コロナ禍により3年間オペラの引っ越し公演が実現できない中、〈オペラ・フェスティバル〉特別企画として、今が旬の4人の名歌手により〈旬の名歌手シリーズ〉を3回にわたって開催することになりました。ヨンチェヴァ、フローレス、オロペサ、サルシ、現代のオペラ界を牽引するスター歌手ぞろいです。ヨンチェヴァとオロペサは待望の初来日。輝かしい声によるオペラ・アリアの数々に浸って、晴れやかな気分を取り戻していただければと思います。聴きどころが詰まった至福の時に、どうぞご期待ください。
3つのコンサートのセット券発売は4月25日(月)より。
〈旬の名歌手シリーズ(Ⅰ)〜(Ⅲ)〉に関しては、こちらをご確認ください。
先頃開催決定が発表された〈旬の名歌手シリーズ2022〉。現代のオペラ界のスター歌手によるコンサートシリーズはコロナ禍の停滞を一気に吹き飛ばすファン待望のひとときとなるはず。3つのコンサートについて各回の期待と魅力を、音楽評論家の堀内修さんに3回にわたりご紹介いただきます。まずは7月のソニア・ヨンチェヴァから。さまざまな状況を経ての初来日は、奇しくも"時を得て"の実現です!
戴冠式に間に合うか?
コロナと戦争で足止めを食っているあいだに済んでしまったらどうしよう? ロシアの女王が消えていく間もあらばこそ、ソニア・ヨンチェヴァが女王の座に就こうとしているからだ。東京はその戴冠に立ち会えないのか?
下積み時代なんて無かったんじゃないだろうか。メトロポリタン・オペラに『リゴレット』のジルダで登場した時は、若い歌手が現れたくらいの受け止め方だったのだが、見る間に世界を制覇していった。端役なんて歌ってないはずだ。
登りつめた、と思えたのはパリの『ドン・カルロス』のエリザベートを歌うと聞いた時だ。パリ・オペラ座がいよいよフランス語5幕版『ドン・カルロス』を上演する。フィリップ・ジョルダンが音楽監督時代の総決算になるはずで、カルロスはカウフマン、エボリはガランチャと強力な歌手が揃えられた。さてヒロインのエリザベートを歌うソプラノは誰か? やっぱりね、と思うと同時に、これで女王の座は決まったと感じる。このエリザベートをヨンチェヴァは22年3月にメトロポリタン・オペラでも歌った。こちらもメトとしては初めての、フランス語5幕版の『ドン・カルロス』で、今シーズン最も注目される新演出上演だった。
いまの、あるいは先代の女王というべきアンナ・ネトレプコだって、下積み時代があり、声だってゆっくり変化しながら大役に挑戦していったのだが、ヨンチェヴァは一気に進んだ。声も演技も最初から完成していたのかもしれない。そしていきなり真ん中に出た。小都市の劇場からでなく、メトロポリタン・オペラやパリ・オペラ座、スカラ座やウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場で歌った。端役でなく、ヴィオレッタにトスカ、マノン・レスコーにメデと、タイトル・ロールを歌ってきている。理由ははっきりしている。まん真ん中の声なのだ。清純な村娘から始まって経験を積んだ悪女に到達する必要がない。軽やかに声を転がす技を披露してから威力十分な声でテノールや大歌劇場を圧倒する声に向かう必要がない。おかげで劇場や指揮者はいろいろな役をヨンチェヴァに求める。何しろ真ん中にいて、なんでも歌いこなしてしまうのだから。
プッチーニならミミからトスカまで時間をかけるまでもなかった。パワーを全開にしたマノン・レスコーを歌って好評を博した後、可愛いミミになるのがヨンチェヴァなら驚くまでもない。
驚くべきはヴェルディかベッリーニか? 英国ロイヤル・オペラで『ノルマ』のノルマを歌って注目を集めた次のシーズンに、ミラノ・スカラ座で『海賊』のイモジェーネを歌ってしまうのだから、唖然とするほかない。しかもこれでヨンチェヴァをベッリーニの歌手、ベルカントのソプラノなんて決めつけるわけにはいかない。真ん中のソプラノがレパートリーの真ん中に据えているのは、イタリア・オペラの真ん中にいるヴェルディだからだ。
『リゴレット』のジルダから『ルイザ・ミラー』のルイザ、さらに『オテロ』のデズデーモナから『椿姫』のヴィオレッタ、そして『ドン・カルロス』のエリザベートと、ヨンチェヴァは一気に進んだ。主要歌劇場でのオペラのヒロインを、もちろんソプラノが一人で決められるわけではないから、望まれたという面が大きいはず。世界のオペラ界が新たなヴェルディのヒロインとしてヨンチェヴァを選んだわけだ。そしてヨンチェヴァは選択の正しさを証明した。
ベルリンでケルビーニ『メデ』のメデを歌ったり、ザルツブルクで『ポッペアの戴冠』のポッペアを歌ったりして、ポピュラーな役柄だけでなく、かなり幅広い役柄、幅広い演目を歌っている。スター級のソプラノが出てくると上演される『フェドーラ』のフェドーラだって歌い、ヨンチェヴァは万能ぶりを発揮している。
もしコロナや戦争がなければ、東京は勢いよく駆け上がっていくヨンチェヴァを追えただろう。「おや、このソプラノ、伸びそうだね」から「充実してきましたよ」そして「もう大スターになったぞ!」というように。だがそれはかなわなかった。世界の一流どころの歌劇場が実力ある歌手たちを揃えての日本公演は、もう何年も実現していない。上演の進化が滞った上、東京は世界から切り離された。これでは女王交代劇だって見逃すことになりかねない。なんとか間に合うだろうか? 新しい舞台の主役を、映像によってでなく直接聴いて、オペラの動きに関われるだろうか?
時を得ているかもしれない。女王にふさわしいかどうか、東京の判断が近づいている。歌うヨンチェヴァの覚悟は明らかだ。ヴェルディのオペラのヒロインが歌う2つの大アリア、『ドン・カルロス』の「世の虚しさを知る神よ」と『運命の力』の「神よ、平和を与えたまえ」で、真ん中の歌手の力を聴き違えることはない。『ノルマ』の「清らかな女神』と『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」を聴けば真価がわかるはず。
どうやら間に合いそうだ。
堀内 修(音楽評論家)
ソニア・ヨンチェヴァ Sonya Yoncheva (ソプラノ)
ブルガリアのプロヴディフ生まれ。生地の国立音楽舞踏学校でピアノと声楽を学ぶ。在学中より、国内のいくつかのコンクールで優勝後、2010年にプラシド・ドミンゴ主宰の「オペラリア」で優勝。2013年メトロポリタン・オペラ『リゴレット』のジルダでデビュー。同オペラでは2014年11月『ボエーム』のミミ、12月『椿姫』のヴィオレッタ、2015年シーズン開幕『オテロ』のデズデモーナと続いて出演した。このほか、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、英国ロイヤル・オペラ、バイエルン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場など、世界中の歌劇場で活躍している。