新『起承転々』〜漂流篇VOL.40 新しい日常

新しい日常

 長い自粛生活に「コロナ疲れ」を感じ始めている。4月下旬に予定していた〈上野の森バレエホリデイ〉が中止を余儀なくされ、急遽〈バレエホリデイ@home〉と銘打って、オンラインで舞台映像やクロストークやインタビュー、オンライン・レッスンなど60以上に及ぶコンテンツをネットで配信した。当初、5日間だったが好評につきゴールデンウィーク明けまで延長し、16万9千人(動画視聴回数は延べ53万2千回)がサイトを訪れた。これだけバレエに飢えていた人がいたのだと思う一方、今後インターネットをいかにうまく使うかによって、舞台芸術を普及振興させるための新たな可能性も感じた。
 このたびのコロナ禍を受け、主要な国々は芸術文化を守るためすばやく対応しているが、我が国の政府は欧米と比べ芸術文化を著しく軽視していると感じた。中でもドイツの文化相は「アーティストは必要不可欠な存在であり、生命維持に必要だ」と発言し、アーティストや芸術団体を手厚く遇している。アメリカ人の小説家スティーブン・キングが「もし、あなたが『アーティストはこの世に無駄なものだ』と思うのなら、自粛の期間、音楽や本や詩や映画や絵画なしで過ごしてみてください」とツイッターに書き込んだらしいが、我が意を得たりと思わず膝を打った。芸術には精神を安定させ、心を豊かにする力がある。
 このコロナ禍のトンネルの出口が見えてこないが、長期戦を強いられることは明らかで、コロナと共存する「ウィズ・コロナ」、終息後の「ポスト・コロナ」という言葉が盛んにメディアで使われ始めている。ペストやスペイン風邪の世界的な感染症が起こるたびに世界は大きく変わってきた。そうした意味で、我々はいま世界の歴史の大きな転換点に立ち会っているのかもしれない。ワクチンが完成するのは来年の夏ごろだろうと見られており、しばらくは新型コロナウイルスと共存していかなければならないことは間違いない。「新しい日常」が求められ、手洗いはもちろんマスク着用は必須で、人と人との距離をとらなければならない。それ以外にも行動にさまざまな制限が加えられる。ある雑誌の女性編集者がテレビで「マスクをつけないのはパンツを履いていないのと同じだ」とコメントしたのを聞いて、思わず唸ってしまった。「新しい日常」とは、マスクがパンツになることなのだと妙に合点がいった。
「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」なるものが発表された。公演活動再開に向けた指針として、非常に細かい対処が要請されている。中でも我々にとって一番の足かせは、「座席の最前列席は舞台前から十分な距離を取り、また、感染予防に対応した座席での対策(前後左右を空けた席配置、又は距離を置くことと同等の効果を有する措置 等)に努めてください」という一文が入っていることだ。前後左右を空けるということは、我々の業種にとって致命的で、劇場で観客が半分しか入らなければ採算がとれない。客席数が半分になったからと言って、入場料を2倍にすることもできない。空けた席分の収入をどこかが補填してくれなければ公演が成立しないのだ。劇場はライブハウスなどと違って換気の基準が厳しく、これまでクラスターも発生していない。公演中、来場者は一定の方向をむき音もたてずに舞台に見入っているのだから飛沫感染が生じるとも思えない。長期にわたってこのガイドラインを守らなければ公演が開催できない状況が続けば、ほとんどの芸術団体は死滅してしまうだろう。
 先月のNBSニュースを郵送する封筒に、「10万円の給付金の一部を瀕死の舞台芸術界にご寄付を!」と見出しを付けた文書を同封させていただいた。公演やイベントは「3密」の代表格と目され最初の段階から自粛の対象にさせられていて、多くの芸術団体がこれ以上は経済的に耐えられないところまで追いつめられている。10万円の給付金の一部を支援したい団体に寄付してほしいと訴えたが、多くの人が賛同してくれたことに励まされた。このコロナ禍によって、人々の心は荒廃している。これからの「ウィズ・コロナ」「ポスト・コロナ」の時代には、人々の心を癒し希望や活力を与えることができる舞台芸術の力がますます重要になるのではないか。給付金の一部を寄付に回してもらわなくても、給付金を使って好きな公演のチケットを買ってもらうだけでありがたい。公演のチケットを買っていただくだけで芸術団体にとってサポートになるし、観客の皆さんも公演をご覧になることによって元気と感動を得てもらえれば、芸術団体と観客双方にとって幸せなことではないか。10万円の給付金の有効な使いみちになるのではないかと思うのだが、どうだろう。
 14世紀に世界を襲ったペストは、ヨーロッパの中世を終わらせ、ルネサンスにつながった。ルネサンスは「文芸復興」と訳されるが、文化を復興しようとする運動だった。今回の「ポスト・コロナ」も新たな文化を生み出す大きなきっかけになるのではないか。IT革命、AI革命が加速する「ポスト・コロナ」の世界は、大きな経済構造の変革が起きるだろうといわれている。歴史は繰り返し、新たな芸術文化の花が咲き誇る21世紀のルネサンスが再来することを願わずにはいられない。

*「新 起承転々」は次号からNBSホームページでご覧いただけます。