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2023/09/14 2023:09:14:14:13:23

【レポート】ローマ歌劇場2023年日本公演「椿姫」初日レポート
昨日9月13日に「椿姫」で開幕したローマ歌劇場2023年日本公演。4年ぶりの本格的な海外歌劇場引越し公演とあって、会場の東京文化会館は観客の方々の期待を感じさせる熱気に包まれました。イタリア・オペラ界の星と目される気鋭の音楽監督ミケーレ・マリオッティの指揮のもと、リセット・オロペサ、フランチェスコ・メーリ、アマルトゥブシン・エンクバートという強力なソリスト陣、歌劇場のオーケストラ、合唱、バレエ団が総力を挙げて取り組んだ初日の舞台を、ライターの小田島久恵さんにレポートしていただきました。

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ローマ歌劇場『椿姫』の初日、ヒロインを演じたリセット・オロペサは、彼女こそがオペラの女神であり、究極のヴィオレッタであることを日本の聴衆に知らしめた。可憐な容姿でヴァレンティノの衣裳がよく似合い、第1幕の長大なアリアでも余裕を失うことなく、超高音もためらわずに勇敢に響かせた。感情表現は豊かだが、それが決してくどくならないのは、声質に不思議な神秘性が感じられるからだろう。この役をひたすらヴェリズモ的に演じて、泥臭くなってしまう歌手もいるが、オロペサの感情表現はあくまでも音楽的で、気品があり、オペラとして目指している次元が高い。いくら聴いていても「もっと聴きたくなる」声で、いくつかの響きは黄金期のマリア・カラスの録音を思い起こさせた(体格は全く違うというのに!)。微かに古典的な優美さがあり、何より物語の悲劇性が真に迫って伝わってくる。

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アルフレード役のフランチェスコ・メーリは若々しい美声でヴィオレッタへの愛を歌い、二重唱では甘い陶酔をロマンティックに伝えた。第2幕第2場でヴィオレッタを罵倒して札束を叩きつけるシーンも、ここではアルフレードの心情に思わず共感してしまう。メーリが演じるのは純粋な心の青年で、世間知らずで直情的で、愛がすべてだと信じている。同時にアルフレードは地上の豊かさや肉親の愛ともつながっている。

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第2幕第1場で息子を説得しにやってくるジェルモンを、モンゴル出身のアマルトゥブシン・エンクバートが演じ、見事な第一声から聴衆を驚かせた。ホール全体がこの歌手の声で振動しており、大自然の大きさに包み込まれているような心地になる。倍音がユニークで、声量もパワフルだが、一本調子にならず演劇的な説得力があるのが素晴らしい。「プロヴァンスの海と陸」の後に、長く熱狂的な拍手喝采が起こったのは自然なことだった。オペラ全体でのこの場面の重要さを改めて認識したのも、ジェルモンの声によるところが大きかった。

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ソフィア・コッポラ演出/ヴァレンティノ・ガラヴァーニ衣裳デザインの本プロダクションは2016年の初演時に映画化され、2018年の来日公演でも上演されたが、そのときの印象がほぼ吹き飛んでしまうほど、2023年の上演は新鮮で刺激的だった。喝采を浴びてピットに入った新音楽監督のミケーレ・マリオッティは、前奏曲の冒頭から弦楽器に繊細で悲劇的なフレージングを求め、この瞬間からオペラの終幕まで、オーケストラは物語のための緻密なサウンドを奏で続けた。一音たりとも惰性で鳴っていない。テンポも強弱も秒単位で変化していく。不安や悲しみを掻き立てる場面では、オーケストラが歌手に先んじて暗い色彩の音を敷き、歌手たちの感情が高揚するポイントではドラマティックなアクセントをつけていく。合唱が盛大に響き渡るとき、オーケストラも獰猛なほどワイルドに咆哮する。

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開幕記者会見でマリオッティは「『椿姫』は稽古のたび、上演のたびに新しい作品に感じられる」と語り、「自分がヴィオレッタなら、どうしてジェルモンの言うとおりにしたのかよく考えた」とも語っている。そこで、「ヴェルディ中期の」といった様式感や既成のさまざまなことからいったん意識を切り離し、心理表現としてオーケストラは何をすべきかを、ひとつひとつ検証していったのではないか。オペラ指揮者としてのキャリアは長いものの1979年生まれと若い世代で、広い視野でオペラを若返らせようとしている。音楽監督としての任期は2022年からスタートしているが、歴史も誇りもある歌劇場オーケストラを、ここまで新しくするには奏者たちとの間に葛藤や衝突もあったのではないか? そしてオーケストラはマリオッティについていくことに決めたのだ。オペラが始まってすぐにそれを察知した。カーテンコールに現れたマリオッティが、舞台に捧げられた花をピットに投げていた姿が印象的だった。

ソフィア・コッポラの演出は、2018年に観たときに見逃していた美点を、今回は幾つも見つけることが出来た。「オーソドックスでおとなしい」演出というのが第一印象だったが、エキセントリックな読み替えなどしなくても、「これは女の愛の物語である」ということを深く伝えてくれれば最善の演出なのだ。第3幕で、何度も手紙を読み返しながら恋人の帰りを待つヴィオレッタは、大きなベッドに枕を二つ並べて、自分の横を大きく空けて床に臥せっている。その描写が切なかった。ネイサン・クロウリーの美術はどの幕も美しく、屋外の自然の風景や光の効果が卓越している。ラストで、ヴィオレッタが一瞬蘇りを果たし、その後死を迎えるシーンで、照明が見事な効果を上げるのだが、その瞬間、オロペサの神がかり的な演技とともにホール全体が零度になった肌感覚があった。これは新しい『椿姫』で、歴史あるローマ歌劇場も新しく生まれ変わりつつある。「今、何かすごいことが起こっている」と思わずにいられない、熱狂の初日公演だった。

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取材・文 小田島久恵 フリーライター
Photos:Kiyonori Hasegawa