新『起承転々』〜漂流篇VOL.38 続・ショウ・マスト・ゴー・オン

続・ショウ・マスト・ゴー・オン

 先号で「ショウ・マスト・ゴー・オン」と題し、〈アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト〉の出演者と演目変更の顛末を書いた。我々の仕事はリスクが大きすぎると、ついぼやいてしまったのだが、ドタバタの〈コジョカル〉の公演の後に、さらに、とてつもないリスクが待ち構えているとは思いもしなかった。安倍首相が出した新型コロナウイルスによるイベントの自粛要請である。要請が出されたのは、パリ・オペラ座バレエ団日本公演の初日の前日のこと。それからがたいへんだった。
 すでにバレエ団が来日していたこと、公演に向けた準備が整っていたこと、中止した場合の公的な補償が望めそうにないことから、そのままこのプロジェクトを続行せざるを得ないという結論に至った。そこで、厳重に安全確保につとめたうえで、公演を開催することにしたが、実際、経済的な損失を考えると簡単に中止できないのが実情だった。「ヤルも地獄、ヤメルも地獄、ここは地獄の1丁目」という言葉が頭の中に浮かんでは消えた。
 人命に関わることなので公演を中止すべきという声も聞こえてきて、苦渋の決断を強いられたが、実際、公演に足を運んでくださった多くの方からかけてもらった「この難しい状況の中、公演を実現してくれてありがとう」という声に励まされた。観客の反応はすべて肯定的なもので、終演後のカーテンコールでは、毎回、全員総立ちのスタンディング・オベーションが繰り広げられた。パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督オレリー・デュポンは、「ダンスは舞台を見ている間、さまざまな困難を忘れさせ、人の心を癒すために存在する」と語ったが、芸術には人々の心を解放する力があるという明確な証かと思う。
 この観客の反応は、2011年3月の東日本大震災のときのことを思い起こさせた。あのときもそうだった。不安に押しつぶされそうな人々の心を舞台芸術は鼓舞し、希望や勇気を与えることができたと思う。これこそ芸術の役割ではないか。我々ができることは舞台芸術の持つ力を信じ、公演を行うことにより、一人でも多くの人々を力づけることだとあらためて感じた。
 今回の「コロナ・ショック」は出口が見えないのが、人々の心を不安に陥れている。「パンデミック」とともに「インフォデミック」という耳慣れない言葉が聞かれるが、根拠のない情報の広範囲にわたる拡散、それに伴う社会の混乱を意味するらしい。今回のコロナウイルス騒動は、実態以上に不確実な情報の拡散が問題を大きくしているように思える。得体の知れないコロナウイルスという「見えない敵」にむやみに怯えるだけではなく、冷静に現実と向き合うことが重要なのではないだろうか。
 劇作家・演出家の野田秀樹氏が「劇場公演の継続を望む」との意見書を3月1日に公式ホームページに発表したところ、「演劇の死」と話題になり、賛否両論、たちまち炎上したらしい。「『いかなる困難な時期にあっても、劇場は継続されねばなりません。』使い古された言葉ではありますが、ゆえに、劇場の真髄をついた言葉かと思います。」と記してあった。まさにこれは「ショー・マスト・ゴー・オン」と同義ではないか。我々がいまやっていることは、舞台芸術の歴史からすれば、ほんの一部を担っているにすぎず、この歴史を未来につなげることを考えたときに、さまざまな手を尽くしても公演を続けなければならないと私は考えている。歴史的に見ても経済はやがて回復するだろうが、一度破壊された文化は簡単には復旧しない。いかなる状況にあっても、舞台芸術の灯を消さないことが、我々の使命だと強く思う。
 パリ・オペラ座バレエ団日本公演をなんとか中止せずに済んだものの、来場しなかった方の払い戻しを受け付けているので、その損失はおよそ1億5千万円にも及ぶ。この「コロナ・ショック」は世界経済に大打撃を与えているが、政府のイベント自粛要請の長期化に、どの団体も存亡の危機にさらされている。あちこちから断末魔の悲鳴が聞こえてくるようだ。
 今回の「コロナ・ショック」で、世の中は激変するに違いない。テレワークによる働き方や、巣ごもりと呼ばれるライフスタイルの定着、渡航制限が解除されたにしても渡航を自粛するようになるなど、世の中全体が内向きになるように思う。我々の世界ではネット配信に活路を見出そうという動きが出始めているが、舞台芸術は出演者と観客が劇場空間を共有し、一緒になってつくるものだと思っているので、ネット配信が当たり前になると、生の舞台の存在意義を自ら否定することになりはしないかと心配になる。
 この大災厄によって舞台芸術の世界は大きく傷ついているが、「ピンチはチャンス」という言葉もあるのだから、禍転じて悲願の文化省設立につなげるなどして、文化行政の在り方をドラスティックに変えなければならないのではないか。芸術団体を守るために助成金の仕組みや寄付税制など、これまでなかなか変えられなかったことを、この機に政府に一気に変えてもらい反転攻勢をかけなければ、私自身死んでも死にきれない思いだ。我々舞台芸術に携わる者が、各々の人生をかけた「ショウ」を次の時代につないでいくために。