ウィーン国立歌劇場2025年日本公演の主要歌手を、音楽ジャーナリストとして活躍する池上輝彦さんに紹介していただく2回目は『ばらの騎士』。世界最高の歌手が集結すると言われるその理由になるほど!と納得です。
多民族国家だったハプスブルク帝国。音楽の都ウィーンにはオーストリア以外の欧州各地からも多くの音楽家が移り住んだ。その伝統と多様性の融合を体現するウィーン国立歌劇場は、今も世界中から超一流の歌手を引き寄せる。2025年日本公演には世界最高の歌手たちが結集する。多様性が勝利するというオペラの真実を、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』の歌手陣から検証しよう。
元帥夫人(マルシャリン)役として絶賛されるカミラ・ニールンドはフィンランド出身のソプラノ。日本では2007年、新国立劇場の『ばらの騎士』で元帥夫人を歌い、気高い歌唱と演技で日本のファンを感嘆させた。プロデビューは1996年、ヘルシンキのフィンランド国立歌劇場での『フィガロの結婚』の伯爵夫人役。今回、ウィーン国立歌劇場が日本で上演する『ばらの騎士』の元帥夫人と『フィガロの結婚』の伯爵夫人という似た要の役を得意とするところに彼女の個性がみえる。
一方でレパートリーの広さもニールンドの強みだ。ウィーン国立歌劇場へのデビューは2005年『サロメ』の題名役。これは同じR.シュトラウスのオペラでも元帥夫人と対極にあるキャラクターだ。ほかにも『アラベラ』の題名役、『ナクソス島のアリアドネ』のアリアドネ、『カプリッチョ』の伯爵夫人マドレーヌなどR.シュトラウスの主要オペラのほとんどで当たり役となってきた。
さらにはワーグナーも得意とし、バイロイト音楽祭で高い評価を得ている。『タンホイザー』のエリーザベト役でバイロイトにデビューして以来、『ワルキューレ』のジークリンデ、『ローエングリン』のエルザなどを演じ、同音楽祭の常連として定評がある。ウィーン国立歌劇場での実績も称えられ、2019年にはオーストリア宮廷歌手の称号を贈られた。
抒情的で劇的なソプラノとして当代随一といわれるニールンドだが、数あるレパートリーの中でもやはり最高の当たり役は『ばらの騎士』の元帥夫人である。メトロポリタン歌劇場へのデビューも元帥夫人役だった。気品あふれる佇まいと情感豊かな歌唱は今回の日本公演でも圧倒的な存在感を放つに違いない。
英国生まれのピーター・ローズはオックス男爵役の代表格として世界に名を知られる。オックス役のバスといえばローズ、というほど彼のこの役での表現力には定評がある。ウィーン国立歌劇場のほかメトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座、英国ロイヤル・オペラなど世界の主要オペラハウスでの『ばらの騎士』に出演し、絶賛を浴びてきた。
オックス男爵の役回りは滑稽な立ち振る舞い、好色な俗物根性による愚行にあり、『ばらの騎士』のコメディの側面を決定付ける。一方で誇り高い貴族であり、オクタヴィアンとの決闘シーンも登場するなど、狡猾で手強いキャラクターでもある。ローズはその両面が混然一体となった役柄を完璧に演じる。彼の安定感があり機転の利く歌唱とコミカルな演技があってこそ『ばらの騎士』の喜劇が成り立つ。
1986年「グラインドボーン音楽祭」香港公演でモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の騎士長役でデビューして以来、ローズの表現力はいくつもの個性的なキャラクターで生かされている。モーツァルト『後宮からの逃走』のオスミン、ヴェルディ『ファルスタッフ』の題名役などはオックス男爵に通じる当たり役となってきた。
一方でワーグナー『パルジファル』のグルネマンツ、同『トリスタンとイゾルデ』のマルケ王などシリアスで重厚な役柄にも長けている。今回の日本公演では、愁いを帯びたニールンドの元帥夫人とコミカルなローズのオックス男爵が絶妙のバランスとコンビネーションで観衆を魅了するはずだ。
登場人物は少ないのに、どのキャラクターも尖っている『ばらの騎士』。これまた突出した個性のズボン役、オクタヴィアン。演じるのは米国出身のメゾ・ソプラノ、サマンサ・ハンキー。彼女は2025年2月、新国立劇場でのビゼー『カルメン』で、現代の人気ロック・シンガーという演出で登場する題名役で日本のファンに強烈な印象を与えたばかりだ。
自信に満ちたカルメンがはまり役なのは、ハンキーがズボン役を得意とすることにも通じる。元帥夫人との情事に溺れながらも、一本筋の通った貴公子オクタヴィアンはハンキーの若々しく優雅な声に合う。米ジュリアード音楽院で学び、2017年にメトロポリタン歌劇場にデビュー。2019~21年にはバイエルン国立歌劇場で数々のオペラに出演した。その中には2021年のバリー・コスキー新演出による『ばらの騎士』のオクタヴィアン役もあった。
