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エディタ・グルベローヴァ 昨年に続き、津波遺児募金へ 1万ユーロを寄付

2012年11月10日 12:02


12-11.10_01.jpgウィーン国立歌劇場2012年日本公演「アンナ・ボレーナ」で日本での最後の舞台を成功裡に終えたエディタ・グルベローヴァ。
昨年のバイエルン国立歌劇場日本公演に続き、今回の日本公演でも出演料のうち、1万ユーロ(約103万円)をあしなが育英会の「津波遺児募金」に寄付いたしました。

先日開催された共同インタビューでも、日本への愛と日本の観客への感謝を繰り返し語っていたグルベローヴァ。数々の名舞台だけでなく、更にこのような形でも日本への想いを示してくれました。

素晴らしい歌声とともに、素晴らしい想い出を残してくれたグルベローヴァに、改めて心からの感謝の気持ちを伝えたいと思います。


photo:Kiyonori Hasegawa


ウィーン国立歌劇場2012年日本公演 閉幕!

2012年11月 5日 12:00

ウィーン国立歌劇場2012年日本公演は、昨日11月4日の「アンナ・ボレーナ」をもって全10公演を終え、閉幕いたしました。

1980年の初来日以来、32年間にわたり15回の来日を重ね、日本の音楽ファンを魅了し続けてきたエディタ・グルベローヴァにとって、日本での最後の舞台となった「アンナ・ボレーナ」。
最終公演の幕が下りた瞬間、場内のあちこちから「ブラヴォー!」と割れんばかりの拍手が湧きおこりました。

熱い拍手と声援の中、再び幕が上がると舞台の左右に日本とオーストリアの国旗を模した垂れ幕が下り、「日本公演の大成功おめでとうございます。4年後、2016年にまたお会いしましょう!」、「皆さまの熱いご声援に感謝します。4年後にまた会えることを楽しみに!」という日墺のメッセージが。

そして舞台下手からは「我らのディーヴァ、グルベローヴァさん!32年間ありがとうございました」と書かれた横断幕が登場。
その後もグルベローヴァへの、感動と感謝、惜別の想いを伝える拍手は鳴りやまず、場内は総スタンディングオベーションに。
カーテンコールが繰り返され、グルベローヴァは、万感の想いが込められた美しい笑顔で応えていました。
グルベローヴァさん、数々の素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!


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ウィーン国立歌劇場2012年日本公演は、22日間にわたり、「サロメ」、「フィガロの結婚」、「アンナ・ボレーナ」、そして外来の歌劇場として初めての子ども向けオペラ上演となった≪小学生のためのオペラ「魔笛」≫の4演目、全10公演を上演してまいりました。
ご来場いただきました多くの皆様に改めてお礼申しあげます。

次回のウィーン国立歌劇場日本公演は、4年後の2016年を予定しています。
その日を楽しみにお待ちください!


photo:Kiyonori Hasegawa


エディタ・グルベローヴァ 共同インタビューが開催されました

本日(11月4日)のウィーン国立歌劇場2012年日本公演『アンナ・ボレーナ』が日本最後の公演となることを表明しているエディタ・グルベローヴァが、2日(金)都内ホテルでマスコミ各社との共同インタビューを行いました。

1980年の初来日以来32年間で15回もの来日を重ねてきたグルベローヴァ。
終始笑顔で、日本での数々の想い出を語ってくれました。

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この共同インタビューの模様は、後日、当サイトでお伝えいたします。


ウィーン国立歌劇場2012年日本公演 記者会見レポート

明日(10/14)の開幕を前に、ウィーン国立歌劇場2012年日本公演の記者会見が、東京文化会館で行われました。
『サロメ』のオーケストラリハーサル終了後に行われた記者会見には、ドミニク・マイヤー総裁、日本公演で『サロメ』と『フィガロの結婚』を指揮するペーター・シュナイダー、『サロメ』のタイトルロールを演じるグン=ブリッド・バークミン、ヨカナーン役のマルクス・マルカルトが出席。日本公演への抱負を語りました。

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ウィーン国立歌劇場総裁 ドミニク・マイヤー

今回がウィーン国立歌劇場にとって8回目の日本公演となります。
私が総裁になりましてから、初めての日本公演ですが、私以外の歌劇場のスタッフ、オーケストラのメンバーたちは、何度も日本に来ていますので、みんな「家に帰ってきたような気持ち」と言っています。

