NBS News Web Magazine
毎月第1水曜日と第3水曜日更新
NBS日本舞台芸術振興会
毎月第1水曜日と第3水曜日更新

2023/09/06(水)Vol.477

手に汗握る女の戦いーー人気女優アドリアーナが命をかけて恋敵の公爵夫人と対決する
〜チレア『アドリアーナ・ルクヴルール』
2023/09/06(水)
2023年09月06日号
オペラはなにがおもしろい
特集

手に汗握る女の戦いーー人気女優アドリアーナが命をかけて恋敵の公爵夫人と対決する
〜チレア『アドリアーナ・ルクヴルール』

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

ざっくり、こんな作品

  • 18世紀パリの人気女優アドリアーナ・ルクヴルールはマウリツィオに恋していた。マウリツィオは自身をザクセン伯爵の旗手と言っているが、実はザクセン伯爵自身だ。マウリツィオを愛する女性がもうひとりいる。ブイヨン公爵夫人だ。これで何も起こらないはずがない。公演の前に恋人と会ったアドリアーナはマウリツィオの服に小さなすみれの花を付ける。これが凶器になるとは知らずに。
    危機はセーヌ川畔の別荘で始まる。マウリツィオはブイヨン公妃と政治的な用件で会っているつもりだが、公妃のほうは最近冷たくなった恋人の気持ちを取り戻そうとしている。そこに公妃の夫ブイヨン公爵、続いてアドリアーナまでやって来た。別室に隠れたブイヨン公妃をなんとか逃さなければならない。マウリツィオに頼まれたアドリアーナが、機会を見て逃す役を果たす。顔も見えない暗がりで、2人の女性は互いに相手が恋敵だと知った。
    ブイヨン公爵邸の大広間で、2人は対決する。公妃の所望で演技させられる破目になったアドリアーナは、夫を裏切った女フェードルのせりふを語って公妃を青ざめさせる。
    病いの床にいるアドリアーナのもとに届いた箱には、かつて恋人に贈ったすみれの花が入っていた。残酷な仕打ちと嘆いているところに当のマウリツィオがやって来た。花を贈ったのはブイヨン公妃で、花には毒薬が仕込まれていた。恋人の腕に抱かれ、アドリアーナは息を引きとる。
  • チレア作曲、コラウッティ作詞 全4幕、イタリア語/1902年、ミラノ、テアトル・リリコ初演

聴いてびっくり


怖い。震え上がる。第2幕の終り、暗闇の中でついに相手が恋敵だと知る二重唱は、ソプラノが巧いだけだって十分に恐ろしいし、メゾ・ソプラノが巧いだけでもおっかなくなるのだが、ソプラノとメゾ・ソプラノの両方が巧いとなると、震え上がるほかなくなる。この場面に較べれば『トロヴァトーレ』だろうが『ルチア』だろうが、テノールとバリトンが互いに相手を「やっつけてやる!」なんて罵り合う二重唱なんて、笑顔を浮かべて楽しめるというもの。公爵夫人と大女優が礼儀を守りつつ、敵意を露わにして歌う時、暗がりは異様な寒気で満たされる。ベルカント・オペラのころの女声による二重唱には、どこかに調和を目指す力がはたらいていて、2人の声は次第に和解へと向かっていたのだが、もうそうはいかない。女声の二重唱は独得な美を備えているのだが、独得な恐ろしさを備えているのも女声の二重唱だった。このオペラでは第3幕に2人の対決第2ラウンドが用意されていて、こちらでも震え上がることができる。

見てびっくり


第3ラウンドに当たる第4幕に、もうブイヨン公爵夫人は姿を見せない。だが恐ろしい毒殺者として花の背後にいるのが、まざまざと感じられる。アドリアーナに毒入りのすみれの花を贈ったのは公爵夫人だった。その毒が、というよりすみれの悪意が、アドリアーナの命を奪う。だがその強力な悪意も死を目前にした愛の二重唱にはかなわない。最後の最後でマウリツィオはアドリアーナに熱烈な愛の詞を歌い、謙虚なアドリアーナが応えて、甘美な二重唱が始まる。毒はアドリアーナの身体をめぐり、一代の名女優は若い生命を失う。でもその前の情熱的で甘い二重唱を聴く者にはわかる。マウリツィオをめぐる2人の女の戦いで勝ったのはアドリアーナだった。毒が生命を奪うまでのあいだに歌われるアドリアーナ最後の歌は、ソプラノによるこの世との別れの中でもとりわけ華やかというほかない。