今回の日本公演は、2025年1月に世を去った巨匠オットー・シェンクによる伝統的な演出だけに、ハンキーのオクタヴィアン役のまた異なる魅力を発見できそうだ。彼女の歌唱の魅力は、とろけるようにマイルドで艶やかな声色ながら、精巧な音程管理で劇的な存在感を出すところだ。女声が男性を演じるのにもってこいの声質というほかない。
ハンキーは大躍進を続けている若手メゾ・ソプラノの筆頭格である。2023/24シーズンには英国ロイヤル・オペラに『コジ・ファン・トゥッテ』のドラベッラでデビュー。2024年夏にはジェームズ・コンロン指揮シカゴ交響楽団との共演で『イドメネオ』のイダマンテ役でラヴィニア音楽祭にデビューした。今回の日本公演は、旬のメゾ・ソプラノを最高の役柄で鑑賞するまたとない機会だ。
さてもう一人の注目歌手は、ゾフィー役のソプラノ、カタリナ・コンラディ。キルギスタン(現キルギス共和国)出身のコンラディはベルリン芸術大学とミュンヘン音楽演劇大学で学び、ハンブルク国立歌劇場をはじめドイツを中心に活躍している。2021年にはゾフィー役でバイエルン国立歌劇場にデビューした。ヨハン・シュトラウス2世『こうもり』のアデーレ役にも定評があり、透明感のある抒情的なソプラノは正統派リリコ・レッジェーロとして絶賛されている。
コンラディの声は「羽のような軽やかさ」に例えられる。透明感があり、重さを感じさせず、癖がない。ゾフィーは婚約者のオックス男爵に失望し、ばらの騎士として現れたオクタヴィアンにひかれていく夢見る娘。純真さとともに目まぐるしい感情の変化も表現しなければならないが、発音が明瞭で生き生きとしたコンラディの歌唱は、劇的な表現でも生きる。
キルギスタンに生まれ育ったコンラディは、15歳でハンブルクに移住した時点ではドイツ語を全く話せなかった。それがキャリアを積むにつれ、今やドイツ語オペラの大役を世界最高レベルで演じる実力を得るに至った。コンラディの繊細で初々しい歌唱と演技、ニールンドとハンキーとの終幕の愛の三重唱に期待したい。
こうして歌手4人を見てくると、『ばらの騎士』にとって考え得る限りの現代最高かつ完璧なキャストであることが分かる。ここにもう一人、ファーニナル役のアドリアン・エレートも加えたい。地元オーストリア出身のバリトン。拠点のウィーン国立歌劇場を中心に活躍してきた。ファーニナルはエレートが2014年にザルツブルク音楽祭のデビューを飾った役。エレートは地元の伝統を体現する存在感からオーストリア宮廷歌手の称号を贈られた。
世界各地から超一流の歌手が集まり、地元の重鎮歌手が守りを固める。多様性と伝統の融合が最大の強みを発揮するフィリップ・ジョルダン指揮の『ばらの騎士』。どう見ても現代最高の舞台が東京で幕を開ける。
池上輝彦(音楽ライター、日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー)
指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:バリー・コスキー
10月5日(日)14:00 東京文化会館
10月7日(火)15:00 東京文化会館
10月9日(木)18:00 東京文化会館
10月11日(土)14:00 東京文化会館
10月12日(日)14:00 東京文化会館
[予定される主な出演者]
アルマヴィーヴァ伯爵:アンドレ・シュエン
伯爵夫人:ハンナ=エリザベット・ミュラー
スザンナ:イン・ファン
フィガロ:リッカルド・ファッシ
ケルビーノ:パトリツィア・ノルツ
演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
指揮:フィリップ・ジョルダン
演出:オットー・シェンク
10月20日(月)15:00 東京文化会館
10月22日(水)15:00 東京文化会館
10月24日(金)15:00 東京文化会館
10月26日(日)14:00 東京文化会館
[予定される主な出演者]
陸軍元帥ヴェルテンベルク侯爵夫人:カミラ・ニールンド
オックス男爵:ピーター・ローズ
オクタヴィアン:サマンサ・ハンキー
ファーニナル:アドリアン・エレート
ゾフィー:カタリナ・コンラディ
演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
―平日料金
S=¥79,000 A=¥69,000 B=¥55,000
C=¥44,000 D=¥36,000 E=¥26,000
サポーターシート=¥129,000(S席+寄付金¥50,000)
U39シート=¥19,000 U29シート=¥10,000
―土日料金
S=¥82,000 A=¥72,000 B=¥58,000
C=¥47,000 D=¥39,000 E=¥29,000
サポーターシート=¥132,000(S席+寄付金¥50,000)
U39シート=¥21,000 U29シート=¥13,000