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Photos: Michael Poehn / WSO

NEW2025/05/07(水)Vol.517

ウィーン国立歌劇場2025年日本公演
『フィガロの結婚』『ばらの騎士』 "気高きふたりの貴婦人" (後編)
2025/05/07(水)
2025年05月07日号
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オペラ

Photos: Michael Poehn / WSO

ウィーン国立歌劇場2025年日本公演
『フィガロの結婚』『ばらの騎士』 "気高きふたりの貴婦人" (後編)

今秋のウィーン国立歌劇場日本公演で上演される『フィガロの結婚』と『ばらの騎士』、二つの作品に通じる視点を"気高きふたりの貴婦人"と題して、音楽評論家の広瀬大介さんに紹介していただく後編は、ふたりの音楽的な魅力に迫ります。

モーツァルト、シュトラウスによる「英雄」としての貴婦人

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)の『フィガロの結婚』と、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の『ばらの騎士』。「ふたりの貴婦人」と題したこの連載、前回は『フィガロ』の伯爵夫人(ロジーナ)、そして『ばらの騎士』の元帥夫人について、その聡明さ、賢さ、そしてしたたかさといった共通点についてご紹介いたしました。今回はこのふたりが音楽的にどのように描かれているかを、ご紹介したいと思います。

『フィガロ』において、伯爵夫人が初めて登場するのは、第2幕冒頭です。常にどこかで事件が起こり、全体的にとてつもなく「忙しい」印象を与える『フィガロ』全曲において、めずらしくホッと息がつける、ゆったりとした音楽に彩られています。『フィガロ』には「狂おしき一日 la folle giornata」と称する副題がつけられていますが、伯爵夫人はその狂騒の外にいて、事の成り行きを超然と見つめているのでしょう。
伯爵夫人は、娘時代、ロジーナと呼ばれていた時代のことを思い返しているはず。あのときはたしかに伯爵に愛されていたけれど、いまは初夜権を行使してフィガロの許嫁スザンナを掠め取ろうとしている。愛の神様、夫の愛情が薄れてしまったのはどうしたことでしょう、というわけです。おそらく伯爵夫人は、伯爵が領主としての権力を行使すること、そして自身の伯爵への愛が揺らぎそうになっているその状況を嘆いているのでしょう。夫を返してほしい、でなければ死なせてほしい、という嘆きは、尋常のものではありません。
この第2幕のアリアに、モーツァルトはフラット(♭)3つの変ホ長調を与えます。内心の動揺を抑えつつ、気品ある振る舞いを続けようという伯爵夫人の矜恃を表す響き、と言えるでしょう。ベートーヴェンがこの調を用いて、英雄の気高さを描こうとした「交響曲第3番」が公開初演されたのは1805年のこと。この気高さを描く変ホ長調、という用途において、モーツァルトはベートーヴェンに20年も先んじているのです。この場面の音楽を聴くたびに、私はモーツァルトの先見性に身震いせずにはいられません。

ハンナ=エリザベット・ミュラー(伯爵夫人)とアンドレ・シュエン(アルマヴィーヴァ伯爵)
(ウィーン国立歌劇場公演より)

Photo: Michael Poehn / WSO

もちろん、モーツァルトを神のごとく崇めていたシュトラウスが、モーツァルトが仕掛けたこの精妙な用法に気づかなかったわけはありません。ベートーヴェンも経た後の時代ですから、「交響曲第3番」を含め、変ホ長調が英雄の気高さを示す調であることは当然認識しており、自身も交響詩《英雄の生涯》の中心となる調を変ホ長調に据えているほどです。

シュトラウスはあきらかに、この元帥夫人を「英雄」として描いています。第1幕最後、自身の愛人であったオクタヴィアンに対して、元帥夫人は「遅かれ早かれ、あなたは私のもとを去る日が来る」と教え諭し、ふたりの関係に幕を引きます。自身の老いと向き合うつらさ、愛するひとと別れた寂寥感、ヴァイオリン独奏によって導かれる変ホ長調の幕切れは、この人物の気高さを描く音楽以外のなにものでもありません。

そして第3幕、傍若無人に振る舞うオックス男爵に引導を渡し、いまだ自分に未練を残すオクタヴィアンと、若いゾフィーを結びつけるため、本来ならばみずからが手がけるはずのないことを敢えて引き受ける元帥夫人。悲壮なまでの決意を秘めて再登場する際には、《英雄の生涯》もかくや、と思えるほどの圧倒的なホルン斉奏によって、その気高さが描かれるのです。

『ばらの騎士』第3幕(ウィーン国立歌劇場公演より)
Photo: Michael Poehn / WSO

『フィガロ』の伯爵夫人も、そして『ばらの騎士』の元帥夫人も、みずからの痛みを伴う自己犠牲を払うことで、その場のすべてのひとたちを救い、男性優位社会に一矢を報いました。このふたりが気高い存在として尊敬を集めるのは、自身の哀しみを抑えて気品ある振る舞いを続けつつ、身を挺してその場のひとたちを救ってみせた、その勇気にこそあります。ふたつの作品がいまなお名作の評価をほしいままにしているのは、ひとえにこのふたりの貴婦人が、すぐれた生き様を見せてくれているからに他ならないのです。

広瀬大介(音楽学・音楽評論)

ウィーン国立歌劇場2025年日本公演公式サイト

https://www.nbs.or.jp/stages/2025/wien/

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ウィーン国立歌劇場2025年日本公演
『フィガロの結婚』全4幕
『ばらの騎士』全3幕

公演日

W.A.モーツァルト作曲
『フィガロの結婚』全4幕

指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:バリー・コスキー
10月5日(日)14:00 東京文化会館
10月7日(火)15:00 東京文化会館
10月9日(木)18:00 東京文化会館
10月11日(土)14:00 東京文化会館
10月12日(日)14:00 東京文化会館

[予定される主な出演者]
アルマヴィーヴァ伯爵:アンドレ・シュエン
伯爵夫人:ハンナ=エリザベット・ミュラー
スザンナ:イン・ファン
フィガロ:リッカルド・ファッシ
ケルビーノ:パトリツィア・ノルツ

演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団

R.シュトラウス作曲
『ばらの騎士』全3幕

指揮:フィリップ・ジョルダン
演出:オットー・シェンク
10月20日(月)15:00 東京文化会館
10月22日(水)15:00 東京文化会館
10月24日(金)15:00 東京文化会館
10月26日(日)14:00 東京文化会館

[予定される主な出演者]
陸軍元帥ヴェルテンベルク侯爵夫人:カミラ・ニールンド
オックス男爵:ピーター・ローズ
オクタヴィアン:サマンサ・ハンキー
ファーニナル:アドリアン・エレート
ゾフィー:カタリナ・コンラディ

演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団

入場料[税込]

―平日料金
S=¥79,000 A=¥69,000 B=¥55,000
C=¥44,000 D=¥36,000 E=¥26,000
サポーターシート=¥129,000(S席+寄付金¥50,000)
U39シート=¥19,000 U29シート=¥10,000 

―土日料金
S=¥82,000 A=¥72,000 B=¥58,000
C=¥47,000 D=¥39,000 E=¥29,000
サポーターシート=¥132,000(S席+寄付金¥50,000)
U39シート=¥21,000 U29シート=¥13,000