ウィーン国立歌劇場は年間300回の公演をウィーンで行っているため、世界中から客演の依頼をいただいていますが、なかなかお応えすることができません。しかし、日本では4年ごと公演を行っており、それからみても、ウィーン国立歌劇場にとって、日本公演のプライオリティがいかに高いかがおわかりいただけると思います。

皆さまもご存じのように、音楽総監督であるフランツ・ウェルザー=メストが腕の怪我のため来日することができなくなってしまいました。毎日治療を続けなければ、今後の指揮活動にも支障をきたすということで、医師からの指示により来日を断念いたしました。マエストロもこの日本公演をとても楽しみにしていただけに、本当に残念に思っています。

代わって『サロメ』を指揮してくださる、ペーター・シュナイダーさんはウィーン国立歌劇場の『サロメ』をもっとも多く指揮している指揮者で、"『サロメ』指揮者"と言ってもよいほどです。先ほどのリハーサルも素晴らしく、ウィーンの聴衆から愛され、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからも愛されているシュナイダーさんに『サロメ』を指揮していただけることは、私どもにとって大きなプレゼントだと思っております。この場をお借りして感謝の気持ちをお伝えします。

今回の日本公演では、若い歌手たちをぜひ日本の方々にご紹介したいと思っています。
その一人が、『サロメ』のグン=ブリッド・バークミンさんです。シュナイダーさんとは初めての共演ですが、今日のリハーサルでも、新しいサロメが、これだけの素晴らしい歌と演技で表現できる人はいないと褒めていらっしゃいました。
そして、もう一人、ヨカナーン役のマルクス・マルカルトさんです。ドレスデン国立歌劇場とウィーン国立歌劇場という二つの大きなオペラハウスに定期的に出演され、活躍されているマルカントさんをヨカナーン役に迎えられて嬉しく思っています。

最後に<小学生のためのオペラ『魔笛』>についてお話ししたいと思います。2003年からこの作品を上演していますが、つい最近オーストリアの子どもたちに「オペラを見たことがあるか」というアンケートをした際、90%の子どもたちが「ある」と答え、そのうちの90%がこの『魔笛』を見たと答えました。未来のオペラの観客を育てるという意味でもこの作品は貢献していると思っています。
最初の頃は、小澤征爾さんが指揮をしながら、子どもたちにお話しをしてくださっていました。日本公演でも解説をしていただきたかったのですが、残念ながら健康状態がお許しにならないので、今回はパパゲーノ役の甲斐栄次郎さんに歌いながら、日本の子どもたちの間にコミュニケーションを取っていただきたいと思います。オペラだけでなく、楽器の解説もありますし、きっと素晴らしい子どもたちのイベントになると思っています。

こうしてウィーン国立歌劇場のオペラを4年毎に日本でご覧いただけることは私どもにとって大きな喜びです。これからもよろしくお願いします。


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ペーター・シュナイダー(『サロメ』『フィガロの結婚』指揮者)

私が初めて日本を訪れたのは1986年です。ウィーン国立歌劇場と共に来日し、『ばらの騎士』を指揮しました。それから、さまざまな演奏会や公演で何度も来日していますが、日本の観客の皆さんのリアクションはいつも素晴らしいです。ドイツとオーストリア以外の外国では、日本での指揮の回数が多いのではないでしょうか。大好きな日本に、ウィーン国立歌劇場と一緒に帰ってこられたことを嬉しく思っています。

今回は『フィガロの結婚』だけのつもりでしたが、『サロメ』も指揮することになりました。若干やりすぎかなとも思いますが、『サロメ』はこれまでウィーン国立歌劇場で何度も指揮していますし、来年2月も指揮することが決まっています。今回のお話をいただいたときにも、「このウィーン国立歌劇場で」、「このウィーン国立歌劇場管弦楽団で」、「この『サロメ』という作品なら」・・・ということで、お引き受けしました。
このオーケストラは、私がどのように『サロメ』を指揮したいのか、この作品で何をしたいかということをよく理解してくれています。今日も予定より随分早くリハーサルを終えることができました。
今日のリハーサルはとても上手くいきましたが、『サロメ』は歌手だけでなく、オーケストラにとっても、指揮者にとっても、毎回大きな挑戦となる作品なのです。ぜひ皆さん楽しみになさっていてください。


