新『起承転々』〜漂流篇VOL.4 バブル文化再燃?

バブル文化再燃?

 5月14日の朝日新聞朝刊の『文化の扉』で『今ウケるバブル文化』と題する記事が載っていた。同じ時期に週刊東洋経済(5月20日号)が『最後の証言-バブル全史』という特集を組んでいた。最近、バブル経済への関心が高まり、バブル文化復活の兆しがあるという。朝日新聞の記事の中で、哲学者の原宏之氏は「メディアの指南を頼りに誰もが分かるブランド品に殺到する。バブル文化にはある種の貧しさがつきまとった。ただ、狭量な空気があふれる今より、寛容さが社会にあった。だから当時の社会と文化を人は懐かしく思うのでは」と述べている。バブル文化は1980年代後半から1991年ごろの好景気を背景にした大衆文化を指すのだそうだが、あの狂乱の時代は私じしん思い返しても、蜃気楼のように茫漠として輪郭がはっきりしない。“オペラ・ブーム”といわれたのもそのころだ。1987年のベルリン・ドイツ・オペラによる《ニーベルングの指環》全曲日本初演がブームの火付け役だった。企画を発表したとたん問い合わせの電話が殺到し、チケット発売日の1週間前から東京文化会館のプレイガイドには安い席をもとめて長蛇の列ができた。全席即日完売だった。翌88年にはミラノ・スカラ座、メトロポリタン・オペラ、バイエルン国立歌劇場の三大オペラハウスが相次ぎ来日、どこも大入満員だった。NBSはこの年ミラノ・スカラ座の2度目の日本公演を行ったが、カルロス・クライバー指揮の『ボエーム』、ロリン・マゼール指揮の『トゥーランドット』、そして当時音楽監督だったリッカルド・ムーティが『ナブッコ』と『カプレーティとモンテッキ』を指揮した。オペラ・ファンはもちろんだが、オペラという高級ブランドに飛びついた人も多かったのだろう。客席にはあきらかに水商売と思しき着物姿のご婦人も何人か見かけた。“オペラ・ブーム”はバブル経済が破綻してもしばらく続き、1994年のカルロス・クライバーが指揮したウィーン国立歌劇場の『ばらの騎士』あたりがピークだったように思う。“オペラ・ブーム”の場合はバブル経済と違って突然はじけたわけではなく、徐々に熱が冷めていった。しかも観客の年齢層が上がって、少しずつ元気がなくなった感じだ。
 近年の外来オペラの中でもっとも注目を集めているのが、今秋9月のバイエルン国立歌劇場日本公演で『タンホイザー』を指揮するキリル・ペトレンコだ。名門ベルリン・フィルの次期首席指揮者に指名されて、一躍世界中から熱い注目を浴びている。音楽だけに集中したいからという理由で、マスコミからのインタビューを一切受けないから、日本公演を宣伝してチケットを売らなければならない立場の当方としては非常に困っている。東京での宿泊先も、会場のNHKホールから歩ける距離にしてくれとの要望が届いているが、どうやら束縛を嫌い自由に行動したい人のようだ。そのあたりはかつてミュンヘンの郊外に居を構え、バイエルン国立歌劇場を中心に活躍したクライバーを彷彿させる。クライバーは“キャンセル魔”の異名をとり、自分の音楽づくりにこだわるあまり、思うようにいかないと公演をキャンセルしたが、どうやらペトレンコも自身の音楽づくりに相当一途らしい。去る5月21日にミュンヘンで『タンホイザー』がプレミエ上演されたが、ペトレンコ指揮の演奏に対しては最大級の賛辞が贈られた。カステルッチの演出にはブーイングとブラボーの応酬で、客席は騒然となった。新しいものが誕生するときには爆発するようなエネルギーが必要だから、近年、観客がすっかりおとなしくなってしまった日本からみれば、ミュンヘンが羨ましく思える。地元の批評によれば、「キリル・ペトレンコの指揮はセンセーショナルで多面性に富んでいる。いろいろな色に輝く万華鏡」(南ドイツ新聞)、「ペトレンコは音楽に新鮮な活力をもたらしている。音の大きさや速さといった表面的な迫力ではなく、筆舌に尽くしがたい壮大さと威厳をもたらしている」(ニューヨーク・タイムズ)と絶賛激賞だ。
 現在はモノがあふれているが、心に余裕がなくなっている。これからは体験や感動、思い出といったコトに価値を見出さなければならないのだろうと思っていたら、たまたま日経MJ(5月19日付け)でバブルの中心世代であるTSUTAYAの増田宗昭氏の言葉を見つけた。「(消費が)もう行きつくところまで行きついてしまってハッピーが見えなくなってしまった。そのときにアートが心を動かす。アートとは無駄。人の心を動かす無駄なモノ。そもそも人生って無駄なんじゃないの。楽しむことしかないのだから」。
 お金のもっとも有効な使い道は、感動を買うことだと思うが、拙稿をお読みくださっている皆さんはいかがお考えだろうか。1980年代後半、経済的な豊かさと寛容な精神が“オペラ・ブーム”を生み出した。いまバブル文化が顧みられる中、“現在のカリスマ”キリル・ペトレンコ率いるバイエルン国立歌劇場日本公演を機に、“オペラ・ブーム”が再燃することを密かに夢見ている。