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2018/09/08 2018:09:08:13:36:17

ローマ歌劇場2018年日本公演『椿姫』~ゲネプロ・レポート~

 9月9日に初日迎えるローマ歌劇場『椿姫』のゲネプロが、9月7日に東京文化会館大ホールで行われた。現地では初演のチケットが早くから連日ソールド・アウトになり、制作に投入された膨大な予算も話題となったプロダクションである。オペラの全容は既に映画を観て知っていたが、生で観る舞台の印象はすべてが違っていた。クラシカルな中に際立ってフレッシュな感覚がある。


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 幕が開くと目に飛び込んでくるのは豪華なヴィオレッタの屋敷のサロン。ネイサン・クロウリーによる舞台美術は美しく、視界の半分を占める巨大な白い階段に圧倒される。この階段は絵画的かつシュールで、砂漠を模した心象風景のようでもある。緑がかったブルーを基調にした背景、大きな三つのシャンデリアは、華美というより屋敷の主のシックな趣味の良さ伝えてくる。ヴァレンティノの衣装には素晴らしい様式美があり、屋敷に集まる優雅な装束の人々は一枚の絵のように完璧だった。


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 ヴィオレッタ役のフランチェスカ・ドットは20代の若い歌手で、声質はクリアでくせのないリリック・ソプラノ。ベテラン歌手が重めの声で歌うことも多い役だが、もともと原作では23歳で死ぬ役。若さだけでなく、ドットの演技には貴重な気品と清潔感が漂っていて、自分を囲うドゥフォール男爵にも、父親にいたずらをしかける娘のような無邪気な表情を見せる。ヴィオレッタは娼婦というより、まだ世の中のすべてを知らない無垢な娘なのだ。客人たちは彼女をマリー・アントワネットのように恭しげに扱い、全員が善良な心を持っているようだ。冒頭ではやや線が細く感じられたドットの歌唱は、緻密な表現を積み重ねてどんどん説得力を増し、一幕終わりの長大なアリアでは超高音も成功させていた。アルフレード役のアントニオ・ポーリも素晴らしい安定感で、「乾杯の歌」から快調な声を聴かせた。


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 二幕で登場するジョルジュ・ジェルモンはファルスタッフ役で有名なバリトン、アンブロージョ・マエストリが好演。ソフィア・コッポラはジェルモンにもかなり細かい演技をつけていて、威厳の中に優しく繊細な心があることを、落ち着かない手の動きや視線などで表していた。ジェルモンとヴィオレッタのやりとりは「家族の大切さ」ということを観る者に強く思わせる。いつも年長者が世間の常識を押し付けるシーンとして観ていたが、ここではヴィオレッタは息子を想う父親の温かい心に負けて、恋人から去ることを決意するのだ。体格のいいアルフレード役のポーリが、さらに包容力のあるマエストリの身体にすっぽりと埋まってしまう感じも、実の父と息子のようで説得力があった。 


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 2幕2場のフローラのパリの屋敷のシーンでは、舞台を埋め尽くすヴァレンティノの衣装に目の至福を覚えずにはいられない。ヴィオレッタの大きく膨らんだ特徴的なドレスは「ヴァレンティノの赤」と呼ばれる象徴的な色で、唯美主義者のデザイナーの美意識がふんだんに発揮されている(実際に着てみるととても重く、所作が大変なのだそう)。緊迫感のあるドラマが展開されるこの場面では、ローマ歌劇場合唱団も大活躍する。大変クオリティが高い。ローマ歌劇場バレエ団によるバレエも加わり、現在の劇場の健全さを実感できた。


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 最も感動的な3幕で、フランチェスカ・ドットは驚異的なヴィオレッタ像を描き出した。病に侵されて余命いくばくもないヴィオレッタが、この場面で一番美しく、清純そのものの声は天使を思わせた。熟練したソプラノは風前の灯火のようなピアニッシモの至芸を見せたり、呪われた運命にトスカのごとき怒りを発火させたりするが、全くそれとは違う。このヴィオレッタは正に「世の中をよく知っているようでまだ何も知らない」無垢な女性であった。青春の只中にいて、青春を回顧する清らかな歌声に、このオペラを観て初めて感じる深い悲しみが走った。「道を踏み外した女=ラ・トラヴィアータ」とはこういう話だったのか。ゲネプロであることを忘れるラストシーンで、見学客からも名残惜しそうな長い長い拍手が続いた。前回の来日公演では辛口の批評もあったローマ歌劇場オーケストラは、ヤデル・ビニャミーニのメリハリのある指揮で機知にとんだ精彩あるサウンドを聴かせ、ドラマティックで、歌手にも奉仕的だった。ビニャミーニはこのプロダクションの初演の指揮者でもある。オーソドックスとは違う、心理的な新しさを内包したローマ歌劇場の『椿姫』は、世界一有名なヒロイン・オペラの最先端を創造していた。


取材・文:小田島久恵(音楽ライター)



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