イタリア・オペラの総本山スカラ座は“ヴェルディの劇場”とも呼ばれます。それはヴェルディがオペラ作曲家としてのキャリアをスカラ座からスタートさせ、数々のオペラをスカラ座で初演し、スカラ座の名声を高めたからにほかなりません。いまもスカラ座にはヴェルディの熱い血が脈々と息づいています。イタリア・オペラの真骨頂はヴェルディのオペラにありますが、ヴェルディの骨太のオペラはいつの時代にもイタリア人の気持ちを熱く掻き立ててきました。スカラ座がヴェルディのオペラを上演すれば、オーケストラは熱い血をたぎらせ、歌手たちの声には神が宿り、合唱は怒涛のような血湧き肉躍る演奏をくり広げます。
 スカラ座は32 年前の第1 回日本公演以来、6回にわたって日本公演を支援してくれた日本のオペラ・ファンに感謝を表すために、スカラ座にとって特別な年である2013 年の過密なスケジュールを調整し、5 年前からヴェルディ・イヤーに合わせて日本公演を実現すべく準備を進めておりました。スカラ座がこの特別な年の日本公演に選んだ演目は、若きヴェルディの力が漲る中期の傑作「リゴレット」と、80 歳を前に人生を達観して作曲したといわれる喜劇オペラ「ファルスタッフ」。
 いま飛ぶ鳥を落とす勢いのふたりの指揮者、現在最強のヴェルディ歌手陣、火を噴くような合唱団とオーケストラが一つになって燃え上がる白熱の音楽。加えてオペラの精髄を知り尽くした見事な演出、これを上回るものはないと思えるような壮麗な舞台装置と魔法のような照明。それらすべてが互いに響き合い、天才たちが火花を散らして一つに織り上げられた舞台は、人類がたどりついた総合芸術の最高峰であり、これ以上観るものを興奮させ感動させるものはありません。
 “ヴェルディの劇場”スカラ座がヴェルディのオペラを上演するとき、神の仕業としか思えない“スカラの奇跡”が起こります。今年の日本におけるヴェルディ・イヤーは、このスカラ座渾身の「ファルスタッフ」と「リゴレット」に止めを刺します。

 慟哭の叫びをもって閉幕となる「リゴレット」、一方、苦笑ながらに大団円と締めくくる「ファルスタッフ」。ほまれ高いヴェルディの傑作がスカラ座とともに日本へやってくる。リゴレットにヌッチ、ガグニーゼ、ファルスタッフにはマエストリと申し分ない配役が見どころではあるがそれだけではない。この来日公演、やはり注目すべきは指揮台に上がる二人の若き天才、グスターボ・ドゥダメル、そしてダニエル・ハーディングであろう。
 17 歳で自国ベネズエラのユースオーケストラ、シモン・ボリバルの音楽監督となったドゥダメルは20 歳でスカラ座の指揮台に上り、これまでに「ドン・ジョヴァンニ」、「ラ・ボエーム」、「カルメン」と任されてきた。西洋の芸術にラテン・エッセンスを融合させることで生まれる弾けるリズムと甘美なアンサンブルは比類なき美しさと臨場感をもつ。オーケストラに向かう並はずれた求心力こそが音楽を束ねる原動力となる。
 21 歳にしてベルリン・フィルを振り2005 年、ムーティ退任後、スカラ座の開幕オペラに抜擢されたのがハーディング。30 歳の「イドメネオ」はすでに巨匠の風格と称賛され、その後、ダッラピッコラの「囚人」、「サロメ」、「カヴァレリア・ルスティカーナ」、「道化師」を振り、ミラノの聴衆を魅了する。スマートさと知性とが共存する仕事ぶりは妥協がなく、ありきたりの習慣性を感じることもない。ドゥダメルはヴァイオリンを、ハーディングはトランペットを少年期にまず学んだ。オーケストラの中に育まれながら両者とも運命は指揮台にあるということに早々と気付き類まれな才能は瞬く間に開花する。二人の才能をいち早く見抜いたのがアッバード、ラトルである。その先人の導きにより世界最高峰の舞台を渡り歩き今日の活躍に至っている。
 「リゴレット」に宿る感情の浮き沈みをドゥダメルが、「ファルスタッフ」の奇想天外な駆け引きをハーディングがダイナミックにそして緻密に描いていく。
 自らの構想する音楽を劇場というキャンバスに描くことは必ずしも簡単なことではない。それがスカラ座となれば尚更であろう。たとえ老練な指揮者であれ殿堂のオーケストラから伝統の響を紡ぎだすことは至難の業なのである。
 この二人のカリスマにその心配はまったくない。卓越したテクニックや感性はあって然り、人そのものの魅力こそがスカラ座を本気にさせるのである。
 二人に委ねられたそれぞれのヴェルディをご堪能いただきたい。

(堂満 尚樹 音楽ジャーナリスト、在ミラノ)

Photo : Marco Brescia / Teatro alla Scala