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2023/10/04(水)Vol.479

仮面舞踏会で起こった怖ろしい暗殺事件を招いたのは禁じられた恋だった
〜ヴェルディ『仮面舞踏会』
2023/10/04(水)
2023年10月04日号
オペラはなにがおもしろい
特集

仮面舞踏会で起こった怖ろしい暗殺事件を招いたのは禁じられた恋だった
〜ヴェルディ『仮面舞踏会』

オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。

ざっくり、こんな作品

  • 高潔な人物として知られるボストン総督リッカルドだが、腹心レナートの妻アメリアへの思いを抑えきれない。これが悲劇を招いた。家臣を連れてお忍びで行った占い師ウルリカのところで、リッカルドはアメリアもまた自分を愛しているのを知る。秘かな愛を断念するため、ウルリカの助言で深夜の処刑場にやってきたアメリアを、リッカルドが待ちかまえていた。2人が愛を深めようとした時、リッカルドの暗殺を狙う反総督派が近くにきたのがわかった。助けにきたのはレナートで、リッカルドは逃れられたものの、レナートは妻の裏切りを知ってしまった。忠実な腹心は反対派の急先鋒に変わる。妻に自害を命じると、レナートは新しい仲間とともに、予定通り開かれる仮面舞踏会へと向かった。なんとか助けたいと、舞踏会にやってきたアメリアの忠告も、時すでに遅かった。総督はレナートの剣に倒れた。人々の見守るなか、リッカルドはアメリアの潔白を訴え、レナートの赦免を告げると息絶える。
  • ヴェルディ作曲、ソンマ作詞 全3幕、イタリア語/1859年、ローマ、アポッロ劇場初演

聴いてびっくり


いけない恋のなんと甘美なことだろう! 前に体験した人は思い出し、これから体験しようという人は想像する。第2幕でアメリアとリッカルドがくり広げる二重唱は、いけない恋だらけのオペラの中でもとりわけ甘い。条件は整っている。時は真夜中で、場所は処刑場だ。男は総督で女は忠実な家臣の妻ときている。どちらも立派な人格と倫理感を備えていて、この恋が許されないのを十分承知している。なんとか思いとどまらなければならない。アメリアがここにやってきたのも、思いとどまるためなのだ。占い師の、深夜に処刑場で草を摘め、なんていう怪しい御託宣にすがらなければならないほど切羽詰まっている。アメリアが切々と「わたしに草を摘む勇気を与えて下さい」とつらい気持ちを歌ったところに、恋の相手であるリッカルドが現れる。それでもなお一線を越えまいとする努力は空しい。始まった二重唱は、すぐに一線を越える瞬間を迎えることになる。情熱が倫理の堰を切ってあふれ出す瞬間だ。流麗な旋律が出現させる、いけない恋という甘い果実に齧りつくのは舞台の2人だけじゃない。そして誰もが味の違いを知ることになる。『オテロ』の、そして『蝶々夫人』の夫婦の二重唱は陶酔的で甘い。でも『仮面舞踏会』の2人の歌は罪の意識が苦い味を添えている。おとなの味なのだ。アメリアもリッカルドも、これが避けるべき事態で、必ず不幸を招くのを知っている。事実『仮面舞踏会』はこの後まっしぐらに悲劇へと向かうはずだ。でも苦味も加わった禁断の恋の、なんと甘美なことだろう!

見てびっくり


暗殺事件は華やかな仮面舞踏会の最中に起こる。大勢の仮面をつけた客たちがメヌエットを踊っている中に、何人もの暗殺者たちが紛れ込んでいる。危険を犯してやってきたアメリアがようやくリッカルドに近づき、暗殺者がいると教えたのだが、時すでに遅かった。リッカルドの後にレナートが迫る。豪華な舞台が一瞬にして惨劇の場に変わった。場面も音楽も、変化は実に唐突だが、それこそヴェルディが狙ったものだ。アメリアがリッカルドに話しかけてから幕切れまでは、短いけれど緊迫している。『シチリア島の夕べの祈り』と並ぶヴェルディの、歴史的事件による惨劇のフィナーレは、最高の効果をあげている。ちなみにオペラでは短剣による殺人だが実際は拳銃だった。現在の上演ではどちらもある。

この歌を聴け


現代の上演ではちょっと難しいかな?と思えるのが第3幕の前半、レナートが妻に死を命じる場面だ。17〜18世紀の話なので驚くことはないのだけれど、妻の浮気(とレナートは思い込んでいる)と主人の裏切りくらいでここまでするのか? という気がする。ただしその懸念も2つの歌を聴けば忘れるはず。
●夫に死を命じられたアメリアは「わたしの最後の願い」と歌う。死は覚悟した。だがその前に息子を一度だけこの手で抱きしめたい。これがアメリアの最後の願いだ。切実な願いの歌は、どんな夫だって、かなえてやるどころか、妻の命も救けようとするくらい。一体どこに、この歌を聴いて許してやりたくならない夫がいるだろう? だがレナートは、息子との最後の抱擁は認めても、妻を赦免するつもりはない。その理由が、アメリアが息子に会っているあいだに歌われる。
●「おまえこそわが魂を汚す者」とレナートが歌いかけるのは、妻ではなく、壁にかかった総督リッカルドの肖像だった。忠実なレナートは心からリッカルドを信じ、友情を感じていた。その信頼が裏切られたことこそレナートの怒りの理由だった。怒りはそのまま殺意へと高まる。そして歌は大きく変わる。フルートとハープの間奏の後、レナートはアメリアとの幸福な日々を振り返る。いま死を命じた妻との過去だ。それでも撤回はできない。切実なアメリアの歌と悲痛なレナートの歌は、次に起こるのが人間の力ではどうにもならない不可避的な悲劇であるのを示している。

鍵言葉キーワード

実話 このオペラは1792年3月16日に起こったスウェーデン国王グスタフ3世暗殺事件を元にしている。
検閲 フランスの作家スクリーヴの戯曲のオペラ化だが、当初初演が予定されていたナポリで、検閲により国王暗殺はいかん、と禁止される。設定を変えてローマで初演したが、今日では当初の国王暗殺版も上演される。
リッカルドか
グスターヴォか?
内容は同じだが、場所や登場人物の名は2つの版で異なる。ボストン=ストックホルム、リッカルド=グスターヴォ、レナート=アンカーストレーム伯爵というように。
当たる占い 第1幕に出てくる占い師ウルリカの占いはよく当たる。大当たりはリッカルドが次に握手する者に殺されるという占いだろう。
占い師の歌 ウルリカはコントラルトが歌う。「地獄の王よ」は恐さも迫力も十分の歌だ。
くじ引き 反対派は総督の暗殺者をくじ引きで決める。決まったのは新参のレナートだった。

監修:堀内修

フアン・ディエゴ・フローレス テノール・コンサートで、
『仮面舞踏会』のアリアが歌われます!

ヴェルディのオペラはフローレスの新境地。彼自身「ヴェルディのオペラを歌うのに理想的な声は、ベルカントの流麗さをたもちつつ、やや太めの声。いまの自分がそれにふさわしい時期にきたと」語っています。コンサートで歌われる"今頃は家に到着し、ようやく落ち着いたことだろう〜永遠に君を失えば"は総督リッカルドが第3幕でアメリアへの思いを諦める決心を歌うもの。切々とした思いをあらわすフローレスの声をお楽しみに。

フアン・ディエゴ・フローレス テノール・コンサート
https://www.nbs.or.jp/stages/2024/singer/01.html