新『起承転々』〜漂流篇VOL.15 砂上のバレエ王国

砂上のバレエ王国

 NBSは海外から一流のバレエ団を招聘する一方、東京バレエ団を運営している。この拙稿を書いている今も英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団(略称BRB)が「絶賛公演中」だが、思えば私は日本のバレエ団と海外の主要バレエ団を取り巻く環境の違いを、身をもって感じることができる稀有な立場にいるのかもしれない。そう思ったのも、一般社団法人日本バレエ団連盟が平成29年度文化庁の委託事業として行った「新進バレエダンサー育成並びにバレエ団運営の基盤整備及び制作人材育成」についての調査報告書に目を通したからだ。日本バレエ団連盟は国内のバレエ団8団体の正会員と準会員1団体で構成されていて東京バレエ団も加盟している。その報告書の中に「国内バレエ団における就労実態調査」という項目があって、連盟傘下の9団体の調査結果が匿名で載っている。加えて「海外バレエ団所属邦人ダンサーへの聞き取り調査」の結果や、海外のバレエ団で活躍する主な日本出身者(2017/2018シーズン現在)123名の名前も記載されている。その調査は英国、ドイツ、ポーランド、カナダ、スロヴェニア、ロシア、ジョージアの9つのバレエ団で踊っている日本人ダンサーたちに聞き取りをしてまとめたもので、各団体からの公式な回答ではないものの、国内のバレエ団と海外バレエ団の就労実態を比較すると、あらためて彼我の差が浮き彫りになって衝撃的ですらある。
 その差が際立っている点をいくつか挙げると、たとえば契約関係と報酬に関していえば、海外の9団体すべてがダンサーと雇用契約または出演契約を結んでいるのに対し、日本の9団体のうち契約を交わしているのは4団体のみだ。海外の9団体は、毎月の収入の最低ラインが担保されているため、収入が不安定という意識はいずれのダンサーたちも持っていない。一方、日本の9団体のうち月々決まった額を支給しているのは2団体だけ。海外9団体の年間公演数はスロヴェニアのバレエ団が極端に少なく約30公演、一番多い団体で160~180公演。かたや日本の団体は最低年間7公演、最高で49公演である。ダンサーの負担として維持会費やチケットのノルマがまったくないのは9団体中3団体のみと、日本のバレエ界の実態が顕になっている。
 日本はバレエが盛んで、海外のバレエ関係者からは「バレエ王国」だと思われている。実際、日本全国のバレエ学習者数は35.8万人、バレエ教室数は4,640件(昭和音楽大学バレエ研究所調べ)と言われ、夏休みともなれば、有名無名を問わず、全国津々浦々まで海外のダンサーや指導者が大挙して出稼ぎにやってくる。日本ではバレエはお稽古事として裾野を広げ、優秀なダンサーを輩出してきたが、一方ではそのお稽古事文化が災いし、しっかりした経営基盤をもったプロのバレエ団が育たなかったのではないか。欧米のバレエ先進国とはちがって、バレエ教室の延長線上の“なんちゃってバレエ団”を生み出すことになった。バレエはお稽古事であり、それを観るのは家族や友人だったから、観客の裾野が広がらず公演回数も増えなかった。ダンサーたちも踊りだけで生活ができないから優秀なダンサーの多くは、活動の場を求めて海外に出ていく。優秀なダンサーの海外流出は日本の舞台芸術界全体を考えれば大きな損失だ。
 何の因果か、私はNBSおよび東京バレエ団の経営の責任を負わされて、いつもお金のことが頭を離れない。海外の一流バレエ団と比べどうしても見劣りするのは、ダンサーに対する報酬と公演回数だ。課題ははっきりしている。財政基盤を強化し、新しい観客を開拓しなければ、今後、日本のバレエ界の発展はないだろう。財政基盤を強化するためには、行政とも助成金の増額を折衝しなければならないし、スポンサー獲得や寄付金集めにもっと注力しなければならない。公演回数を増やすには新しい観客を呼び込まなければならず、そのためにはできる限り入場料を安く抑える必要もあるだろう。海外の9団体は国公立で財政基盤が安定している団体ばかりだが、突き詰めればお金と組織の問題であって、日本のようにバレエ団を民間の力だけで運営していくことに限界を感じている。
 今回のBRBの日本公演でも、4人の日本人ダンサーが主役をつとめたが、日本人カップルが主役を踊った日もあった。いまや海外のバレエ団で日本人ダンサーが主役を踊るのは、珍しいことではない。海外で働いている日本人ダンサーたちの中には、踊るだけで生活できる環境さえあれば、日本に戻りたいと思っている人は多いらしい。東京バレエ団もここ数年海外で活動していたダンサーが何人か加わり、戦力アップにつながっている。さらに財政基盤を整え、公演回数を増やすことによって、近い将来、海外に流出している才能豊かな日本人ダンサーが続々と東京バレエ団に結集してもらいたいものだと、ついBRBの公演を観ながら妄想が膨らんでしまった。

※日本バレエ団連盟のホームページにてご覧いただけます。http://japan-ballet.com