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Photo: WIENER STAATSOPER-Michael Poehn

2021/01/20(水)Vol.414

フィリップ・ジョルダンが語る『ばらの騎士』
クラシック音楽の歴史の大きな到達点(前編)
2021/01/20(水)
2021年01月20日号
TOPニュース

Photo: WIENER STAATSOPER-Michael Poehn

フィリップ・ジョルダンが語る『ばらの騎士』
クラシック音楽の歴史の大きな到達点(前編)

ウィーン国立歌劇場では、長引くロックダウンのなかでも無観客での上演を行い、そのオンライン配信が続けられています。そのうちの一つとして、『ばらの騎士』も上演・配信が行われました。12月18日の上演にあたって、「クラシック音楽の歴史の大きな到達点」と題してウィーン国立歌劇場のホームページに掲載された音楽監督フィリップ・ジョルダンのインタビューを2回にわたってご紹介します。 前編は、『ばらの騎士』の作曲家というだけでなく、指揮者としてのリヒャルト・シュトラウスへの深い敬愛、後編は『ばらの騎士』を指揮することについて。フィリップ・ジョルダンという指揮者の真摯な向き合い方に引き込まれます。

作曲家シュトラウスの知識、才能、熟練には、ただ感嘆するのみ!
そしてシュトラウスが偉大で重要な指揮者であったことに疑問の余地はありません。

リヒャルト・シュトラウスは、幼年期から二つの楽器を習い、音楽家になるための英才教育を受けたことが知られています。彼の書いた楽譜から、楽器に対する深い専門知識を見て取ることができますか?

フィリップ・ジョルダン:リヒャルト・シュトラウスの作曲した楽譜を見れば、彼がすべての楽器に習熟していたことは一目瞭然です。彼は信じられないくらい、例外なく各楽器をすばらしく扱っているのです。これは非常に難しいことなのですが、彼の場合はいつもすばらしいのです。私はこんなに優れた仕事ができた作曲家をほかに知りません。驚くべきことです。もちろんオーケストレーションの大家としては、教則本も著しているベルリオーズがいました。シュトラウスも彼から多くを学んでいます。しかし、ベルリオーズは再三にわたって実験的観点に立って領域を拡大することに挑み、ときとして限度を超えてしまいました。ワーグナーはオーケストレーションを完璧にコントロールすることに成功しました。そしてリヒャルト・シュトラウスにいたっては、技術的習熟を信じられない高みにまで上げることができたのです。おそらくグスタフ・マーラーでさえ、これは極めて高度なレベルにおける比較ではありますが、その高みにまでは到達できませんでした。シュトラウスの知識、才能、熟練には、ただ感嘆するのみです!

指揮者としてのシュトラウスはいかがですか? 私たちは、シュトラウスにとって、指揮が片手間の仕事ではなく、作曲と同じくらい重要な仕事であったことを忘れがちですが。作曲家シュトラウスと同様に指揮者としても評価されますか。あるいは二つの異なった個性ということになるのでしょうか?

フィリップ・ジョルダン
(ウィーン国立歌劇場音楽監督)
Photo: WIENER STAATSOPER

ジョルダン:シュトラウスが偉大で重要な指揮者であったことに疑問の余地はありません。現在、指揮者としての彼がやや過小評価されることがあります。それは彼の指揮が、グスタフ・マーラーのように感情に訴えかけることが少なく、現代の一般的な指揮者像とは異なる点があることに原因があると思われます。シュトラウスの独創的な指揮法は、客観的でそっけない印象を与えがちですが、音楽を統べる者としてきわめて実用的なやり方でした。彼は作曲家として音楽を通してすべてを表現していたので、指揮者としてさらに自分の個性を表現する必要がありませんでした。つまり、すべては楽譜のなかにすでに存在しているので、それを引き出すだけでよかったのです。もちろんこれはひとつの見方にすぎません。シュトラウスの作曲家と指揮者としての二重性は独特のものであり、他に類を見ないものです。現在の私たちは、指揮者を、音楽をただ演奏するだけではなく、再創造する芸術家として認識しています。

シュトラウスが指揮者として残した自作の録音があります。あなたにとってそれは特別な意味がありますか? それとも他の指揮者と同様にひとつの解釈の可能性として考えますか?

ジョルダン:まずなによりも、シュトラウスが指揮した録音が残っているのはありがたいことです。彼の音楽観を知ることができるからです。現在の音に慣れた私たちの耳は、最初のうちはシュトラウスの録音の音質の悪さに困惑しますが、よく聴けばその訴えかける力がきわめて強いものであることが分かります。シュトラウスは自分の技術について深い洞察をもった偉大な指揮者でした。次に印象的なのは流れるような速いテンポです。私自身の好みとしては少し速すぎるところもありますが、その速いテンポにもかかわらず、大きな説得力があります。これは過去10年間、彼の作品がより雄大により遅く演奏されるようになった傾向とは対照的です。
ひとつ例を挙げましょう。『エレクトラ』で行方不明だったオレストが姿を現すシーンです。エレクトラの叫び声のあとの「誰も動いていない」で、あるとき私は、メトロノーム表示の倍近く遅くなっていることに気づきました。現在、私たちはシュトラウスが指示したような速さで演奏する必要はないかもしれません。しかし、私の感覚では、そのメトロノーム表示に10ポイント以上離れるべきではないでしょう。ですから、私が年齢を重ねるほどに、ここで述べたシュトラウスの録音が重要になっています。もちろんシュトラウスのものだけに限らず、クレメンス・クラウス、カール・ベームから、ヨーゼフ・カイルベルト、ルドルフ・ケンペにいたる偉大な時代の録音も同様です。
スコアは全体の一部であり、もっとも重要なものですが、やはり一部に過ぎないものであると、私は考えています。それに加えて演奏の歴史があり、伝統があります。私たちは新しい答えを見つけるために、つねに何度も問いかけなければなりません。指揮者としての私は、録音を聴いてそれを真似するのではなく、それを知ったうえで新しい結論を見つけることができるのです。

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