2025年1月の来日コンサート開催が発表されたバンジャマン・ベルナイム。今年の夏、世界中を沸かせたパリオリンピック閉会式への登場は、彼が現在フランスを代表するテノール歌手であることを示したものでもあったでしょう。10年ほど前、まだキャリアの早い時期からベルナイムに"目をつけ"、その魅力の"虜"となっている音楽評論家の石戸谷結子さん。ベルナイムではなく、バンジャマンと呼ぶ(書く)ことからも、彼への熱い想いがうかがわれます。
もちろん、ヨナス・カウフマンやファン・ディエゴ・フローレスといった頂点に立つスターはまだまだ健在だが、彼らは功成り名を遂げた誰もが知るレジェンドたち。しかしいま、ざっと世界のオペラ界を見渡して、人気急上昇中の最も輝いている「旬」のテノールといったら、バンジャマン・ベルナイムをおいて他にいない、と断言したい。1985年パリ生まれだから、いま39歳という絶妙の年齢。あのエンリコ・カルーソーが「テノールは40歳から」と言ったと伝えられているが、それを信じるなら、まさにこれからが彼の聴き時であり、真の実力を発揮する時だ。
バンジャマンを初めて生で聴いたのが、2014年のザルツブルク音楽祭だった。珍しい演目、シューベルトのオペラ『フィエラブラス』で、ミヒャエル・シャーデ、ドロテア・レッシュマンといったスターにまじり、准主役のエギンハルト役を歌っていたのが彼だった。バンジャマンはパリ生まれだが、ジュネーヴで育ち、フランスとスイスの国籍を持つ。当時はチューリッヒ歌劇場に所属していたため、ベンジャミン・ベルンハイムと呼ばれていた。この公演で、よく透る美しい声と端正な歌い方が強く印象に残り、名前をしっかり記憶していた。
それから数年が経ち、めきめきと実力をつけて、2018年頃からウィーン国立歌劇場(『愛の妙薬』)やミラノ・スカラ座(2019年『椿姫』)に主役デビューを果たした。コロナ禍あけの2022年にはメトロポリタン歌劇場にもデビューして(『リゴレット』)、いまや誰もが認めるトップテノールの仲間入りをした。
2020年パリ・オペラ座AROP Galaに登場
Photo: Merri Cyr
とにかく美声で、響きが美しい。軽やかで柔らかくのびやかな声で、響きはベルベットのようになめらか。優雅で洗練された、繊細なニュアンスも魅力的だ。とくにフランス語のディクション(発音)が素晴らしく、ロベルト・アラーニャの後継者といえる。ひと言でいえば、「ノーブルでエレガントなテノール」、それがバンジャマンです!
いま彼がパリ・オペラ座やスカラ座やメトロポリタン歌劇場、ザルツブルク音楽祭などで歌っているのは、グノーの『ロメオとジュリエット』『ファウスト』、マスネの『マノン』『ウェルテル』、オッフェンバックの『ホフマン物語』などフランス・オペラ。そしてヴェルディの『椿姫』『マクベス』、ドニゼッティの『愛の妙薬』などイタリア・オペラが中心だ。今回の日本での初コンサートでは、これらお得意のオペラ・アリアの数々が披露される。とくに聴き逃せないのが、『ロメオとジュリエット』から「のぼれ、太陽よ」や、『ウェルテル』から「春風よ、なぜに私を目覚めさせるのか」、『マノン』から「目を閉じて(夢の歌)」などのロマンティックな愛のアリアだ。
パリ・オペラ座『マノン』より
Photo: Julien Benhamou-OnP
バンジャマンのもう一つの魅力は、確かな音程による端正な歌い方と、役柄を掘り下げ、じっくり聴かせる深い表現力だ。これは、キャリアの初期にチューリッヒ歌劇場でレパートリーを学び、舞台を重ねた経験があったからだろう。チューリッヒ歌劇場は、グルベローヴァやバルトリ、カウフマンやベチャワなどがキャリアを築いた歌劇場でもある。ここで歌唱の基礎を磨き、多くのレパートリーを身につけたことが、現在の活躍に繋がっている。また、決して冒険をせず、着実にキャリアを積み上げる姿勢も素晴らしい。若い頃は、タミーノ(『魔笛』)、ナラボート(『サロメ』)、リヌッチオ(『ジャンニ・スキッキ』)、エドモンド(『マノン・レスコー』)、カッシオ(『オテロ』)などの脇役を歌い、2017年頃から、ロドルフォ(『ラ・ボエーム』)やアルフレード(『椿姫』)などを歌ってきた。そして近年になって、最も得意とするフランス・オペラで華開いたのだ。
ウィーン国立歌劇場『ラ・ボエーム』より
Photo: Michael Poehn
子供の頃からヴァイオリンとピアノを学び、ジュネーヴの少年合唱団で歌っていたというバンジャマン。父はバリトン歌手で母は声楽を教えていた音楽一家に生まれた。アラーニャとナタリー・デセイの歌をレコードで聴き、歌の道に進もうと決意。18歳の時にローザンヌの音楽院に入学。そこからチューリッヒ歌劇場の若手アーティスト・プログラムで学び、歌劇場と専属歌手の契約を結んだ。2012年にはモーツァルトの初期のオペラ、『羊飼いの王様』で、ザルツブルク音楽祭にデビューを果たしている。
Photo: Edouard Brane
じつは2009年には、大野和士指揮のリヨン歌劇場来日公演『ウェルテル』で初来日を果たしている。まだ20代前半の頃で、シュミットという、父大法官の友人役での登場だった。いまはノーブルな役柄の似合う彼だが、実際の舞台姿を確かめるため、2023年の夏パリ・オペラ座の『ロメオとジュリエット』を観に行った。パリオリンピックの開閉会式を演出したトマ・ジョリーの演出で、黒のレザーパンツに白いブラウス姿の彼は、ほっそりとして手足が長く、まさに永遠の青年ロメオにぴったりな、素敵なテノールでした。
石戸谷 結子(音楽評論家)
2025年
1月14日(火)19:00 東京文化会館(上野)
1月19日(日)15:00 サントリーホール(六本木)
指揮:マルク・ルロワ゠カラタユー
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
※プログラム、料金等詳細は今秋発表予定