グン=ブリッド・バークミン(『サロメ』サロメ)

日本に来られて、しかも東京に来られて本当に嬉しいです。
今回が、私にとってウィーン国立歌劇場のデビューとなります。ですから、私が今回の公演をどんなに意義深いと思っているかをわかっていただけるのではないでしょうか。きっと、私とって忘れられない公演になると思っております。体調も万全ですし、皆様方のご期待にお応えしたいと思っています。



マルクス・マルカルト(『サロメ』ヨカナーン)

今回、日本に初めてまいりました。ウィーン国立歌劇場と共にソリストとして日本に来られたころを幸せに思っています。
先ほどまで『サロメ』のリハーサルを行いましたが、東京文化会館は素晴らしい音響でした。また日本のオーガニゼーションの素晴らしさにも感動しています。
すでにウィーンでは、シュナイダーさんの指揮で『サロメ』を歌っておりますので、力を十分に発揮できると思っています。よろしくお願いいたします。


【ウィーン国立歌劇場】メディア情報(10/3)

2012年10月 3日 15:59

◆週刊新潮 10月3日(水)発売号(10/11号)

「TEMPO」欄にウィーン国立歌劇場「サロメ」の紹介記事が掲載されました。 "ウィーン・フィルで32年ぶり絢爛「サロメ」"


◆朝日新聞 10月1日(月)夕刊

ウィーン国立歌劇場総裁ドミニク・マイヤー氏のインタビューが掲載。"伝統をアップデート"(吉田純子記者)


エディタ・グルベローヴァ ウィーン・レポート(音楽ジャーナリスト:山崎睦)


"エディタ、ダンケ!"沸き起こるウィーンの拍手と歓声


12-07.03_02.jpg 目下、ウィーン国立歌劇場のマーラー・ザールでは伝説の写真家、リリアン・ファイアーの95才の誕生日を祝って歌手の写真展が開催され、オペラの幕間には大勢の人々で賑わっている。ドミンゴ、シュヴァルツコップ、テバルディなど、戦後を代表する世界的名歌手が綺羅星のごとく並ぶなかで、ほぼ中央に位置を占めているのが等身大より大きなエディタ・グルベローヴァのパネルだ。マスネ『マノン』のタイトルロールに扮し、ポネルのデザインによる、目の覚めるようなパープルの衣装を纏った当時37才のグルベローヴァがまっ先に目に飛び込んでくる。ウィーン・デビューから13年、ツェルビネッタ、ルチアと連戦連勝を重ね、オペラ界の頂点に立った頃の艶姿であり、眺める人それぞれに彼女の栄光の軌跡を辿ることになる。
 ウィーンにおける最近のグルベローヴァの実際の活動は、まず4月29日の国立歌劇場での独唱会で、アレクサンダー・シュマルツのピアノ伴奏によりシューベルトの「4つカンツォーネ」などイタリア語による作品と、「ズライカ」、「糸を紡ぐグレートヒェン」等、ヴォルフ「ヴァイラの歌」、「庭師」、「子供と蜜蜂」等、R.シュトラウス「花輪を編みたかった」、「あなたの歌が私の心に響くとき」等、非常に凝ったプログラム。それでアンコールは、やはりシュトラウスの「響け」、そしてデラックワ「ヴィルネル」、ミレッカー「私たち、哀れなプリマドンナ」の3曲で会場を熱狂させた。このプログラムでベルリン、ミラノ・スカラ座等を一巡している。
 その後、5月26日から6月10日にかけてドニゼッティの『ロベルト・デヴェリュー』を4回歌った。共演はホセ・ブロス(ロベルト・デヴェリュー)、ナディア・クラステヴァ(サーラ)、甲斐栄次郎(ノッティンガム公爵)で、指揮はエヴェリーノ・ピド。現在の彼女の当たり役のひとつ、エリザベッタ(エリザベス1世)で老境のイギリス女王の悲哀を余すところなく歌い演じて、まさに圧倒的な大舞台だ。大きなアッチェレランドをかけて音楽を追い上げ、旋律線が上へ上へと駆け上がって、ドラマティックな緊迫度を高めていく彼女のアジリタ技法は依然として最大の武器であり、最強のソプラクート(3点ドより高い音)で最後を決める迫力は比類がない。
 カーテンコールになって、ステージ寄りのロージェ(ボックス席)の手すりに「エディタ、ダンケ!(ありがとう)」と大書された垂れ幕が掛けられ、忠誠を誓う昔からの親衛隊が相変わらず張り切っている一方、立見席に居並ぶ、ほんとうに若い客層からも元気な拍手歓声が飛んで、そのような光景が30分は続いている。ウィーンはグルベローヴァにとって揺るぎない牙城なのだ。ニューヨーク・メトロポリタンオペラでカルロス・クライバーと共演した『椿姫』やミラノ・スカラ座でのドニゼッティ『シャモニーのリンダ』等の成功の後、近年はこれらの劇場からは距離を保っているものの、ヨーロッパではウィーンの他にミュンヘン、チューリッヒ、バルセロナと、彼女の崇拝者はとどまるところがない。
 なお、『ロベルト・デヴェリュー』の指揮者、ピドはグルベローヴァとは今回がはじめての共演になり、今秋の日本での『アンナ・ボレーナ』でも指揮することになっている。誇り高いプリマドンナをサポートしなければならないのが指揮者の役割だが、いまやベルカント・オペラの第一人者たるピドは、その辺の呼吸も確かで、今回の『ロベルト』公演を輝かしいフィナーレに導いた功労者に違いない。

