世界バレエフェスティバルの歴史 vol.3

photo:Kiyonori Hasegawa

1994年開催の第7回、ハイデとノイマイヤー
がベジャール振付の「椅子」で共演


 1990年代、世界各国から様々なバレエ団が来日するなかで、スターダンサーたちによるグループ公演も多種多様に開催されますが、世界バレエフェスティバルの豪華さ、規模は格別でした。第1回の開催から10年、20年を経て、その内容もより多彩に、より充実していきます。
 1991年の第6回では、ボリショイの名花と謳われたニーナ・アナニアシヴィリをはじめ、アンドリス・リエパ、ファルフ・ルジマートフらロシアのスターたちが新たに参加し、その華やかさが話題に。また、歌舞伎界から坂東玉三郎が特別出演、自身の振付作品「紫陽花」、さらにはジョルジュ・ドンと共作の「デス・フォー・ライフ」を披露し、会場をわかせました。また、翌年に帰らぬ人となったドンがガラで踊った「ボレロ」は、彼の日本での最後の舞台として、歴史に刻まれています。
 こうした思いがけない豪華な共演、歴史的パフォーマンスは、本フェスティバルならではの魅力の一つ。1994年開催の第7回では、ジョン・ノイマイヤーがマリシア・ハイデとともに、ベジャール振付の「椅子」を踊るという超大物の組み合わせが客席を魅了、古典作品のパ・ド・ドゥだけでなく、日本での上演機会の少ない、優れた作品を観ることができる貴重な場として評判が高まっていきます。また、この公演で長年活躍してきたハイデとフェルナンド・ブフォネスが舞台で日本での引退を発表し、現役代表のパトリック・デュポンが惜別の辞を述べるという一場面も。いっぽう、この回で初登場を果たしたスターといえば、ウラジーミル・マラーホフ。アレッサンドラ・フェリと大阪公演で披露した「ジゼル」第2幕、さらに「ヴォヤージュ」など、その十八番ともいえる作品で存在感をアピールしました。
 1997年の第8回は、10ヵ国15のバレエ団から35名が出演し、1プログラムにつき18演目を上演、各公演が4時間超えという、バレエフェスティバル史上最大規模の公演に。当代トップを誇るスーパースターのほか、新世代のダンサーも多数紹介され、なかでも、ホセ・カレーニョをはじめとする中南米出身のダンサーたちのラテン・パワーが注目の的に。また、夏のA、Bプログラム上演に先立つ4、5月には、1988年以来となる全幕特別プロも開催。エリザベット・プラテル、マニュエル・ルグリ主演の「眠れる森の美女」をはじめとする古典3作品が上演されました。
 この1990年代を通して目立っていたのは、シルヴィ・ギエム、フェリ、ルグリ、マラーホフら世界的スターたちの連続参加。彼らはフェスティバルの中核を担う存在として、開催のたびにスターとしての並外れた輝きを強く印象づけ、数々の感動をもたらしたのです。