署名したとというニュースが届きました。彼らは「 私たちは新たな戦争を望んでいません。人々を死なせたくないのです。 20世紀は、人類にあまりにも多くの悲しみと苦しみをもたらしました。 21世紀は、希望、寛容、対話、人間の会話の世紀、愛、思いやり、そして慈悲の世紀になると信じたいと思います。 私たちは、それが依存するすべての人、紛争のあらゆる側面に、武力行動を止め、交渉のためにテーブルに座るよう呼びかけます。 私たちは、最高の価値、つまり人間の生命の維持を求めています」と、願いを込めた手紙を送っています。

最後に、少しだけ心が安らぐ話題を。 ナポリのサンカルロ劇場、2月26日『アイーダ』公演はウクライナのソプラノ、リュドミラ・モナスティルスカとロシアのメゾ・ソプラノ、エカテリーナ・グバノヴァが出演。カーテンコールでは二人が抱き合い、聴衆の多くが「ピース!」と叫んだそうです。

サンカルロ劇場、Facebookに掲載されたカーテンコールの様子

本記事は2022年2月28日(月)時点までのクラシック音楽・バレエ界の動きをまとめたものです。