10月に入り、今年も残り3カ月足らずと感じる人もあるでしょう。オペラ・ファンなら、3カ月後にはベルナイムがやって来る!と胸踊らせるかもしれません。目下世界の注目を集める人気フランス人テノール、バンジャマン・ベルナイム来日のニュースが伝えられた際には"嬉しさのあまり倒れそうだった"という音楽ライターの井内美香さん、実際ベルナイム本人から聞いた言葉も交えて、その魅力を紹介してくれました。
バンジャマン・ベルナイムはパリ・オリンピック閉会式でフォーレ「アポロ讃歌」を、宙吊りピアノの伴奏で歌って広く注目された。この秋のメトロポリタン歌劇場(MET)の開幕シーズンでは、昨年のパリ・オペラ座、今夏のザルツブルク音楽祭への出演に続きオッフェンバック『ホフマン物語』のホフマン役で出演しており、まさに今、世界のオペラ・シーンの頂点に君臨するスターテノールである。
筆者がベルナイムを知ったのは何年か前のこと、クラシック音楽の動画配信サイトで、パリ・オペラ座のヴェルディ『椿姫』(2019年録画)を観ていた時のことである。ミケーレ・マリオッティ指揮、プリティ・イェンデのヴィオレッタにサイモン・ストーンの現代演出がハマったなかなか良いプロダクションだが、アルフレードを歌うテノールが......異次元に素晴らしいのだ! 正直それまでは、『椿姫』のアルフレードは誰が歌ってもそれほど変わり映えしないパートだと思っていた。アルフレードが、こんなに素敵な役だったとは!? ベルナイムはイタリア語の明確な発音と精緻な音楽性を持ち、優しく、そして愛が深いからこそ嫉妬に狂って酷い振る舞いにも及んでしまうアルフレードを見事に演じていた。
その後、ベルナイムに注目していると、彼はもうヨーロッパではパリ・オペラ座をはじめとする一流の歌劇場で歌い、ドイツ・グラモフォンと契約してアルバムを出す売れっ子テノールだった。そして2022年の11月にはついにヴェルディ『リゴレット』でMETデビュー。METで次に歌ったのは今年3月のグノー『ロメオとジュリエット』で、これが大評判となった。ライブビューイングのおかげで日本でもやっと多くの人がベルナイムの歌に接することができた演目である。11月の『ホフマン物語』のライブビューイングも楽しみだ。
1月の来日コンサートの情報を最初に目にした時には、嬉しさのあまり倒れそうだった。世界制覇を果たしたばかりのベルナイムの声を、生で、しかも彼だけが歌うコンサートで聴くことができるなんて、それはまさに奇跡ではないか! オーケストラがオペラを熟知した東京フィルハーモニー交響楽団なのも嬉しい限りである。曲目を見ると、ベルナイムをトータルに理解できる曲が選ばれているのが分かる。オープニングのチャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』からのレンスキーのアリアは、彼のデビュー・アルバムにも収められている曲だ。続くドニゼッティ『愛の妙薬』同様、哀感のある曲想がバンジャマンのリリックな声にぴったりである。前半はその後、ヴェルディ、プッチーニとイタリア・オペラからの名アリアが続く。
そして後半はフランス・オペラのアリアが集められている。マスネ、ビゼー、グノーなどのオペラからの、今の彼の輝きをもっとも感じられるであろう曲目だ。ベルナイムの歌うフランス・オペラは、抗しがたい魅力を持っている。まずは何よりも言葉の美しさだ。パリ生まれ、ジュネーブ育ちのベルナイムだが、彼の歌う言葉の解像度は驚くほど高い。そして彼の声の音色は歌が進むにつれニュアンスを多彩に変えていく。今回の『マノン』(19日はビゼー『真珠採り』)『ウェルテル』そして極め付けの『ロメオとジュリエット』まで、ロマンチックで、切々と訴えかける抒情的な役柄が最高だ。そして物語を生きる力。筆者がベルナイムにZoomインタビューをした時に、「なぜそんなに完成度が高い歌唱なのですか?」とたずねると、「確かに自分は完璧主義者だけれど、それよりも私にとって大切なのは、物語の登場人物を演じること」「完璧を目指すよりも、アーティストには舞台で伝えたいなにかがあるのです」という返事だった。
ベルナイムとの共演が多いMETで活躍するバス・バリトン歌手クリスチャン・ヴァン・ホーンにインタビューした時、「ベン(バンジャマン)は驚くべき歌手です。フランス語の歌は多くの場合、軽い声で歌われ、それゆえに大きな劇場ではその良さが分かりにくいことがあります。その点、彼はスイス・フレンチなので、ドイツの発声の影響も受けているんです。フランス歌唱の甘さや繊細さを保ちつつ、アメリカ人やイタリア人に負けない声のボリュームを持っている。なんとも素晴らしいコンビネーションです」と言っていた。ベルナイムは今、39歳。瑞々しい歌い盛りにこのアーティストを聴くことができるのは本当に幸せだ。
井内 美香(音楽ライター)
2025年
1月14日(火)19:00 東京文化会館(上野)
1月19日(日)15:00 サントリーホール(六本木)
指揮:マルク・ルロワ゠カラタユー
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
S=¥18,000 A=¥16,000 B=¥14,000
C=¥12,000 D=¥9,000 P=¥6,000(1/19サントリーホールのみ)
U25シート=¥3,000
*ペア割引[S,A,B席]
※プログラムについてはコチラをご覧ください。
https://www.nbs.or.jp/stages/2025/tenor-concert/