この歌を聴け


●最後の歌も印象的だが、アドリアーナの登場の歌はそれをしのぐくらい印象的だ。第1幕、コメディ・フランセーズの楽屋で、周囲の賛辞に応え「私は創造の神の下僕にすぎません」と歌う。せりふから歌への変化だけだって見事だが、詞の内容こそ謙虚なものの、歌はこれだけでアドリアーナが歴史に名を残す名女優であるのがわかるくらい堂々としている。これは伝説的な名女優を描くオペラなのだと誰もが感じとれる。もちろんそういうソプラノが歌えば、の話だけれど。
●アドリアーナよりブイヨン公爵夫人のほうが明らかに上回っている魅力もある。それは官能性だ。成熟した女声のエロティックな魅力を重視するなら断然公爵夫人だ。その魅力は第2幕の冒頭で歌われる、公爵夫人登場のアリアで遺憾なく発揮される。「苦い喜び、甘い責め苦を」と、官能的な美女は恋の相手.....と信じているマウリツィオを待ちながら、高まる情熱あるいは欲望を解放して歌う。

鍵言葉キーワード

すみれの花 このオペラで一番罪が重いのはすみれの花だろう。アドリアーナからマウリツィオ、マウリツィオからブイヨン公爵夫人、公爵夫人からアドリアーナへと移るうち、すみれは愛から死へと落ちていく。
腕輪 恋敵は公爵夫人だ! 第2幕の幕切れで、アドリアーナは証拠の腕輪を手にする。
暗がり 第2幕のブイヨン公爵の別荘の暗がりは大きなはたらきをする。密会を隠し、逃走を助ける。
アドリエンヌ アドリアーナのモデルとなった女優アドリエンヌ・ルクヴルールは実在の女優だった。18世紀初頭のパリで活躍し、若くして死んだ。
モーリス マウリツィオのモデル、モーリス・ド・サクスも実在の人物で、アドリエンヌの恋人だった。
テノール 2人の女声に立ち打ちはできないけれど、マウリツィオもテノールの重要な役で、いくつもの魅力的な歌を歌う。
ミショネ アドリアーナを慕うコメディ・フランセーズの舞台監督ミショネも、このオペラのしぶい脇役だ。女優賛美のモノローグを歌う。
コメディ・
フランセーズ
いわずとしれたフランスの劇団で、ルイ14世の時代から現代まで続いている。
フェードル 第3幕でアドリアーナはラシーヌ作「フェードル」のせりふを語る。義理の息子に恋したフェードルの、全5幕の悲劇で、1677年に初演されている。初演は失敗したが、実在したブイヨン公爵夫人の陰謀だったという。ラシーヌの代表作とされる。
パリスの審判 第3幕、公爵夫人のサロンでバレエ「パリスの審判」が上演される。これが楽しみという人もいる。

監修:堀内修

ソニア・ヨンチェヴァ ソプラノ・コンサートで、
『アドリアーナ・ルクヴルール』のアリアが歌われます!

ソニア・ヨンチェヴァは2024年夏にバルセロナの『アドリアーナ・ルクヴルール』でアドリアーナを初役で歌います。彼女自身「ずっと夢見ていた役柄、歌と演技をしっかりと織り交ぜる必要があると強く信じている私のようなソプラノ歌手にとって、理想的な役」だと言います。実はこのアリアはつい先頃、当初のプログラムからの変更で組み入れられました。ロールデビューに向けての準備が整った!という自信のあらわれともいえるでしょう。お聴き逃しなく!

ソニア・ヨンチェヴァ ソプラノ・コンサート
https://www.nbs.or.jp/stages/2023/yoncheva/