オペラの魅力をどこに感じるかは人それぞれ。そうしたなか、極端に読み替えが行われた演出に観る前から"拒絶反応"を抱いてしまう方も少なくないようです。ウィーン国立歌劇場2025年日本公演で上演される『フィガロの結婚』も、一見、現代の要素が見られます。でも、それは決して過激な読み替えということではなく、演出も出演者も、今回のこの上演だからこその面白さがあります。日本モーツァルト協会理事を務める清水孝さんに、今回の『フィガロの結婚』だからこその面白さを紹介してもらいます。
新しい『フィガロの結婚』だ。このオペラが大好きだという現代の鬼才バリー・コスキー演出の舞台は典雅な雰囲気というよりは、現代的でスピーディな演技を主軸とした、文字通り演劇的な舞台として観客に迫ってくる。これまでの伝統的な『フィガロの結婚』とは一線を画した、刺激的で底抜けに面白い舞台であり、まさにいまこの時代にこそ生まれるべくして生まれた溌溂とした舞台だ。
第1幕。幕が上がると舞台全面が白い壁のようになっていて、背の高いドアが3つ並んでおり、真ん中はスザンナとフィガロ、両側が伯爵と伯爵夫人のそれぞれの部屋のドアとなっている。スザンナは朝の掃除を行っていて、ありふれた日常であるいつもの1日が始まるのだ。第2幕は伯爵夫人のロココ調の典雅な雰囲気の美しい部屋。第3幕は大きな絵が飾られた大広間。一転して第4幕は暗い庭のような世界で、舞台全面に大きな平らの台が設えてあり、横の白い壁に人物のシルエットが増幅されて映るのが印象的。最後、伯爵の夫人への詫びをもって一応の結末を迎えるが、果たして伯爵の横暴さはほんとうにこれで終わるのか。最後全員のアンサンブルの間に第1幕の白い3つのドアの冒頭と同じ場面に戻って幕となり、「狂おしき1日」が終わる。
コスキーの演出は極めて演劇的で、伯爵のいらだちと横暴さ、さらに夫人へのレイプのように迫る欲望むき出しのシーンは衝撃的だが、一方でケルビーノが見つかる場面やフィガロの出自の判明の場面等、お決まりの笑いのツボもしっかり押さえていてクスクスと笑える場面も多く、飽きさせない。
もともとのモーツァルトの音楽が明るいこともあって、このオペラ全体は陽気なイメージも強い。しかし、ボーマルシェやダ・ポンテが狙った政治風刺や、コスキー自身も重要な要素としている身分のこと、さらには現代ではよりクローズアップされるであろう伯爵の本性と横暴さ、冷めた夫婦関係等、影の部分ももちろん織り込まれていて刺激的に描かれているのだが、コスキーはそういった様々な要素をバランスよく盛り込んでいる。伝統的なところをしっかりと押さえたうえで、笑いとウィットに富んだ秀逸な舞台を作り上げたといえよう。往年のポネル演出に馴染んできたモーツァルト・ファンでも、現代の『フィガロの結婚』として楽しめる舞台となっているのではなかろうか。
今回の日本公演の『フィガロの結婚』がこれまでウィーン国立歌劇場が持ってきた『フィガロの結婚』や、まして今回のもう1演目である『ばらの騎士』と決定的に違うのが、このコスキー演出の初演時の主要キャスト3人が揃って来日することである。
コスキーのような細かい部分に至るまで緻密に計算され、丁寧に練り上げられた高密度な舞台だけに、演出のコンセプトを歌手たちがどれほど理解して実際の舞台でどう動けるか、さらに細かい演技等は演出家自身の直接の演技指導の有無が上演の仕上がりに大きく影響する。今回の日本公演ではスザンナのイン・ファン、伯爵のアンドレ・シュエン、伯爵夫人のハンナ=エリザベット・ミュラーとオリジナル主要3キャストが揃って来日するほか、ケルビーノ役のパトリツィア・ノルツ、マルチェリーナ役のステファニー・ハウツィールまで含めれば、初演時の5人もがそのまま出演予定というから期待も高まる。
