作品解説

 ベートーヴェンの作品に振付けるに当たって、何かしらのアイデアがあったり、目的があったり、あるいは筋書きのようなものがあったりしたわけではない。音楽がひとり、ダンスを支え、はぐくんでいったのだ。いうなれば音楽こそが、振付のための唯一の存在理由だった。

 これは一種の踊るコンサートであり、ダンスが音楽のスケールを拡大させている。まさしくシラーのテキストが、ベートーヴェンの音楽にさらなる広がりをもたらしているのと同様である。  ここではダンスは、苦悩から歓喜へ、暗闇から光りへと向かう、作曲家のゆったりとした歩みをたどりつづけているに過ぎない。

 いわゆる一般的な意味では、音楽作品の最高峰のひとつに数えられるはずの楽曲にぴったりと寄り添ったバレエ作品とはいえないだろう。むしろ人類全体の共有物である音楽作品に対して、人間的により深く関わっているというべきだろうか。つまり、演奏したり歌ったりするだけでなく、ダンスをも踊っているのである。さながらギリシャ悲劇や原始の宗教的な行事が、ことごとくそうであったように…。

 これは根元的な意味での、《表現》なのである。



作品解説 プロローグ

 ニーチェの「悲劇の誕生」から抜粋した、アポロンとディオニュソスの二元性に関するテキストが朗唱される。つづいてアフリカ系ダンサーたちに囲まれてパーカッショニストが登場する。アポロンとディオニュソスの二元性は、西欧のパーカッションとアフリカのボンゴのコントラストによって織りなされ、それらの音の交配が20世紀という時代を象徴する。

第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ

 大地を表す褐色の衣裳をつけた28人のダンサーが、地面で同心円を描きながら身を丸めている。やがてひとりずつ目を覚まし、手が1本、脚が1本、ついで2本、10本…というように、天に向かって伸びてゆく。彼らはすでに地上の苦悩を意識し、さらに行動し、闘うなどの生命の欲求をはっきりと感じとっている。

第2楽章:モルト・ヴィヴァーチェ

 ダンサーの衣裳は、炎のごとき赤。ベートーヴェンが村人の踊りを想定してこのスケルツォを書いたように、ここでは振付も、民族舞踊に想を得ている。女性のファランドール(輪舞)を男性のそれが囲み、女性ダンサーたちは男性ソリストに導かれるようにパ・ド・ドゥを踊っていく。みずみずしい躍動感に溢れた踊りが、ダンスの本能的な喜びを表現する。

第3楽章:アダージョ・モルト・エ・カンタービレ

 ダンサーの衣裳は、水を表す白。躍動的な輪舞が過ぎ去り、静寂と沈黙のなかに愛のカンティレーナが響きわたる。月明かりを思わせるほのかな照明のもと、4組のカップルを中心にした白のダンスが繰り広げられる。瞑想の時が流れる。繊細なメロディーが穏やかさや素朴さの中に愛情や感動、純粋さを紡ぎだし、国や人種など人類による作為的な境界線を超えて、カップルたちを晴れやかな歓喜で包み込んでいく。

第4楽章:フィナーレ 序奏、そして“歓喜の歌”

 黄色の衣裳に身を包んだ1人の男性ダンサーのソロで始まり、やがてこれに、先の3楽章でソロを踊った男性ソリストたちが加わる。彼らは宇宙全体の喜びを告げる。舞台上の合唱団が褐色のケープを取り去り、サフラン色のチュニック姿となって「歓喜の歌」が始まると同時に、別のソリストたちが、さらに群舞が登場し、歓喜はさらに飛躍をとげる。太陽、光、意識への賛歌。80人のダンサーたちは、ソリストに導かれつつ、5つの渦に分かれてこの賛歌を高らかに謳いあげる。

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