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 さらに、6月20日からはじまる国立歌劇場の今シーズン最後の演目、ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』4公演で大混乱が生じている。予定されていたディアナ・ダムラウの不都合により、はじめの2公演がロシア人のヒブラ・ゲルスマーワに交代。ところがそのヒブラもダウンして、1回目はフランクフルト専属のアメリカ人、ブレンダー・レーを登場させるという二転三転ぶり。
 周知のように、従来この演目はグルベローヴァが長年歌っていて、キャンセルもほとんどなく、つねに抜群の安定度を誇っていたものだが、彼女がこの役を歌わなくなった途端の騒動だ。ウィーンのランクの劇場でルチアを歌える歌手を探すのが困難なわけで、この様子では今後ますますベルカント・オペラの上演は減少するだろう。そこで、あらためてわかるのが、"不世出のディーヴァ"、グルベローヴァの偉大さなのだ。


山崎 陸(在ウィーン 音楽ジャーナリスト)
NBSニュース vol.305より転載



※写真は4月29日に行われたリサイタルより(photo:Wiener Staatsoper / Michael Poehn)

◆ウィーン国立歌劇場公式サイト「アンナ・ボレーナ」>>>


「アンナ・ボレーナ」が日本最後の公演となるエディタ・グルベローヴァ 最新インタビュー

2012年6月 1日 15:10


30年間にわたってオペラ・ファンを熱狂させた"女王"の告別公演に! 
「今度の『アンナ・ボレーナ』が日本で最後のオペラになります」


取材・文:山崎睦(在ウィーン 音楽評論家)


12-06.01_01.jpg4月24 日、ウィーン国立歌劇場の監督部門が置かれている3階廊下で広報部スタッフとともに待機するなか、エディタ・グルベローヴァが現れた。ターキッシュ(トルコ)がかった鮮やかなブルーのコスチュームがよく似合って、見るからに元気そうな彼女に一堂ほっと一安心。2日後に同劇場でのリサイタルを控えているのだ。今回のインタビューにあたり、劇場側は"女王様" にふさわしい設えということで、もっとも豪華で格式の高い"皇帝のティーサロン"を準備して、すべてが特別待遇だ。この秋のウィーン国立歌劇場日本公演で彼女の演目になる『アンナ・ボレーナ』をテーマに話を進め、それ以降の来日について尋ねたところで、衝撃の引退宣言が出たのだ。「ちょうど良い機会ですから、ここではっきりさせておきたいのですが」と前置きしてから、「今度の『アンナ・ボレーナ』が日本で最後のオペラになります」といきなり言われて、筆者は動転。気を取り直してリサイタルなどでの単独来日の可能性を打診したところ、「それも、もう考えていません。長年にわたって私を応援してくださった日本のファンの方々にお別れするのはつらいですし、お世話になった主催スタッフの皆さんに対しても同様の気持ちですが、ここで区切りを付けます。SAYOU-NARA !」。そしてヨーロッパでも2015 年春以降の予定は入れていないのだと語った。
1980 年の初来日以来、30 年以上を通じてわが国では熱烈なファン・グループが形成されて、一人の歌手に対する広範な支持層の広がりという点では例を見ない存在がグルベローヴァだ。たしかに現在65 才(1946 年12 月23 日生まれ)のグルベローヴァは、一般に歌手生命が短い高音歌手としては、すでに記録的な年齢に達しているわけであって、ここで引退宣言があっても不思議ではない。だが"天下無敵" のコロラトゥーラであり、不世出のディーヴァには、いつまでも歌っていてもらいたいという願望が大きすぎるあまり、もう彼女のライブが聴けなくなるなどとは想像もしたくなかったのだ。じつに潔い、見事な引き際である。