さらに彼らは演技だけでなく今を時めく卓越したモーツァルト歌いであり、極上の歌唱を楽しめる大きなチャンスでもある。スザンナを歌うイン・ファンはモーツァルトのリリックな諸役を歌って世界的に高い評価を得ている美声の持ち主で、松本やパリでスザンナを歌って大喝采を浴びている。深い朗々とした声を持つシュエンもザルツブルク音楽祭や欧米各地での伯爵役で成功を収めた現在最も勢いのある人気バリトン。さらにハンナ=エリザベット・ミュラーはモーツァルトのリリックな役から近年はドラマティックな役まで幅広く歌える注目の歌手で、愛の喪失に苦悩する伯爵夫人を劇的に歌い演じるであろう。この今が旬の、歌唱にも演技にも秀でた名歌手3人が揃ったことは楽しみだ。加えてフィガロ役のリッカルド・ファッシはベルリンやロンドンをはじめとする欧米の歌劇場のフィガロを数多く手がけており、現代のフィガロ歌いとして定評がある。すでにウィーン国立歌劇場のコスキー演出のフィガロ役も何度も出演を重ねていて大いに期待できる逸材だ。
このようにコスキー演出のコンセプトを存分に理解し、演技ができて歌える歌手が揃ったことで、この『フィガロの結婚』の完成度がさらに高まり、いっそう舞台が充実することは間違いない。まさにウィーン国立歌劇場での初演時に立ち会うようなきっと忘れられない体験になるであろう。ぜひ劇場に足を運んで、モーツァルトの楽しさと素晴らしさを存分に味わっていただきたい。
清水 孝(日本モーツァルト協会理事)
日本モーツァルト協会と日本リヒャルト・シュトラウス協会の共催により、青山学院大学教授の広瀬大介氏が、『フィガロの結婚』と『ばらの騎士』についての講演を行います。
日時:2025年9月30日(火)19時~
会場:小山台会館 3階 大ホール(東急目黒線「武蔵小山駅」)
料金:一般2,000円
申し込み方法:詳細は8月上旬に両協会のWebサイトで発表となります。
指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:バリー・コスキー
10月5日(日)14:00 東京文化会館
10月7日(火)15:00 東京文化会館
10月9日(木)18:00 東京文化会館
10月11日(土)14:00 東京文化会館
10月12日(日)14:00 東京文化会館
[予定される主な出演者]
アルマヴィーヴァ伯爵:アンドレ・シュエン
伯爵夫人:ハンナ=エリザベット・ミュラー
スザンナ:イン・ファン
フィガロ:リッカルド・ファッシ
ケルビーノ:パトリツィア・ノルツ
演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
指揮:フィリップ・ジョルダン
演出:オットー・シェンク
10月20日(月)15:00 東京文化会館
10月22日(水)15:00 東京文化会館
10月24日(金)15:00 東京文化会館
10月26日(日)14:00 東京文化会館
[予定される主な出演者]
陸軍元帥ヴェルテンベルク侯爵夫人:カミラ・ニールンド
オックス男爵:ピーター・ローズ
オクタヴィアン:サマンサ・ハンキー
ファーニナル:アドリアン・エレート
ゾフィー:カタリナ・コンラディ
演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
―平日料金
S=¥79,000 A=¥69,000 B=¥55,000
C=¥44,000 D=¥36,000 E=¥26,000
サポーターシート=¥129,000(S席+寄付金¥50,000)
U39シート=¥19,000 U29シート=¥10,000
―土日料金
S=¥82,000 A=¥72,000 B=¥58,000
C=¥47,000 D=¥39,000 E=¥29,000
サポーターシート=¥132,000(S席+寄付金¥50,000)
U39シート=¥21,000 U29シート=¥13,000