バイエルン国立歌劇場 2017年日本公演『タンホイザー』 新演出にどう期待する!? 思考の袋小路の先にある、ロメオ・カステルッチの創造世界

オペラの新演出は、幕が上がるまで、どのような舞台になるのかまったくわかりません。演出家によって、時代や場所の設定が大きく変えられたり、社会的に大きく訴えかけるメッセージ性が込められたり……。わくわくしながら想像するときに、よりどころとなるものの一つに、演出家の思考を見つめることがあるでしょう。
『タンホイザー』の演出を手がけるロメオ・カステルッチは、演劇界ではすでに名を知られています。演劇研究者・ジャーナリストとして、カステルッチ氏に直接会った経験をもつ岩城京子さんに、演出家ロメオ・カステルッチの創作についての考察を寄せていただきました。

Photo:Salva Filippov

 あらゆる芸術表現は「アポリア」から生まれる。と、イタリア人演出家ロメオ・カステルッチは明言している*。 アポリアとはつまり「行き止まり」のこと。言い換えれば、あるひとつの問いに対し、完全に矛盾する見解が等しく成立する「絶対的な引き裂かれ状態」を指す。これはなにも小難しい概念ではない。同調圧力や世間体といった外在律をいったん捨てて、自分の内在律に従って素直に生きようと試みたことがある人なら、一度はこの感情的な拠りどころがない状態をくぐり抜けたことがあるはずだ。そしてまた、このような精神状態に陥ったときは、便宜上、社会が定めた、正義、善悪、真偽などのルールには、まったくすがれないという孤独も熟知しているはずだ。しかしこの答えのないひとりぼっちの精神の辺土からこそ「芸術は誕生する」とカステルッチは説く。つまり彼は、既存の倫理圏外にある、思考の限界線上に追いやられたときに初めて人は、ココではないドコカを創造する衝動に駆られると捉えているわけだ。そしてこの自己典範により編みあげられた未知の荒野にこそ、カステルッチの思う芸術が広がる。
 さて、アポリアがカステルッチの芸術哲学の基盤を成すことが理解できると、おのずと彼がワーグナーの問題作『タンホイザー』の演出を手がけた理由がわかってくる。官能の女神ヴェーヌスと貞女エリーザベトという二人の女性のあいだで揺らぐ吟遊詩人タンホイザーは、肉欲と精神、身体と頭脳、愛と死といった二律背反の思考のあいだで破滅していく、まさしく絶対矛盾を体言する存在だといえる。この点をふまえたうえでカステルッチはタンホイザーについて「自身のなかに分離危機を抱えた存在」と分析する。そして、だからこそ追求しがいのある役柄だと話す。対立項のどちらを選んだとしても、自分の半身を否定する葛藤を抱えたタンホイザー。そんな登場人物はカステルッチにとって自分の芸術哲学を具現化するために、これ以上ないほど最適な素材だといえる。なぜなら永久に癒えない裂傷を抱えるタンホイザーの悩みや、傷みや、苦しみを介して、新たな創造世界への開口部がこじあけられてくるからだ。
 根本矛盾や二重否定を探究する志向性は、カステルッチの過去作品でも多く見てとれる。例えばシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を演出した際には、最高峰の弁舌家であるマーク・アントニー役に、気管切開手術をして声が出ない俳優を配役した。現代イタリア語の父・ダンテが数学的に美しい修辞を用いて構築した『神曲・地獄編』を舞台化するにあたっては、長編叙事詩の表紙をあえて閉じて、原作の言葉をほぼ使用せず、図像の連鎖だけで作品を作りあげた。あるいはストラヴィンスキーの『春の祭典』では、処女の生贄によって繁栄する世界を踊りによって表現するために、ダンサーを舞台上から排して、72頭の牛を殺処分して生成された肉骨粉を吐き出す無機物であるマシーンに振付けた。
 理解できないもの、解説できないもの、言語化できないもの。その不可能性の壁の先にこそ、演劇の可能性があるとカステルッチは考える。またこの考えに基づいて、彼は挑発的に、舞台と客席のあいだでは「対話なんて起きない」と断言する。一般的な意味での対話が、どうやら無理だと分かったとき。その対話不全の壁にぶちあたったときこそ、芸術は、自分と相手とのあいだに「エネルギーの潮流」を起こしてみせるという。まとめるなら、彼の演劇の真髄は、極上の音楽がそうであるのと同じく、理性だけでは決して処理できない内臓感覚に訴えてくる情動にあるといえる。そんなカステルッチの慧眼とワーグナーの音楽が融合したとき、果たしてどのような聖俗混合の審美世界が生まれてくるのか。禁忌や侵犯をも圧倒的な美に変えてしまう、異世界が生まれてくるような気がしてならない。

*ロメオ・カステルッチ「The Universal:The Simplest Place Possible, A Journal of Performance and Art, Vol. 26, No. 2, 2004, pp. 16-25.

2017年日本公演
バイエルン国立歌劇場

『タンホイザー』(全3幕)

【公演日】

2017年
9月21日(木)3:00p.m.
9月25日(月)3:00p.m.
9月28日(木)3:00p.m.

会場:NHKホール

指揮:キリル・ペトレンコ
演出:ロメオ・カステルッチ

【予定される主な配役】

領主ヘルマン:ゲオルク・ゼッペンフェルト
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ウォルフラム:マティアス・ゲルネ
エリーザベト:アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ

【入場料[税込]】

S=¥65,000 A=¥59,000 B=¥54,000 C=¥42,000 D=¥32,000 売切 E=¥25,000 売切 F=¥17,000 売切
エコノミー券=¥15,000 売切 学生券=¥8,000

※ヴェーヌス役のパンクラトヴァの
メッセージ動画を、
こちらからご覧いただけます。

『魔笛』(全2幕)

【公演日】

2017年
9月23日(土・祝)3:00p.m.
9月24日(日)3:00p.m.
9月27日(水)6:00p.m.
9月29日(金)3:00p.m.

会場:東京文化会館

指揮:アッシャー・フィッシュ
演出:アウグスト・エヴァーディング

【予定される主な配役】

ザラストロ:マッティ・サルミネン
タミーノ:ダニエル・ベーレ
夜の女王:ブレンダ・ラエ
パミーナ:ハンナ=エリザベス・ミュラー
パパゲーノ:ミヒャエル・ナジ

【入場料[税込]】

S=¥56,000 A=¥49,000 B=¥42,000 C=¥35,000 D=¥26,000 売切 E=¥20,000 売切 F=¥16,000 売切
エコノミー券=¥15,000 売切 学生券=¥8,000

*学生券はNBS WEBチケットのみで8月18日(金)より受付。

※『魔笛』動画を、
こちらからご覧いただけます。