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1970 年のウィーンで、まずモーツァルト『魔笛』の夜の女王で認められ、76 年にR. シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタで世界的にブレークしたグルベローヴァだが、このままドイツオペラに留まっても、自分のリリコ・レッジェーロの声がカヴァーできる役柄は制限され、発展の可能性は限定される。悩んだ末にトライしたのがドニゼッティ『ランメルモールのルチア』だ。


――『ルチア』での空前の大成功により、ベルカント・オペラの方向が開けたのですよね。

グルベローヴァ:はい、そのときからドニゼッティ、ベッリーニの作品が私の中心的レパートリーとなり、ライフワークになりました。そのなかでもドニゼッティの"女王三部作" といわれる『マリア・ストゥアルダ』、『ロベルト・デヴェリュー』、そして今度日本で歌う『アンナ・ボレーナ』は私にとってひときわ重要です。このうち『ボレーナ』は作曲家の出世作と評価され、実際に歌っていても若い意欲と活気あふれる音楽に啓発される素晴らしい作品です。私自身、イギリス・チューダー朝の歴史に強い関心があるので、様々なかたちでエリザベス一世が出てくるこれらの作品は史実としても
興味深く、『ストゥアルダ』は若きエリザベス、『ロベルト』は最晩年のエリザベス、そして『ボレーナ』は彼女の母親、アン・ブリンの物語です。ここでドニゼッティは娘を役柄として登場させませんが、今回のウィーンの演出でも子役が出てきて、観客に二人の親子関係を印象付けるような舞台になっているんですよ。


――長い歌手生活は、まさに波乱万丈でしたでしょうね。

グルベローヴァ:ウィーンに出てきて、最初の7年間はたいへん苦労しました。たまに『魔笛』や『ホフマン物語』のオランピアのチャンスがありましたが、座付きソプラノとして『パルジファル』の花の乙女グループ1の1、『メデア』や『ダフネ』で女中1、とか名前もなく番号で呼ばれる役が多く、意気消沈の毎日でした。


――若い頃から最強の高音をお持ちだったから、グループでも一番上の1番ですけど。ほかに『椿姫』のフローラ、『蝶々夫人』のケート・ピンカートンとか、いまではとても考えられない端役ですね。そうそう、ワーグナー『ジークフリート』の森の小鳥を聴いていますよ。

グルベローヴァ:ああ、あれはちょっとしたお遊びというか(笑)。ただ、ここで言いたいのは、小さい役柄というのは先の発展に継らないですよ。物事はすべてそうでしょうが、大きく困難な課題を与えられて、それを乗り越えようとがんばる、その努力が将来の発展に繋がっていくものです。


――大きな挑戦ということで、ドニゼッティ、ベッリーニの数々の大役を歌ってこられて、あなたのおかげで長年埋もれていた作品が再び上演されるようになったことはオペラ史上、たいへん意義のあることに違いありません。

グルベローヴァ:この夏からベッリーニの、上演される機会のない『異邦人』に着手します。まずミュンヘンにおける演奏会形式で、それで13 年にはチューリッヒで舞台上演にかけます。15 年冬にはアン・デア・ウィーン劇場を予定していて、私の最後のオペラということになりますね・・・。


photo:Wiener Staatsoper/Michael Poehn


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