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2018/09/15 2018:09:15:13:29:20

ローマ歌劇場2018年日本公演『マノン・レスコー』 ~ゲネプロ・レポート~

 ローマ歌劇場『マノン・レスコー』のゲネプロが、二日後に初日を控えた9/14に神奈川県民ホールで行われた。キアラ・ムーティの演出が話題のこのプロダクション、「演出は伝統的なもの」と記者会見では知らされていたが、舞台装置はかなりコンセプチュアルで、会見で語られたキアラの言葉通り「17世紀の文学作品に登場した砂漠」が、見え方は少しずつ異なるが、すべての幕に存在する。冒頭シーンは現代アートを見るような印象だったが、この「砂漠」の意図が終幕にむかって次第に明晰になっていく。衣装は17世紀の時代考証に添ったクラシカルなものだが、『椿姫』に負けず劣らず美しいもので、合唱団もこの衣装を纏って大活躍する。エキストラはバレエのパ・ド・ドゥ的な動きや同じポーズでの長い静止など、凝ったことをたくさん行っていた。脇役一人一人が演劇的に大変細かいことを行っていて、どこを見ていても飽きない。


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オーケストラが「聴いたこともない美しい音」


 オペラで第一声を放つエドモンド役のアレッサンドロ・リベラトーレは絶好調で、「ああ、素晴らしい、美しい夜」を朗々と歌い上げ、ローマ歌劇場合唱団も若者の元気な声でついていく。合唱もオーケストラも同じはずだが、『椿姫』とはガラリと性格が変わるのが面白い。デ・グリュー役のグレゴリー・クンデも本番の舞台のように惜しみなく歌う。デ・グリューが目惚れしたマノンの名前をオウム返しにして歌う「見たこともない美しい人」で、早くもオペラの陶酔は最初のピークを迎えた。テノールの独唱も素晴らしいが、オーケストラが「聴いたこともない美しい音」なのだ。指揮者のドナート・レンツェッティは、稽古ではオケと一緒に大きな声で歌っていたが、ゲネプロでは勿論歌わない。そのかわりに、オーケストラが全部マエストロの歌声のようであった。このオケのワイルドな性格がすべていい方向に舵取られていて、大胆でドラマティックでありながら、宝石のような高貴な輝きも解き放たれていた。


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オポライスはどこから見ても男を狂わせる魔性の女そのもの


 マノン・レスコー役のクリスティーネ・オポライスは背が高く舞台映えがし、金髪に水色のドレスがよく似合い、どのアングルから見ても男を狂わせる魔性の女そのものだ。憂いのある暗めの声だが、オーケストラの轟音を突き抜けて天井に届く特別な響きがあり、2幕の「この柔らかなレースに包まれても」は歌手の劇的表現の極致をみる思いだった。裏切ったデ・グリューとの再会の場面では、姿・声ともに凄みのある妖艶さで愛の二重唱を歌い上げる。マノンを囲う老いたジェロンテ・デ・ラヴォワールをバス・バリトンのマウリツィオ・ムラーロが演じたが、滑稽さと恐ろしさを同時に表現する難しい役を完璧にこなしていて、迫力のある美声だった。


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プッチーニが描いたマノンは、最初から自分の悲しい運命を予知している


 ジェロンテを愚弄してデ・グリューと逃げようとしたため捕らえられたマノンの運命は坂道を転がるようにスピーディに暗転していく。3幕のル・アーブルの港のシーンでは、罪を犯した若い女たちが藁袋のように扱われ、エキストラの女優たちが真剣な演技を見せた。背後をゆっくり横切る船のセットが美しい。4幕は最も暗く、流刑地ニュー・オーリンズの何もない砂漠の中で、瀕死のマノンとデ・グリューが互いを支え合う。ずっと舞台の上にあった砂漠がここで初めて全面に出てくるのだが、マノンの歌詞によって伝えられる恐怖を、観客も同時に感じる恐ろしい世界だった。文字通りの地の果てで、命をつないでくれるものは何もない。「プッチーニが描いたマノンは、最初から自分の悲しい運命を予知している」と語ったキアラは、さまざまな意図をこめて最初から舞台に砂漠を置いたのだろう。


 オポライスはラストシーンで最も強く輝いた。終幕へ向かって全力でマノンの悲劇を体現し、クンデもドラマの炎の中に身を投じていった。劇的カタルシスは凄まじく、ゲネプロであることを忘れるほどで、歌劇場スタッフと見学者たちから長い拍手が巻き起こる。オポライスは何度も何度もオケピに投げキッスをし、指揮者のレンツェッティは見事なヒロインを演じ切ったオポライスに尊敬の意を表し、そのレンツェッティにキアラ・ムーティが感謝の抱擁をしていた。作品という作曲家の遺言を引き継ぐ音楽家たちの情熱によって、至高のプッチーニの上演が果たされた夜だった。



取材・文:小田島久恵(音楽ライター)



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